カルト宗教の教えから考える「全ては逆説」

私のテーマはもっぱら一つのカルト宗教であったが、他のカルトも建物がきれいで、掃除もしてあって波動も良さそうで、それで看板で あれ?と思ったところがあります。

カルトの教えは美しく、批判のしどころもないはずなのに、やってみると心がおかしくなり、治せなくなり布施を差し出すことだけを正解に持って行かれます。

本当に美しいです。信仰が深く敬虔です。真面目一本で、無駄な欲や性欲を始めとする煩悩もなく、くだらないテレビをみなく周りの下劣な話題に加わりません。

そうした会員は美しい心を持っているようにさえ見えます。しかし そうしたポリシーがあるにもかかわらず、やはりおかしくなるのです。学生信者同士ではいさかいが全く無い・・・はずだったのに、特に大人になって特に組織と金目のことで思い切り喧嘩するようです。特に家庭環境が辛く進学、就職で障害があります。

私はカルト宗教がええ古今東西の宗教の教えをうまくまとめ、全く信者に疑問を挟ませずに搾取するやり方を見て、「全ては逆説だ」と思わざるを得ません。

事実はてなアンテナ「幸福のアンテナ」で取り上げられているカルトアンチブログではしょっちゅうその今までの宗教と異なる逆説を発見した報告があるのです。近年は楽山日記さんが多いです。

確か総じてどのような逆説だったかというと・・・

  1. 信仰心やあの世の確信は100%ではない。どこかで証拠のないはっきりしない何かを感じるがそれを認める これこそが更にいい道を見つけたとき、すっと転換できる決めて
  2. 信仰のためなら命まで捧げることについて、それができるかわからないと感じ認める
  3. 自分が一番大事。他の存在を一番にすると自分がおかしくなる。与えきりではついに心の種火が消え失せる。自分のために努力しそのための時間をさく。休みを取らせないのがカルト。休んでくだらない遊びをしよう。
  4. 自分の好き嫌いをはっきりする。やな食べ物は食べない。やな人付き合いはしない。耐えられない努力はしない。戦後自虐史観はもはやひとりひとりのレベルで存在するがもう自己防衛をわがままや意地悪とは言わない。搾取を許すな。神から分かれ出た個体として体一つ分の利益は求めろ。さらに映像や音声の作品は徹底的に自分に適したものを探す。倫理に反するなど劣悪な作品なのに心が共鳴するものこそ、自分の心の汚さを映し出し反省につながる。
  5. 自己啓発、受験戦争で勝って大企業で出世や「スーパ大富豪になってやる」のような自分の勝利をつかむ目標に持っていかない。それはエゴだから。
  6. さらに功徳や名誉や霊的レベルアップや高級霊になる目標を持たない。それもエゴだから。
  7. 無理に自分を作り変えない。無理に反省しない。それもエゴだし、心の底のレベルから修復をかけないと更におかしくなる。そこが変わらないのなら時を待つ。
  8. ちょっと悪い思いや悪いことをしただけで猛烈に神に謝り反省を始め小一時間いじけるというのは逆に精神不安定で地獄行きに。
  9. 現実を見る。人間が平等に作られていないのを見る。自分のできないことを認める。無理に菩薩にならない。平等主義は近現代に狂ってしまったがはるか昔において素朴であり当時の素朴な信仰もあって間違ってはいなかったはず。
  10. 地獄や地獄霊や原罪を全く気にしない。逆にしょっちゅうそれらを語る者がカルトだともいう。罪を負っても泣かないで一歩一歩戻れ。
  11. 異性欲はやみくもに禁じてはいけない。それで爆発したカルト教祖も、女性性が怖く女や母や女神をも罵倒した管理人もいる。慎重に。エロ画像がなぜ氾濫する必要があるのか考える(当の女も見るぞ)。我慢できないなら踏み出してもいいらしい。
  12. お経や祈願や研修にとらわれない。エゴで持って唱えたらそれでいいものでもなく、すでに毎日が研修であるから。
  13. ドラマの斎藤さんみたいにならない。ごく自然体で周りを挑発しない。無理に周りの人間を書き換えようとしない。これは障害児教育のやり方。
  14. 宗教でも学校でも会社でも疑問に思ったことは考え口に出す。疑問を消そうとしない。そうやって科学や心理学は発展したのだし。何が幸福の科学だろうか。
  15. 周りのくだらない話題に合わせる。なぜかというとそこで語られる知識を得るのではなく、それ自体が愛の交換であるから。
  16. ただでできる、安くできる功徳や心や脳の向上のやり方を探る。自分で修理や裁縫をするとか、自分でパソコンの動きを軽くするとか。
  17. 組織を第一にしない。組織に入ると人間はその細胞になり、その野望や派閥闘争、上下関係に巻き込まれる。人間一人では止められない。とくに宗教を組織にしてはいけないというクリシュナムルティの説が有名。
  18. 何も「偉くない」ごく平凡で普通であることの尊さを知る。むしろそこに真理そのものがあるのではないのか。

