不可知論への誘い

唯物論も、宗教も、物事の本質をこうだといっています。しかし、物事の本質を分かった様でありながら、決めつけているのがこの2つだと思います。

宗教では神がすべてを作られたといいますが、そういう証拠は見つかっていないし、神が何者かというのはもはや分かるものではありません。

唯物論はすべてを物質でとらえますが、なんか普通でない事象があらわれても受け入れられない、狭い考えです。

どちらもなにか思考から逃げているところがあります。

不可知論というのは分からないというのを素直に認めるとらえ方です。物事の本質は人間には分かるものではないというのが不可知論です。宇宙はとてつもなく奥が深く、ダークマター、ダークエネルギーとか、本質に迫るに連れてますます謎めいてゆくものです。

そのような宇宙を素直に認めるべきです。

不可知論は分からないというのが前提になっているので 自由に発想でき非常に思考が進むはずです。あの世があるかもしれないけれどその本質は何?そこまでの疑問を持てます。

仏陀のような本当に宇宙の本質が分かったと思われているような偉人でさえ伝えきれないのが宇宙の本質であり、みんな実感していなくよく分かっていないのに宗教や唯物論を植え付けては人民統制や政治闘争、戦争までやるというのがおかしいです。

本質は分かっていないけれど分かっている部分だけで自分たちは生きているんだというのを自覚しなければいけないと思います。

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