努力してもできないことがある。

自分は、どうしてこんな苦労を、やめようとしないのだろうか??どうしていつまでも続けるのか?心も不安定になる。

えいやと終了してぼーっとしていると、今までの自分のやってきた努力というものは、何だったのだろうと思います。

小さい頃はいじめられつつ、家に帰ってもなぜか電車のうまい絵を描くことに集中して、それも自分にダメージを与えました。

あのころはあの電車が好きだから書きたいとか、うまく手が動かないのが悔しいとか思っていたけれど、本当は何のために書いていたのだろう?

たぶんいじめられないため、いじめられても自分はすごいと言えるためだったのか?

自分は努力するのを苦行だと思っていた。それは学校で教えることかが今すぐには役に立たないし、

大人はテレビの中の人も、親も、保母さんも、先生も、みんな、口をそろえて、

あきらめてはいけない

できるまで何度も繰り返す

サボらない

頑張れば道が開ける

できないのではなくやっていないだけ

よく勉強できればいい学校を出て、世の中の役に立ち、金持ちになる

こんなことをいいます。

自分は勉強が苦行であり、どれだけ苦しんでもやるべきことであり、最優先すべきことでもあり、大事な修行だと思いました。

しかし努力すると苦しみます。苦しむと暗くなります。暗くなると、心が壊れてゆきます。努力すればするほどに、心が壊れるだと?

役に立たず、苦しいものといえば、仏陀が目覚める前に経験した、苦行が有名です。

仏陀は苦行を捨てて、中道を説きました。サボるのもだめだけれど、苦行もいけない。ではどうすればいいのか?

このブログの反省の記事でも言ったように、人間は心がありながら、コンピューターみたいなところがあり、

自分の思考プログラムを変えないと自分の限界を突破できない、といいました。

とすれば、プライドの高い親が言うようにいきなり大変な努力をするというのは 実は無理で、ならして思考プログラムを変えてゆく必要があり、

自分の「今の」思考プログラムの限界を超えて努力するのは、サボりをやめるのではなく、絶対にそれは仏陀の言う苦行であり、

自分を向上させるどころかオーバークロックしすぎたパソコンのように自分を壊してしまうものなのです。

限界には2つあり、掃除機のモーターで例えると普通に数十年使われているものもあれば、YouTubeの動画によると限界を大きく越えた電力を突っ込んで超暴れた挙句10分ぐらいで壊れる限界があります。

どの程度努力を継続出来るかというのは1つ目の限界であり、意外と大きくないものです。大きくするのには心や脳を大きくする必要があり、時間が必要です。

このように天才は一夜にしてならず、苦しんで努力する人になるのではなく いっぱい努力しても傷つかない人間になる

それが王道なのではないのか?

苦しんで努力をすると授業で肝心な何かをつかめず、おそらく必須科目で感性が必要な国語や発見の多い数学は努力している割に異常に上達が遅くなり、理科では実験に失敗し、図画工作ではろくな作品を作れず、体育をいくらやっても体力がつきません。

学校が地獄となり抜け出したくなったり悪ガキに進化するかもしれません。

それでも親が苦しむ努力をさせたなら、だれとは言わないが… ほら家に放火したり ゆとり教育で勉強がいらない社会を作ったり カルト宗教を立ち上げる人ができますね。

それでも 社会は学生を熱くする勉強のさせ方をすると思います。自分の限界をよく感じ、サボるのではなく、自分の脳の限界までの努力をすることをお勧めします。それが自己防衛の一つです。

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