私はむしろ組織宗教が今でも政府とくっついているように人民支配のやり方の一つで、人民に倫理観を覚えさせつつ強力な魔術によって政府を転覆されないように心の力に制限をかけるコントロールの一種だったという結論に至ります。だから宗教の教えの中にそうした制限コントロールをかける何かはすでにあったのです。これは学校も学術会議(特に科学、電磁気など)も会社も同じで道理で一定数そういったものに抗う自由人や芸術家がいたわけです。自分たちの食い扶持のために、自分たちしか真理をわからない、自分たちを覆せない、自分たちがいなければ何もできない状態に持っていきたいのです。

カルト宗教はそういった仕組みを最大化させ教祖だけが得をするように仕向けているのですから、まさに教科書的で、かつての堅苦しい聖書の解釈による天動説や異端尋問に類する問題を引き起こしあげく教祖の教えをそのままコピーしかできず従来の宗教の限界や間違いをすべて統合させた古すぎる宗教になるのです。

私は急に信者が浄化される宗教というものに警戒しなければいけないと感じています。カルトの手口の最初が急に人を良くする、本当に浄化さえするものではないのか、オウム真理教の音楽は今でも非常に評価が高いし、最初はいっぱい得をさせるのは投資詐欺みたいです。本当に心が浄化されるから感謝して信じ、自らマインドコントロールされる。おそらく夢を見れるのはほんの1,2か月ほどでしょう。本物はむしろ自らのペースで修行を進めさせなかなか人が変わらないと思われます。

さて新しい信仰のあり方はどうなるのでしょうか。アンチブログを見てもわかるようにカルトアンチはだいたい自分独自の道を歩み出すものであります。唯物論から神道までさまざまな人間が自身で世界を観察しその実相を探っています。そのために自我は欠かせません。自我をなくすのではなく育てることにこそ真にカルトを滅ぼし正しい信仰へ持ってゆくのです。

資本主義と詐欺はカルト宗教へ収束

企業がお客様相手にぞんざいな扱いをするって、ままありますよね。

特にインターネット上の商売で多いです。

例えばサイバーノーガード戦法と言って、ろくな防備をせず個人情報をまんまと取られた上で自分は悪くない被害者だと叫び裁判を起こすなどする日本独特の情報セキリュティ対応があります。

例えばWindows。他のWindowsではない何かを使うとわかるが、急に動きが重くなり、いろいろな手入れが必要で、勝手にシャットダウンとか 挙句、Windowsのためだけにいろいろなソフトを購入して快適さを取り戻したり、パソコンそのものを取り替えては、メモリが相変わらず2GBで本末転倒。分解してメモリを足すようです。

例えばネット詐欺。最近はAmazonでなあに3〜9割引きでいいものが売ってあるのね。ところが注文したら、何も届かない。返金はしてもらっても犯罪集団に個人情報が渡ってしまって何が起きているのかわからないと来た。こんな問題はいずれ起こりうると何度もメールで指摘しても、システムを直さないのだそうです。このような問題は他のネット取引サイトでも多い。

例えばPCデポ。金はあるが判断の鈍い老人、わけのわからないコンピュータの世界。次々とオプションや高性能パーツを誘って、どんどんお金を支払わせるし、変な囲い込みをやって孫が問題を解決できない、いつでもPCデポに行くしか何もできなくする商売。

詐欺なんて昔からあるが、最近の詐欺はますます巧妙です。しかしなぜそのようなことをするのが得なのでしょうか。

資本主義経済。金持ちが何でも許される時代。あらゆる問題が起こりうるが、仕事とは人の抱えている問題を解決すること。さっさと解決しては、仕事がなくなる。とくにこのコンピューターの時代。だから、新しい問題を起こす。少しづつしか解決しない。ずっと仕事があり、ずっと支払う。これで金儲けするのだから、詐欺に近くなる。

