民主主義はなりたちそうにないです

民主主義が最高の統治方法だと習った人は多いと思います。

しかし、教科書とは裏腹に、どの国も相変わらず問題は多く、国債もどんどん発行されます。民主主義というのがどうしてうまくいかないのかは、最近すさまじい効果を上げだした、 統計 でわかると思います。

自然現象はとくに大量に同じ種類の個体があるものは大体1割の優秀なものと、8割の普通のありふれたものと、1割の劣っているものが発生するのが普通です。

これは、人間が作った機械にも表れます。

電気製品の少数のエリートは店頭で実際に触れる状態で置かれ、だいたいのものが実際に売られるもの、また検査で落ちるものや爆裂値引きして売られる壊れやすいものがよく品質管理しても少し出てきます。

この傾向はアナログ回路に大きく表れます。デジタル機器ではほとんど似たようなものですが、パソコンの特別安いものを買ったら直ぐに壊れたという報告もあります。ビッグデータでなくともよく数値を集めていれば自然現象として特に少ないすぐれた個体が現れるのはよく知られているはずです。

ちょっと怖いけれど、人間にもそういう傾向があったらどうします?おいらは大いにあり得ると思うのですが?そうすると8割の人民がごく少数の優秀な人物に振り回されるということがあってもおかしくありません。

人民が何をやろうが想定内です。うまく丸め込まれるのです。

遺伝的プログラミングというコンピューターテクノロジーがあります。生物の進化を参考に、初めにでたらめなプログラムを大量に用意しておき、目標とする結果に少しでも近いプログラムを掛け合わせ、進化させれば、やり方のわからないことがわかるのです。

これは非常にうまいやり方で、事実仮想空間内の人形を歩かせることなど、ニコニコ動画の実験が有名です、進化論のばかにできないところがここにもあります。

どうりで民主主義といいつつアメリカの大統領はほとんどイングランドのジョン王の子孫で、日本の総理大臣の多くが皇族と血のつながりがあるわけですね。

人民はこれからも多分支配層に振り回される時期が長そうです。さいわい天皇はこれからも幸せにしてくれるでしょう。

要するに、この様な特別優秀な人が少数現れると思われる自然世界では、どのような政治主義よりも優秀な子供にどのような教育を施すかがみんなの運命を左右するのです。

だからって優生学はやはりおかしいと思うのです。しかし、うまく説明するのが難しいです。

どうも能力の低いものがいっぱいできるのには訳があって、日本に軽自動車が多いことと関係がある。つまりその場に必要なものが低いコストでできる。

でも、やはり優秀な遺伝子ばかり立場が上なのか?

何とかするには、仏性の力がいると思います。精神的フリーエネルギー「仏性」とはいったい?

テレビ没落の法則

もうすぐ2014FIFAワールドカップもフィナーレが近づいてまいりました。しかし、そこに我らが日本の姿はありません。
日本は、一次リーグで敗退。ブラジルは準決勝でドイツに1-7でまけ、暴動が起こっています。とにかく予想を大きく覆す、波乱の大会でした。

ワールドカップの前、日本のテレビが文句なくべた褒めしていたのが、ブラジル、スペイン、そして日本でした。
ブラジルはもちろん開催国で、持ちあげるのは当然、スペインもティキ・タカという超絶技巧を持っているとか、司令塔がすごいとか、日本は本田をべた褒め。

これで期待は絶好調。しかし、蓋を開ければ、皆没落。
ブラジルは歴史的敗退、スペインは他の国にティキ・タカを完全に読まれたのか予選敗退、日本はご存知、本調子でない本田が足を引っ張った。

ここで、まさかと思ったのです。日本のテレビが全く文句なくべた褒めするものが 没落するのではないのか?
例えば亀田兄弟です。親方はすさまじいプラス思考でテレビにも練習を見せ大々的に話題になりましたが事件を起こしたんだっけ?あああ。
例えばホリエモンです。CMをうつはサクセスストーリーの番組にはよく出るは・・・フジテレビ買収失敗と老舗大手企業がが平然とやった赤字を黒字に偽装することで逮捕、テレビには出なく、livedoorとフジテレビは韓国の資本になり、かえって状況が・・・
例えば「マネーの虎」などのテレビ東京のサクセスストーリー番組です。出てきた社長が5年後10年後没落している例がおおいのだそうです。

こういうと知識人は「二階に持ち上げて落とす」当たり前のパターンだと言いますが・・・

例えば原子力発電所です。東京電力がたくさんCMをしていた、などいろいろあって原子力発電を非難することはなかった。しかし、311でなんかわけのわからないことになりました。メルトダウン、最悪の事態の噂がネットで絶えない。

とまあ、このような具合です。本当に勝つにはテレビの言うことを当てにしてはいけません。自分で探求すべし。

これは仮説です。ぜひ徹底的に検証してください。コメントも投稿できます。

宗教は信者に負担をかけないのがよし

宗教というものは、人を幸せにするためにある。
神様のためとよく言うけれど、人間がいなければ宗教はできないので結局人間のためにあるのが必然です。

そうなると、考え方を変えないといけない。お布施するのは正しい宗教になら、いいと思うのですよ。
しかし、人間を幸せにする以上、信者にまったく負担をかけない宗教が一番いい。負担をかけては幸せを取り上げてしまうことになる。

ということは、信者のお布施や集まる時間が少なくともやっていける宗教が一番いいことになる。伝統宗教はだいたいそのようなものらしいです。とまあここからカルト宗教の一つの見分け方がわかるのです。

カルト宗教というのは結局人の大事な幸せを自分だけに捧げて欲しい人がやっているものだと思います。たぶんね、神様のためとかいうけれど人間がやっているものが宗教なのですから人間を大事にできないのはカルト。

宗教の究極の形態とは何だろう?
信者の負担ゼロだと普段通りの暮らしの中に光が入るかたちになり、法具などはいらない。心構えだけでよくなる。すると信者自身の哲学に戻り、組織はいらなくなる。
何だろうこの感覚。単に哲学する人がいるだけです。それも一種の理想なの?いまいち違和感があります。