だれもが救われる教えなんていうものはない

仏教を批判する人、キリスト教を批判する人、メジャーな宗教を批判する人は間違っている人はじつは少なくて、何か理にかなったことをいっているようです。

その奥にある文明のあり方についての批判もそうです。西洋は理屈をこね、東洋は直感を信じました。どっちだって 真理に行けますが、勉強する人の個性というものが重要で、悪い解釈を自分がしないような教えを選んで行く必要があると思います。

このブログを読んでいる人は仏教に懐疑的かも知れませんが、自分では中村元さんの著作はすごいと思っています。

いろいろな教えがわずかに解釈の揺らぎを許すのは、人間のすることですからしょうがない。

人間にはいろいろな個性があって、あらゆる解釈の方法がある以上、自分がこれだけが真理だと思っていても、自分の個性ではその教えがいちばん効果がある、という程度かも知れません。

ということで万人を救える教えというのは全く無い、もしくはどの宗教でも説かれているありきたりすぎて人によってはきれいごとのようにしか思えないようなおしえがだいたいに通ずると。

チャネリングでできた宗教はいろいろあると思うのですが、チャネリングは心の思い込みを徹底的に廃さないと著しくひずんだ現象がおこり、宗教の限界になります。スピリチュアリズムが宇宙人とかわけのわからないことをいっている理由と思われます。

もう、宗教で血をながしてはいけません。宗教は選ぶものであり、修行が究極の段階まで来ると新しい宗教を作るか、ぎゃくに仕組みを説明しようとするとわけのわからないのが宇宙というのにめざめ、宗教を捨て去るのかも知れません。

仏陀は教えとは筏のようなものである。川をわたるのに使った筏を捨てて次へ行かなくてはならないといっています。

伝統的な「理屈無しに信じるべき」というのは限界が見えています!

広告

だれもが救われる教えなんていうものはない」への1件のフィードバック

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中