そしてこんな時代の勝者の最たるものはカルト宗教。日本では政界にまで食い込んで某与党と、幸福実現党は誰も止められない。綺麗事をいい、人生の問題は解決せず、社会の問題も解決せず、ますます大きくなりただそれを打ち砕こうと信者はお布施と祈願に励む。ほんと祈りではなんにもならないのに。

資本主義経済。果たしてこの害毒を止めるものは何か。私は前に言ったはずです。いろいろな政治主義、政治思想が提言されてきた どれも極論しかないし、あらゆる国が極論しか取り入れようとしない。それではだめです。極論をそのまま実行してはだめ、日本で薬価と医療保険があるように ミックスしてちょうどよくしないとだめだと。さらに自由平等博愛も3つとも突き詰めず引っ張り合ってバランスを取るべきだと。

そしてやはり教育が未来を決めるものです。クラスで人間関係の弱肉強食、いじめ放置で子供を腐らせるのは文科省であり政府でありひいてはそれを放置する国民、日本そのものなのです。国民が恐れるのはお上 お上が恐れているのは国民 どっちも動けないようでは何も変わりません。

日本人は従うことが得意。従うべき人がいないと?

日本にはすごい秩序があって、犯罪は少ないし、みんな譲り合うし、暮らしていくにはいい国らしいです。

ええ、小さいころから上に従うことをよく覚えるので、そう激しい人物は出ません。しかし、そんな日本にはなにか閉塞があり、外人に負けるときはみんな道連れで大敗します。

太平洋戦争も、バブル崩壊の不況も、それから70年ほどたった3.11でも、なぜか失敗のパターンはどこか共通点がないでしょうか。

それは日本人は従うことをよく覚えるが、人を従わせて成功することがなぜか苦手だ、いざ従うべき人がいないトップレベルの人間になってしまったら、何をしていいのかわからず、指針がないため自らのための闘争に陥りさらにおそらく負けるのだから先に負けてしまえと自滅さえしてしまう。

こんな感じで正しい理解でしょうか。外人がしないような失敗だけは日本人はよくするのですよ。

改善するには、教育システムを変えるのがいちばんいい。秩序を保ちながら人を率いるためには、どうしたらいいのかはよくわからないが、変えるべきところはよくわかる。

苛めに対し相応の処罰を与える、先生の指示を一貫させる、正解のはっきりしない問題を扱える様にする、全く知らないことへの対応力を身に付けさせる、自由に課題を選ばせながら研究ポリシーはひとつのしっかりしたものを身に付けさせる、先生が生徒の人間関係に介入して健全な方向へ導く、ええもっとあるかも知れません。

そしてもう今までの教育を続けてはいけません。子供達の性質が今までとかなり異なります。

昔のようなとにかく駄目なことをしたら単に叱りつける教育は通じません。なぜ駄目なのか、どうしたらみんなに受け入れられるか、理屈で教える必要があるし、怒鳴ってばかりでは何が問題なのかわかってもどうしたら解決するか全く見えてこないので自分の存在に理由を求め生まれてこなければよかったというまでになるかも知れません。

こういった自分を否定させ、自我を崩壊させて新しい人格を植え付ける、旧来の教育は、その根っこのポリシーが堕落して、もはやブラック企業やカルト宗教の常套になり、厳しい教育で知られる舞妓はフィクションでは精密なロボットにされる扱いです。これから世界情勢はどうなるか、どちらにしろ太平洋戦争のころの教育観はそのまま未来へは適用できません。

大川隆法の著作が簡単にわかりやすく理解できる理由

私は清水富美加さんの事件が終わってもまだアンチを続けるつもりですからね。

で、肝心なことを皆さん忘れていませんか?

大川隆法の著作ってみんな心の底で知っているような当たり前っちゃ当たり前っぽい

かんたんなことを書いているし、しかもレプティリアンはレプタリアン、あくりょうをあくれい、などと用語をかんたんにするし、これは大事な教えだと主張する代わりにかんたんに書いておわり。

いや、小さい子供にとって結構読みやすい本なのですよ。小6でも読めます。それで成功理論がわかる。

でも、実践できない教えがある。極端に現実を無視する何でも思い通りになるようなプラス思考や、人生の悩みをかんたんに片付ける教え、小学生でも全貌がわかる単純な教えの世界、最後は信仰、それも大川隆法を信用しなさいよレベルの話。

