宗教は信者に負担をかけないのがよし

宗教というものは、人を幸せにするためにある。
神様のためとよく言うけれど、人間がいなければ宗教はできないので結局人間のためにあるのが必然です。

そうなると、考え方を変えないといけない。お布施するのは正しい宗教になら、いいと思うのですよ。
しかし、人間を幸せにする以上、信者にまったく負担をかけない宗教が一番いい。負担をかけては幸せを取り上げてしまうことになる。

ということは、信者のお布施や集まる時間が少なくともやっていける宗教が一番いいことになる。伝統宗教はだいたいそのようなものらしいです。とまあここからカルト宗教の一つの見分け方がわかるのです。

カルト宗教というのは結局人の大事な幸せを自分だけに捧げて欲しい人がやっているものだと思います。たぶんね、神様のためとかいうけれど人間がやっているものが宗教なのですから人間を大事にできないのはカルト。

宗教の究極の形態とは何だろう?
信者の負担ゼロだと普段通りの暮らしの中に光が入るかたちになり、法具などはいらない。心構えだけでよくなる。すると信者自身の哲学に戻り、組織はいらなくなる。
何だろうこの感覚。単に哲学する人がいるだけです。それも一種の理想なの?いまいち違和感があります。

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