現代芸術や現代音楽はなぜめちゃくちゃカオスなのか

仲睦まじい夫婦は皆似ているが、ケンカする夫婦はそれぞれ違うという格言を見たことがあります。

美しい芸術は黄金パターンがすでに分かっていて、新しいものを作る余地がない。

伝統芸能、伝統音楽がそうです。ただ歌舞伎だけはスーパー歌舞伎の方が理解しやすいという長所があるといわれています。

だったら、おかしい芸術なら、いくらでも違うものを作れるので、そうなってしまうのでしょう。

見るに耐えない退廃的な現代芸術こそ実にいろいろで予想つかないものが生まれてきています。

聞くに耐えないエレクトロニカや最新POPはいろいろなものがある。

ここだけの話ですが、レディガガのファッションなどいくら何でもおかしいと思いませんでしたか?

あいつは芸能界にすくう悪魔への親しみが表に出た姿だという噂がある。ああなるほど陰謀論ね‥‥

また、現代オーケストラはなにか今までの美しい音楽とはまったく別の音楽の法則を探している気がするが、変なのしかできないみたいです。

しかしこのような芸術がマスコミにまで出てくるのは何が起こっているのでしょうか?

どうも、症もないものを高値で売りつけることをやりたいやつらがいるのではないかなと思います。

20世紀の初めごろから現代何とかが始まっていますが、どれもむちゃくちゃで理解しづらい。いったい何がしたいのでしょうか。

新しい綺麗な芸術のために新しい黄金律を探すにはどうする? それが今から本当にやるべきことです。

さいわいこのブログでおすすめのThom Brennanがいます。聞けば分かる「ビートレス」、散発的で非同期で音が出てくるのだが癒やされる。こんな音楽の作り方があるのね。

今までわかっている美しい音楽の作り方を突き詰めて、99%を99.99%にすると、感動は10倍100倍になると思います。それもやるべきだと思います。

親学を支持したいところと、間違っているところ

この記事は是非最後までお読みください。 親学というセオリーがあるという話があって、調べてみても、具体的な話が出てこなくてびっくりしました。 あのgoogle先生が詳しいことを出せないのは「ジェンダーフリー」以来です。

昔の伝統教育の方がいい、特に障害児が出なくなる、ということらしいのですが、 昔の伝統教育で心を壊す人もいなくはないはずです。

考えてみると親が原因で障害児になるって、タブーな話だけれどありえなくはないのですね。

例えば、子供の時から辛いことがありすぎたこどもが、ロボトミーされたような心境になることを思いついたら、ええ苦しみは感じなくなるけれど障害児と認識されますね。

例えば、大人を憎しみ、大人になりたくないと決め込んでしまうと、30になっても子供で障害。

例えば、勉強を憎しみ、勉強をしないと決め込んでしまうと、LD。 カワイイバカになっていれば愛されるとしめしめしてしまうと、知的障害。

例えば、いたずらをつづけ愛情が減らされた子供が、鬱憤がたまってさらにいたずら、愛がついになくなる、徹底的に破壊する事態になるかも。これも障害。

例えば、厳しいじいさんに体育系、もしくは厳格な伝統的しつけをされ、「そんなこと苦しくも何ともない」などといわれ、自分はなっていない、いくじなし、勇気がない、駄目だということが植え付けられてしまって鬱になるのも、障害。

厳格な伝統的しつけをされ、極端に自由を奪われ、人と話ができず、指示待ち人間になり、自分の趣味やポリシーが分からず、ほしいものなどない、後々心を壊すのも、障害。

信仰第一、神を信じ神に祈り神の言う通りにし神に尽くせ、そういうのが過激でも大変なことになるはずです。

人間は自分で考えて行動できるし、そうするので、天使や神の使いになりきれません。失敗もします。そこで文句をいわれ続けると障害。

親学と心理学、どっちが正しいかは性急に判断してはいけません。 医学通り生まれつき何らかの能力が欠如しているのも十分に考慮してください。

障害が出る理由は人それぞれで、誰も気づかないような理由で発生もありえます。 病気になるのは心境が悪いと悪霊がついてなるとか、過去世で人を傷つけただからとかなどと決めつけるのも間違っているが、 偶然になるというのは間違っています。何か理由がある、まずはその程度に理解することをおすすめします。

自分の正義を主張しまくるうざい人間はなぜいる

正義をつらぬいている人がうざいと思われるのはよくあることだともいます。

いつも正しいことをし、正しい発言をしている、しかし、言葉がうざい。

どうして?

悪いことをしてはいけない。やったら正義を主張され、倒される。でもやりたい。

私の説では、正義の側に憎しみがあるからです。

憎しみが元になった正義は、正義にしてはおかしいです。

正義を武器にして、自分中心の社会を作る恐れがあります。

怒鳴り散らすときその憎しみが姿を表すのです。 本当にうざいと思っていいのはそこです。

嫌な目に散々にあって心の底では本当は憎んでいる正義は、災いをもたらし、延々と悩みに巻き込むでしょう。

これは、職業で正義をやっている人にも当てはまります。

こんな人でも表向きは正義を貫く人です。変です。

わたしは、正義を貫く人の定義を、「環境に優しい」人と再定義したいと思います。