日本のアニメ、漫画というけれど本当に日本の文化なのか

日本の漫画、アニメーションが、今世界に広がっていますが、

ロシアの正教会が 少女が「デスノート」を読んで自殺したといって日本の漫画、アニメに規制をかけようと言っているようです。

中国では意外とよく伝統文化を引き合いに出しますが、日本はどうなの? 自分は、あの礼儀とか武士道とか舞妓とか職人とか ああ言うものから今の漫画は出てこないのではないのか?と思っているのですが?

昔は、煩悩を抑える文化があって、きっちりしていて、人間味があって、それが本当に日本らしかったけれど、直接そこから今の漫画とかアニメに引き継がれた成分って、あまりないのではないのか、と思っているのですが?

現代の漫画、アニメを切り開いた、手塚治虫の著作は、シリアスで、なにか恐ろしい展開があっても神話や寓話などのように心に深く入り込んで読む人がなにかを悟るような そういう展開をしていたと思うのですが?

それが一体どうして、残酷で、どこまでも追い詰められるようなものと、えげつなくて、ストーリーが軽く、単に性欲本能が発露しただけの漫画も多くて、いったいどうなっているのでしょう?

超一流の漫画、アニメは、このような真似を無闇にしません。単行本より連載雑誌の方、少年誌より青年誌の方がけがれた漫画に遭遇しやすいでしょう。

よく作り込んであると思われる劇画も、無理矢理エロシーンを入れていたり(ドラマになると全部削除されるぐらい無理矢理)します。必要ないと思っている読者は結構多いはずです。

無理やり重たい展開に持っていって、悲しみを乗り越える感動より辛くてしょうがない展開、キャラデザが何も生かされないぐらいになるアニメもあると思います。

さらにいうと、日本人がつくった漫画やアニメでありながら、コスプレではなぜか白人が多いに注目されます。日本人がコスプレするよりそっちの方が似合うのです。

何か途中から、とくに文明開化の後もちょっと変わってきましたが、戦後や80年代から何かが違うのですね。

日本の伝統文化が失われてきたころに、すごく変わってきたのですね。いやたしかにいわゆる特定アジアの感覚が入ってきているとは思うけれど

漫画の製作環境が非常におかしいと思うのですが?

原作者は期限に追い立てられ、すぐにおもしろい展開を用意しないといけません。

小説家は落ち着く環境で書きますが、漫画家はアシスタントとともにせわしなく働きます。膨大な印税をもらってもアシスタントの給料などに消えます。

深く考えられる時間が全く無いので深みのある作品がでにくくなります。軽くて過激な風味がでてきます。

「編集」にも何か罠があるでしょう。

まず、苛酷な労働環境。創作には落ち着いた環境が必要ですが編集担当は非常に忙しく、全く落ち着くことが出来ないそうです。例をあげると電話はひっきりなしにかかります。これは、精神の不安定を起こし、わけのわからない行動を取ることになります。

2つめは、漫画雑誌の方針です。たとえば「ハレンチ学園」がはやると、こぞって漫画雑誌がお色気路線に走ったそうです。作者のやりたいことをときに無理矢理改造されます。雑誌がどう売り上げを伸ばすか、どういう個性を持った雑誌なのか、裏で決められているはずです。作者に明かすとまずい方針は隠され、単に没だといわれるでしょう。

3つめは、編集担当の持ってくるネタです。本当のカバラや古代伝説からいろいろなネタを持ってきているらしい。危ないオカルトのネタを持ってきている恐れがあります。ひょっとすると、担当が秘密結社に入っている可能性だってあります。たとえば片目だけ見えている人物はいろいろな漫画にあり必ず右目が見えています。「ホルスの目」また漫画に書かれている魔法の中には本当に使えるものがあるようです。またDavid Ickeの説は日本の漫画で同じことがかかれているというブログもあります。

いずれにせよ作者は自分のやりたいことをねじ曲げられることになります。不可解な漫画雑誌の編集担当の行動、その裏には漫画雑誌はテレビや新聞と同じ大衆を操作する能力がもはや備わっており、

大規模に改造をしておきながらなぜか編集担当の名前を全くださずに作者の名前だけ出るというのはなにか後ろめたいことをやっている恐れがあります。すべてを作者がやったこと、それをただ連載することにするのです。

やはり、国民を馬鹿なままにしておくおきまりのマスコミの作戦とオカルト知識を使うことによるなんらかの操作がありそうです。

ネット右翼の皆さんは漫画をよく読まれるでしょうが、漫画雑誌ももはやあなたがたが非難しているマスコミと同じものだということがおわかりになりますか?

