無条件な博愛は胡散臭い?

今の時代、愛をもらいたい人はいっぱいいます。

今の社会は愛をもらうことに重点を置いてる気がしますが、誰かが与えないといけません。

愛を与えることは重要です。

とはいえ、あまり人に愛を与えすぎると、自分が干からびてしまいます。

自分の持っていないものは与えられないと言われます。

愛を与えようという言葉で人を奴隷に出来るかも。怖い。

また、愛をショートさせる存在もいます。

愛を与えても暴力で返されたり、無視したり 実は詐欺だったとかいろいろあります。

また、AKB48の”UZA”って曲が本当にウザがられるように 自分のわがままな愛を押し付ける存在もうざいですね。

という事なので、愛より大事なものがじつはあるんだよ。という事を、押さえておきます。

それは多分、「存在」です。

またまた胡散臭いシリーズですが人を無条件に愛する、人から無条件に愛される、というキーワードで大衆を支配しようという者が現れているかんじがします。

愛することは大事、でも多分我々の持っている定義による「無条件」に、なんて無理です。

神様の持っている大いなる愛とは簡単に真似できるものではないのです。

地獄もある、というのがわからないところです。

それと無条件にあらゆる人から愛される環境を目指すのは、これは堕落する確率がかなり増えると思います。

人間には知能がありますからね。なんか愛する理屈がないとダメです。でなければ多分そういう環境を無理やり作ったのがカルト宗教ではないかと。

追記:
最近いじめの問題が噴出しています。そこでこの言葉を公案してみて。

いじめる人と、いじめられる人の自由。いじめる人と、いじめられる人の平等。

左翼にはこういうのがわかるのかな???

広告

無条件な博愛は胡散臭い?」への2件のフィードバック

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中