それってなんでしょうか。

当たり前のいいこと、みんな知っているいいこと、全部大川隆法の本に書いてある。これは信者の脳に大川隆法の考えを受け入れさせる方法なのです。

信者の脳はいいこと、みんな知っていることがいっぱい書いてある本は悪い本ではない、むしろかなりいい本だと思ってしまいます。ただ仕掛けがあるとおもうのです。その本の中の、行間、わずかな一言二言、何が書いてあるのでしょうか。それは自分で考えるのをやめ本に書いてある考えをやるようにすること。

そして、みんな知っていること以上の素晴らしい悟りが書いてあったことはあったのでしょうか。

大川隆法のオカルトの話はとても魅力的。しかしそれらを覚えるに連れ、どんどん周りの認識と違って、どんどん信者だけの世界観にハマって、周りの友達いなくなるよ? それが正しいことだったとして、この世で知ったところでなんになるんだい?心の修行や成長につながる教えなのかい?TOCANAやセキルバーグや月刊ムーやあげく週刊誌みたいじゃないの。あげくわたしなんて未だに永久機関の研究やっている。できるまでのたうち回るよ!

そう未だに残っているサクセスNo1のきおく。私の後代のみんなが持っているだろう「サクセスNo.1」の精神を読んでみます。

いいことすごくイパイ書いてあるね。しかしここに書いてあることをまともに100%実践したら多分精神が潰れてしまうんじゃないのかな。悪いことをしてはいけない、勉強しなさい、いいことです。

しかし一点の心の余裕もない。つねに想念に気を使い、悪いことはぐっとこらえ、できない勉強もできると思いこんでやらないといけない。悪い思いを出してしまうのが自分。もはや自分であることをやめないといけない。自分の心を殺さないといけない。自我力でやるなと言われたでしょう。

周りがね。世界情勢そっくりだけれど ずるがしこくて いじわるで 暴力も 暴言もはいて、自分の利益を求め、自分を押し通そうとしているときにだ、一人で自分を消そうとしている。なにもそういった人に言葉でやり返せないまでに。そうして、まんまといじめられるんだ。

いつも成績優秀だけれど なにかこういう材料で好きなものを作ってくださいという授業は0点だね。感想文も苦手かもね。まるで何も思いつかないもの。だって人の言う事聞いて従うことしか知らないから。さらに家庭科も苦手になりかねないし、さらに日教組の日本は戦争で世界を破壊した悪い国です、永遠に記憶に残し、償いましょうというとんでもない鬱教育を受け入れて、自分の心まで焦土になりかねない。

そして守護霊の概念。私の場合自分の心を殺してしまったから偽守護霊に入られて人生のあらぬ道へ進んでしまう。究極には自分しか自分を守る人はいない。自分を消したら即なにかに入られるんだ。

そう、こんなに自分を縛るのは、「神そのもの」です。神を潰したくなるぐらい精神が荒れ果て、悪いことを必死で我慢しているつもりでも もはや絶対に周りに大迷惑かけている。逆にこんなに自分の心を縛るのは神などではないと思ったほうが悪想念がかなり減ってくれるものです。

精神をこじらせて 祈願や研修を受けさせ、障害持ちになってもハッピースマイルクリニックとユーアーエンゼルで囲い込みですよ。多分そこでも一点の心の余裕もないんじゃないの?さらに大人になったらプラスお布施だよ?年収750万はないとこの宗教はやっていけないと言われているんだよ?

幸福の科学の信仰なんて適当にしようよ。悪いことをたまにやっても、この日本はちゃんと処罰があったり人とぶつかって喧嘩して成長できるようになっているから。逆に自分のすべてを我慢するとエルサみたいにすべてを凍らせかねないよ!幸福の科学まで、もちろんそのトップまで凍るよ!

そして気が向いたら神社に行こう。日本の神は一つの国にしかいない神にしてはとても優れている。他の国の神はあんなに清々しい雰囲気はない。なんせ幸福の科学の精舎は目に目に映る豪華な作りだが霊波動が「ない」から。

幸福の科学の頑固なところは現実を見ないことだ。今のオカルト系の本流スピリチュアリズムではグラウンディングといって足を地面の波動にする技まである。現実に足をつけて力強くあるけば、どんなに無能だろうと道が開ける。幸福の科学は現実で何度も負けている。

自分も他人もたまに愚痴をこき悪いことをする現実において、どのような信仰生活を送るべきか。それがわかってくると、大川隆法の本の間違いが見えてくる。正しいことばかり書いてあるはずなのに、やってみるとどんどん自分も他人もおかしくなる。幸福の科学からしたらゆるいぐらいの努力が一番実績を上げ、心を確実に成長させる。