聖職者はお金を儲けてはいけない

カルト宗教の批判をよく読んでいるのですが、不思議な記述を見つけることがあります。

いつも私を守っている神様によると、神の名を語って人からお金を取る者は絶対に許されないんだって。

http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/10/blog-post_12.html

これをよくよく考えると、チャネリングをよく本にして商売にしていますがこれは許されないのか?

チャネラーが生きて行くためにある程度のお金は必要だとしても、お金で堕落する可能性が結構上がるのか?

また治る医者は儲からないとか、テレビに出ているような霊能者は偽物で、本物の霊能者はお客さんの数を全く増やさずに細々と生きている、お金はあまり取らないといいます。

これをみると聖職者に「プロ」は存在してもいいのかなと思ってしまいます。

聖職者は人の心を支配できる存在であり、お金儲けを考えるとマインドコントロールに走ってしまうのか?

また上記の引用文を考えると、それ以上になにか重大な意味がありそうです。「語って」です。「騙って」ではありません。霊的な人の文らしいので、たんなるタイプミスではないかもしれません。

聖職者というのは本当は何か別の本業でお金をもらい、無償で聖職、たとえばカウンセリングや霊媒をしないといけないのでしょうか?

それと、本にするなどして商売するなら、必ず自分が考えた言葉のみでないといけないのでしょうか?

おまもりやおみくじ、開運グッズに本当は値段を付けるのは許されないのでしょうか?(おそらく全部寄付という形)

宗教も「学術会議」を用意すべきだ

もう、一人の独裁者が宗教団体全部の責任を負うなんて なんてハイリスクなんだろう。

悪魔には誘惑されるし 文句をいう人がいないから一人ぼっちだし 多数の信者の心が一人の手にかかっているなんて。

独裁者が間違っても、信者は簡単にクーデターなどを起こさないので、間違いがかなり増大されます。

そういった本当に信じられるやさしい独裁者がいないと危なっかしいいままでの宗教の仕組みを変えなくては。

自由に考え、自由に議論し、教祖がなきあともますます進化する教え、そういうのを構築するためには、科学技術の大発展に見習う必要があります。

論文をだし、みんなで検証して、再現性の高い インチキの無いすばらしい教えを構築する必要があります。

別に科学ではないので、オカルトの話題があってもいいですが、ちゃんと結果を再現できるうまくいく教えを構築します。

これによって、あらゆるカルト化のベクトルを排除できます。錬金術と科学の違いと同じようなものが表れます。

え、つまり、科学の学術会議の仕組みとその根底にある精神をそのまま教えの構築に適用することで、神ではなく人間が人間にしてはすばらしい教えを作り出せるのです。これが本当の幸福の科学なんじゃないですか?

更にいうと、名誉欲や金欲などをなくすために、論文に載せる名前とかについて、なにか工夫がいるのかも知れません。

匿名でだすとか、できるだけ多くのひとの連名でだすとかです。

学術会議のシステムそのものを学術会議で改良して行く必要があります。

教育と称して自分のわがままを押し付ける親と教師

私が小さいころから親とか保母さん、教師と接するうえでいちばん苛立たしいこと、いちばん刃向かいたいことがあります。

教育とか、良いことをやっているようです。確かに基本的にはそうです、しかし、教育者の苛立たしい雰囲気はいったい何?

