心が向上しなくなる「平和」はうさんくさい?

平和、これは一番絶対目指すべき方向なんだけどこれは、しかし、むやみに平和を追究してしまうと、周りからいじめられてしまうのです。

いじめをやめさせたいと止めに入った人がいじめられて心がボロボロになることがあります。

これを全体の悪の量で考えると、いじめられた人は相当な悪を抱えてしまいますから、1人が2人になって悪がさらに増えてしまうケースがありうるのです。

そうです、いじめの傍観者のやっていることはちょっとだけ正しいところもあるという、そういうことなんです。(もっとも、大多数でいじめを止めれば収まる可能性が十分あるのに しないのは 悪しき本能だろう)

喧嘩の制裁だってなかなかできるものではありません。

個と言うものが存在する限りまわりとどこかで戦わなくてはいけないのかという そういう考えも浮かぶのです。

体の免疫は常に 細菌やウイルスと戦っています。戦わなかったら、自分はなくなってしまいます。

細菌も 自分を保とうとします。(そういえば名前に菌をつけて呼ばれた経験ありません?)

攻撃というのは、存在を保つためにあって、ましてや、いろんな生物や心があるこの世で 自分の嫌いなものに出会わないということは考えられない。

精神的に弱肉強食の人間社会、平民の身の回りであっても いろんな争いごとがあるのに、いきなり国全体、世界全体を平和にすると言って、未だ取るべきでない最終フェーズを実行するのは危険なのです。

例えば、兵器を全部捨てることです。

だから平和というのはうさんくさい連中も言うことなんです。

ブッダでさえ、殺されそうになり、キリストでさえ、磔になった。もちろんキング牧師も殺された。

正しいことを通すにはまだまだ、実力行使が必要なようです。人間は最終的にはそれに屈する本能を持っているのです。

また、ジブリの宮崎駿と鈴木敏夫の喧嘩のように、最終的に良いことにつながってゆく争いもあります。

どっちが正しいか納得行くまで戦い、折檻します。そういう争いをなくすのは、逆に良くないと思います。みんなロボットになってもおかしくありません。

結局今の一般的な定義の「自由」「平等」「平和」というものたちは互いに矛盾し、3つとも極めようとすると混乱してしまうと思います。

この3つが互いに牽制し合うことがいちばん重要です!

それより自然の生態系を見習いませんか?動物たちはみんな鋭いかんを持っているし、なんでもリサイクルされるし、住むと厳しいけれど何故か心が洗われるらしいじゃないですか。

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