犯罪を犯す聖職者たち

人間に立ちはだかる最も大きな悪の一つが 煩悩です。

汚い自分の思いを隠し通すのはとっても難しい。

人間、ある意味コンピューターに似ていて、反省とか言うのが難しいんですね。

コンピューターが自分でプログラムを直したという話は聞かないです。できないんです。

人間には反省が出来る。それでも、難しいものです。

修正しきれない悪い心は、隠し通すことになります。

とくに宗教家はコンプレックスを解消するために宗教に入った可能性があります。

自分が間違っていると言われ続けたとか、虐待された、罵られた、差別されたなど、そのような心の傷を埋めるために 正しい心になる宗教に入り、権力を無意識に求め幹部にのし上がって行くといった ひどいパターンがありえるのです。

ところが、完璧に隠し通そうとすると、どこかで吹き出してしまうのです。

宗教家も例外ではありません。

キリスト教の神父の性的虐待など、いろいろな宗教の聖職者が道を外しています。

完璧に振舞わなければいけない聖職者は、煩悩を抑えきれなくなるのです。

そういうことをしていない聖職者たちも、どこかで煩悩をぶちまけることがあります。

おそらく他宗排撃です。他の宗教と戦争までやります。自分たちだけが正しい、間違っているものはつぶしていいとのポリシーのもとに、本当は間違っていない、別の地域では何か重大な意味のある行動を非難し、つぶします。

ユダヤ教とイスラム教はあまりにも厳しい戒律で知られますが、今も戦うのは抑圧された煩悩をぶちまけているのかも知れません。

心理学によれば煩悩はさらに他人にも投影されます。文句をつけたい人というのは自分の煩悩の投影だという ちょっと信じがたいことです。

昔から人間は、煩悩を抑えこみ、心が治ったつもりになっていきて、やがて押さえ込めなくてどうにもならないぐらい暴走するというのがよくありました。

自分もそうです。

自分はやってないつもりだけれど日本で匿名掲示板とか増田でものすごい罵倒するのは そういうことではないのか?

これからは神秘的なことよりも、精神をうまく作り変えられる教えが必要だと思います。

そのような教えは残念ながら、心理学のほうがうまく教えられるみたいです。