気が向いたらでかい公園に行こう。バラ園にも行こう。こうえんつながりでライブに行こう。博物館にいってわけのわからない昔の機械で興奮しよう。そして伝統的な大きな寺社に行こう。檀家さんが集まって作った大きな立派な寺社。この波動が本物の信仰だ。

博打ならパチンコ競馬宝くじ株はだめ。ハードオフで安くジャンク品を買ってそのまま、もしくはかんたんな修理で使えるか賭けてみる。そのあたり確率は大したもので直したものをヤフオクで転売するせどりという職業まである。それでも年収は750万行くわけがないけれどね。

日本の学力低下の原因:友達にマインドコントロール

こんばんわ。

日本の学力低下が叫ばれて久しいです。

学校が辛いところである人がどんどん増えています。

楽しいはずの学校。淡々と授業を受け、友達と付き合い、成績は何故か伸びなくて心が虚しい。

どうなっているのでしょうか。何を疑うべきなのでしょうか。

私が高校にいた頃、あこがれの「ロボット研究同好会」に入りました。

しかし、先輩方はなぜかろくにマシンの手入れもせずに遊んでばかり。

私も気合が出ないは、なまじ電子工作をかじって天狗になっていたのを押さえつけもせずに、蛇の目基板にもりそばでなくわがままを中途半端に通し「彫刻刀」で基板を削って回路を作ることに。

ろくに気合が出ない。部活に来ているのにつまらない。奇妙なジョークにPCのエロゲー、なぜか序列は軍隊式で、やめた人が部室に入ると敬語もせずに小馬鹿にして接します。

こんな部活は腐っている。半年でやめて、図書館にこもりました。

親のルートで聞いた情報によると、ある先輩が部活の時間にみんなと遊んで家でこっそりミニ旋盤まで買ってシコシコマシンをこしらえていたのが発端だそうです。

これはつまり、周りの人間が成果を出せないように工作し、挙句後輩の芽を潰したのです。事実どんちゃん騒ぎは私がやめると収まってきました。ええ私もあの頃は本当にキモい性格だったので申し訳ないが(今でもこんなブログ書いているだろうが!)

多分ゲームやメールでみんなと付き合っておきながら絶妙に周りが勉強しなくなるように工作したり、成績のいきなり良くなった人を成績のいい人までいじめるとか、周りがさぶいとか引くことを言うとか、勉強デビューと罵りながら自分が勉強デビューとか、同じ宗教の人が徒党を組んであっさり信仰告白した幸福の科学の会員をいじめるとか、あげく万引きしたのこいつですと言うとか、ありえなくないし、自分は自分の妬みで精一杯だったから周りが本当に何をしてくれたかよくわからないのですね。しかも親の世代より悪いことのやり方をよーく知っているので親がフォローしきれない。下手をするとモンスターペアレント扱いにされる。

そうして全体、ひいては日本の学力が下がり、サイコパスや感情より頭を優先させるクレイジー野郎がいい大学に行くのですね。道理で一流大学の生徒が事件を起こすわけだ。道理で官僚や経営陣は(以下略)

∴ いじめを食い止めない先生方の教育方針は学力低下に直結するぞという警告でした。

マインドコントロールはもはや宗教だけがするものではなくなりました。

皆さん、この世はすでに弱肉強食のすり鉢地獄だから くれぐれもいじめ対策やマインドコントロール防止の知識はしっかりつけておくように。勉強より優先ですよ。

もはや日本人は遺伝子も民族も違うはずなのに人をいじめるときは彼らの朝鮮人のステレオタイプそのものになることがわかっていると思います。

本当は遺伝子や民族ではないのです。日本人であろうと彼らの性格が彼らの言う朝鮮人のステレオタイプなのであれば、非難されるべきなのです。

偉人になりたい、社会に貢献したいという我欲

最近アンチカルトのスレで、転載禁止なのでかけないが、価値観をひっくり返されるようなカキコをみまして。

みんな、偉い人になりたい、偉人伝に出るような人すごい、とか、悟りを開きたい、覚者になりたいとか、思っていませんか。ええ一度はそうおもうでしょうね。

しかし、よく考えてみてください、なぜそういう偉人になりたいのでしょうか。

私はなぜいい子になったのか、それは社会が怖いからです。前のどこかの記事にも書いたはずですが、本気で仲良くしようという空気より、しつけられ自由を制限されて、従っていればいいみたいな、そういうマイナスな理由でいい子になっているのです。

また地獄に落ちたくない恐怖心でいい子になっていたら?