教育と称して、自分の好きなような性格や、成績、倫理感、ふるまいに無理矢理改造しようとする教育者が多くて、困っています。しかも、無意識にそうやっている人も少なくありません。

こういう教育者に子は自分をつぶされている感じがして、ぞっとするのです。自分の尊厳を踏みにじられている感じがします。自分の性格を自分の許可なく改造されるなんて誰だっていやです。

更に教育というのは基本正しいことなので、表向き自分は正しいことをしているのだという思い込みがあるのでどうしようもありません。

さらにいうと現代の教育システムなんて物はこのおかしな方法が正当化されシステムに組み込まれています。

先生の中に平気で性格のひんまがった者が紛れ込めるもの如何なものです。

まだ能力の低い子供は朝から晩まで勉強漬けにされます。心が育ちません。ただ、上の人のいうことを聞けばいいだけです。

さらに子供が充分に理解できていながらさらに自信をなくさせ鬱にする過剰な反戦教育はもっとも恐ろしい改造のひとつです。

これでは上司との関係以外全部うまくいかなくなりそうで、大変なことになるでしょう。うまく育ったように思えても、御人好しなので詐欺、カルト宗教、鼠講に簡単に入ってしまうかも知れません。

個人の「我」を昇華させず、無闇につぶす日本の教育法、こんな人権侵害を堂々とやっては、いずれ大きな反作用が起こるでしょう。

PS:

「バカをつくる学校」という、自分の思いと合いそうな本を買いました。

たしかにアメリカの現代教育の欠点がよく書かれていて、日本も全く同じ、「粒の揃った」人類を作って、何事も計算で動かせる簡単な性格を広めているとか、じつに深い告発ですが、

この本はAmazonで購入したら、”Amazon Int’l Sales”からの発送とあり、Amazonの割に4〜5日後に来るという不思議な事態になっています。

おそらく Int’lはInternationalの略で、海外から航空便で配送でしょう。配送料金はかわりません。赤字?この本は日本語訳なのに、なぜ海外に置かれているのでしょうか?

当て勘が人生を変える

小さい頃は、大人とかの影響があって、理屈を考えてそれに基づいて行動するのがいいと思い、そうしました。

しかし、子どもの脳ではろくな理屈が思いつかず、潜在意識が複雑になってゆき、人生の大きな問題にあたり、それに飲み込まれてゆくのに、さらに理屈を考えて行動して失敗しました。

それが端的に表れるのは、迷路遊びです。

小学1年の時です。みんなは適当に勘で迷路を構築し、みんなで頭を混乱させて遊びあっていました。

私が人の気を引こうと理屈をいっぱいこめて書いた迷路はあっという間に攻略され、つまらないと揶揄されたのです。

ではどうしたらいい迷路ができるかと聞くと、ただ書けばいいとか、君は迷路が書ける頭すら持っていないのか?と返事。

NHKの教育番組で迷路は当て勘で作れると知ったのは、何年も後のことでした。

このように直観には不思議な力があり、ちょっとした勘が人生を導いてくれることもあります。

事実自分であてずっぽうには思えない しっかりした勘であれば、いろいろなシーンで使えます。

わかってないはずなのにわかるという、まだ科学でははっきり解明されていない力でしょう。

アインシュタインは言語を使わず、脳内のイメージで思考していたらしいのです。二コラテスラは脳内で実験ができたので、非常に不思議な発明をいっぱいしています。

言語にできないものを扱うのに当て勘はちょうどいいのです。

カルト宗教に入っているとなんか気分が悪いということがあります。お祈りしたとき。施設で祈願を受けたとき。講義をきいているとき。

ここは、与えられた理屈を優先せずになにか自分は気付いているのでは、と思うべきなのです。

なんで、幸せでないのか。なんで、やりがいがないのか。なんで、心の底が従ってくれないのか。そこには理由があるのです。

カルト活動には心の底は煩悩の発散でない限り従いません。伝道でもどこか気が抜けています。いつも同じような導師の話を聞いて何とか気合いを出します。

でも、やりがいすらないというのはおかしなことです。真実は理屈だけでなく大体当て勘も納得するはずなので、ゆっくり考えてください。

じつは直観は自分の中の「神性」が発言しているという、スピリチュアリズムの情報もあります。またこのような情報もあります。カテゴリ:岡潔・数学・情緒