賢人、愚人、皆同じな平等は胡散臭い?

平等というものの本来の意味から、現代文明で使われている意味は、なんだか違うように思えるのですね。

みんな平等だといいといって、ノミとカンナに同じ仕事させようとしても、ノミは彫るのが得意だし カンナは平らにするのが得意なので どうもちがう。

それと、弱肉強食の世界で飢えたらどうなる?という話もある。

この自然の食物連鎖ではそのなかのどれかの動物が少なくなる>餌が減る と考えられます。食料をどう食うかという問題になる。

みんな平等にたべていると、食料が少ないのでみんな死んで種が途絶えてしまいます。

こういう時はそう強い個体が食料を確保して子孫を残すのです。

それが自然の掟だったのです。まあ人間は農業や畜産で何とかしのいでいます。

しかし、食料だけではなく、強い者を優先しないとみんな潰れることはありうると思われます。

男女平等といっても、どう、平等なのか メディアのジェンダー論を鵜呑みにしないで考えるべきです。

意外と、原始人と差別されそうな自然に生きている人は このへんよくわかっているとのことです。

みんな平等だと言っても、仕事能力などいろいろな違いが人にはあります。

本を読んで改善してもしきれない部分がありますが そのなかで最たるものは 「心の正しさ」と思われます。

みんなでなやむより正しい人ひとりに相談したほうがうまくいったりするのです。そう、もういないけれどブッダです。

みんな自然とブッダを守るようになります。

また正しい人が国を治めるといい国になります。

でも、みんな平等と言って投票だと、中学校で社会科の先生がこんな感じのこと言っていたんですけれど、

「暴走族のやつが律儀に投票に行くんだぜ、いい加減に候補決めて。 こんなやつと俺が同じ一票だ? ふざけんな だから俺は投票に行かない。」

普通の人は気分で投票行ってしまう。国の運命がかかっていても。なんなら、ブッダに王を決めてもらったほうがよほどいいです。

結局、本当の平等というものは、宇宙の法則のもとの平等だと思うんですよね。

劣っている人も、優れている人も、何故かみんなおんなじ宇宙に存在する。軽自動車もフェラーリも同じ宇宙に存在します。それに文句を言う人はいない。

その法則は、量子学の学者が東洋哲学に学んだりしているし、逆に科学法則が心の世界でも通じたりする。(エントロピー増大なんて特にそうです。)

だから、宇宙の法則に従うものが、幸せになれる。人間の作る平等より、宇宙の法則にならった社会の構造を作るほうがいいかな。

余談ですが男女平等についてです。

これは、ジェンダーフリーが何なのか自分はよくわかってないので、結論を云います。

「性格が男に近い魂が男に生まれ、女に近い魂は女に生まれる」 性格によって、入れる肉体が違うのです。

無理しなくていいんです。自分でいいんです。他の人にもそうさせて。集団でまとまっているならそうさせて。それでこそ男女平等です。

無理して「看護婦」を「看護師」と言う必要はないでしょう。事実女性という「個性」「性格」の人が多いのだから。

男女平等の運動はなぜか女を男に、男をロボットにさせようとしている気がします。

男女平等の運動は検索しても明らかな結果が出なくて、なにがしたいのかよくわからないことがありませんか?

(この提案はベータ版です)

自分は、身の周りで自分より正しい人を推薦し、推薦された人が彼より更に正しい人を彼の周りから推薦・・・というふうにして組織の首領を決めてゆくといいかなと思っています。(そうです、トリビアの泉で美人を探すのに使っていたような方法)

あとそうだ。ようは、自分も他人も互いに搾取がない、そういう哲学で既に語られていることが自由と平等だったりして。

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