その延長線に偉人になりたいという思いがあるとしたら。偉人になることで、自分の価値を確立し、けなされても跳ね返せる、自信が持てる、異性にモテる、みんなに尊敬される、そういうことを目指す我欲が本当の目的だとしたら?

そういう意志ってかなり歪な人生になってしまうかもしれません。悩み深く、浮かばれない、目標がでかすぎる、自分はちっぽけだという事実を突きつけられる。

なんと普通に人間として生きることに高みを見出すのが一番いいのだそうです。

信心深い良き人間であることの悪

日本人、大抵のみんなは良き人間でありたいとおもうでしょう。

そして、伝記や人物事典や道徳の本を読んで感動するでしょう。

しかし、良き人間になろうとすることは、並大抵のことではない。

古くから良き人間の性格とされているものには重大な脆弱性があり、ころりとやられます。

やさしい=いじめられやすい、搾取される

努力家=努力しなくてもできることが嫌 無駄に金をつぎ込み無駄な努力をする

節約家=お金があっても貧乏くさい 無駄な苦労をする

覚えがいい=自分の考えを持たず覚えたことでしか動けない

まじめ=サイコパスに搾取される恐れあり

恨みや憎しみを持たない これは無理。最近のアンチカルトのトレンドはこの話題。自分が本当にやられたらそれに応じた感情は持って然るべき、でないと更に攻撃される

仕返ししない、暴力を振るわない=ネット右翼が指摘する問題と同じ。仕返ししないならさらに攻撃してしまえということになる

妬まない=程よい妬みはジャンプアップの起源になる。妬みがまったくないなら向上心を失ってだれている可能性もある。

エロや異性に興味を持たない=親の教育も原因か、自分に厳格すぎてバーンアウトしている恐れがある。たぶん他のやる気もだいぶ失っているはず、実はブログ主

いわゆる信心深い=自分の宗教がカルトに堕落しても信じ続ける その宗教のレベルを超えることがない 単に信心深いだけでは真実にたどり着けない。自分の哲学を持とう

でしょう?いい子になりきれないキモオタ(ブログ主含む)をしりめに なんであんなヤンキーがせっせと工事やってイキイキして結婚までしているのか?自分の判断で生き、確実にそれで成功している。

偉人伝に出るような人物もそれに書いてないだけで結構不可思議なものです。「アスペルガーの偉人たち」には気の毒な真実が書いてあるし、ジョブスの漫画は喧嘩で満ちています。自己防衛では彼らもでかいことやっている。

私は善と悪、神と悪魔の概念は世間で伝わっていることが真実と違うかもしれないと思っています。どれぐらいかというともちろん180°ではなくまあ90°ですね。

良き人間の定義を変え、王から奴隷までのピラミッドを構築しやすいように変えた存在がいると思っています。特に学校でよくこうした良き人間の概念を教わります。中学の反戦教育なんて弱気な人間を作る最も効果的なことをしています。

工業高校に機械に興味があって入学し、ボロボロになって卒業しました。あそこは単に何も感情もなく工場で働く人を育てる場だったのです。日本にクリエイターはゲームをのぞいてはいらないと理解せざるを得ません、

自分勝手に成功してもらわれては王様の意味がないです。日本だけでなく地球文明の問題だと思います。

そして宗教の言う綺麗事に惑わされないで、まず自分を大事にしろという大原則に気づきました。

宗教は人を導くものだと思っていたら、人を押さえつけるための存在でもあったという結論に至る。信心深い人は大きな成功もせずに、こじんまりと生きるし、社会構造をより良く作り変える気もなくシステムに従順だったりするし、野生の動物でなくて飼いならされた人間になってしまっている。

あげく魔法入門MAGICAというブログには、覚醒、真の能力に目覚めるための手段を戒律の名のもとに信者ができなくして、リーダーと取り巻きだけが真の能力を使えるようにすると書いてあります。それをここで語るの早いが、覚醒には程よい性的な興奮と、優れた音楽を探して酔うことが重要と思われます。

宗教は支配層の右に出るものをなくすための手段でもあったのです。しかし現代社会はスポット的に陰謀が効きすぎてむちゃくちゃになる人間が出ているのをなんとかしてほしいです。

とくにカルト宗教と普通の宗教はときに見分けが難しいです。それはカルト宗教もだいたい普通の宗教がやることをやるからです。そこで信者からのエネルギー収穫を最大化するとカルトになるのです。宗教団体という仕組み自体にうっすらと集団支配の力を感じざるを得ません。今の所どこがいいかわからないので、一人で神と向き合いたいです。