学校の授業がつまらないわけ

学問を進めるうえで一番原動力になるのは、トリビアを知ることに似た、知的好奇心なのはいうまでもありません。

私が勉強していくうえで、唯一うまく行きそうなことだったのが、予習です。

予習だと素直に覚えられます。予習だと楽しいです。しかし成績の悪い私はいつも復習からはいれと言われてやめますが、

そこが罠だったのです。

私は自力で教科書を解釈できた。しかし先生の一から教え込んで行く説明を頭に全部詰め込むことが出来ずに、勉強が出来ません。

先生の言葉を素直に聞くには馬鹿になる必要がある。先生に同期して理解する必要がある。先に何も考えては行けないのです。くやしい。

先生に教えられたことをうまく思い出せないので、脳内が荒れて復習が進みません。

先生や親に怒られないために勉強する、これも学問のおもしろさから遠ざけます。このことが私が現に必要になっても数学をやらない理由だろうと思います。反骨です。

正論をいって、完璧に反論が出来ないようにしますが、それで子供はストレスをうちに抱え込みます。正論は恐ろしいのです。

先生が間違っていると、子供たちは不安定になります。大人が間違っていると大変なことになります。

また日本の先生は消極的な悪を持っていて、人間関係のこじれを無視するのです。大問題になる前に介入するべきです。

ルールが厳格であるほどこうした抜け穴はひどくなります。

それと、行き過ぎた競争原理もおかしいです。成績一番やエリートになるために勉強すると、学問のおもしろさは全部ふっ飛び、

いき抜くために必要な単なる「データ」になってしまうのです。学問のおもしろさを全く忘れた青年たちは、

目標を失いバーンアウトしたり、金や生活のために生きる中身のない人間になったり、

コンプレックスの多さをトリビアより更に更に深いはずの学問の知識で埋めることがないため、とんでもないことをやらかします。

現代の教育もおかしいです。本当に。

#このことは「真実を語る」というカルトアンチブログにちょっと書いてあって気付きました。

霊格を検定や出世で測る、それを悟りだとする、えげつない競争がある。全く同じ病理があるのね。

日本と特定アジア、同じような事故を起こす

保守が今隆盛で、10年前ではありえない勢いです。

しかし、10年前だったらまちがいなく私は保守を選ぶが、

あの中国や韓国と太いパイプのあるはずのマスコミのだいたいが日本がすごいとか言う企画を立ち上げるのはなにかあると思っているのです。

またいまでは単に罵倒するブログも多いです。こっちとしてはバトルまで行ったら危ないと思っています。

無駄に大きな自信を、崩す、現実を見るのも重要です。

では、箇条書で、同じ病理を説明します。

韓国:フェリーが沈もうが伝染病が出ようが政府の対応が後手後手で言い訳ばかり クレジットカード個人情報の超大量流出も 原発の大事故を隠しているという噂もある、たとえばガイガーカウンターはソウル空港で止められるなど

中国:新幹線で大事故が出ても四川の地震で核施設がやられても誤魔化しや隠し事、言い訳ばかり

日本:福島第1原発事故で東京電力がかなりおかしいことが明らかに、政府は誠実な説明をせずに、ごまかす、マスコミが福島の名所や特産物を「印象で」宣伝する、急に放射能安全レベルがあがる、事故処理はミス連発、

日本:年金機構の不正アクセス問題で発表や対策が後手後手、マスコミはその責任よりこれをネタにした詐欺に注意と盛んに発言し気を逸らす

とまあ、いいところは日本人がいちばん良いでしょうが 大失態をしたあとの対応は、日中韓で結構よく似ているところがある。

と来れば発生の構図もたぶん同じで、立場の高いわけでもない技術者がいちばんわかっていてリーダーになるほど自己保身を考えておかしなことをするのでしょう。

日本軍の敗れた原因によく似ているが ひょっとすると心のうずきに抗ってまで上司に絶対従う無理矢理な儒教の社会なのか?

この三つの国はともに文字の数がとても多いがなぜか 本当に受け入れるべき意見をなぜか絶対に退けるリーダーがいるのか?

優生学は間違っている 科学的な説明

優生学が間違っているって、よく言われるけれど、どう間違っているのか?

宗教でも多分はっきりとは言えないと思います。

しかも競走馬なんて、血統の世界です。名馬の子供は本当に速く、高い値がつくそうです。

でも、日本経済新聞 確か夕刊に近頃、邪魔だとされる「ノイズ」が有効な場合がいくつもありえるという記事が出ました。

コンピューターシミュレーションで仮想アリを用意して、餌を取りに行くアリだけだと二ヶ所の餌を見つけるのにもう一箇所には時間がかかるが、きままなアリが半分いると、もう一箇所もすぐに見つけてとれる。

もう一つのシュミレーションではホールからの避難で皆一目散に出口へゆくより頭の悪い個体が戻ったり逆の方向にいく個体がある程度あると避難が速くなる。

このように何が優秀かというのは 人間にはすぐにわからなかった。きままなことも、勘違いも、実は大事だとわかる。

優秀な個体は確かに必要ですが、何が起こるか分からないこの世界で、何をもって優秀か、人間が決めてはいけないと思われます。

それに関して人間はあまりに無知だと思います。だから、優秀な個体が必要だというところまでは理解しますが、それでも、特に優秀なものを残すということは、人間は止めましょう。

アスペルガー、自閉症、ADHD、そういった人も何かいみがあると思います。ダウン症の人はユーモアに長けていることがおおい。

また統合失調症はチャネリングが起きているんですよね。うまく悪霊を排除し修行を積むと人を導けます。

福祉作業所が平和で学校が喧嘩ばかり

普通の学校でいじめなどの問題がたえず発生しモンスターペアレントや逆の狂った先生がいっぱいいる、

そうした出来事と裏腹に、障害者教育の現場は非常に落ち着いています。

福祉作業所では まずなかなか解決できない問題がある利用者をうまく直すことに重点を置きます。

学校では、生徒の問題は注意や訓練で叩き直し、いずれすべて改善する方向に持ってゆきます。

ところが子供は「すべての子供は問題児」という人がいるように、なかなか解決しない、しかも大きな問題を健常者でも持っています。そこが普通の教育の解っていないところです。

作業所では様々な問題を抱えた人間をこじらせないように、争い事を禁じるというよりできない雰囲気を作っています。

せんせいには愛情があり、冗談も噛まします。争い事は直ちに発見され、注意されます。作業所はいつでも平和です。

学校の先生はこのようなことができません。なぜか。

私には障害者教育の先生のほうが教育の基本を解っているように見えてならない。

まじめな心がサイコパス、略奪者に道を譲る

私は、大変なことに気づいたようです。

古来、人間は、まじめで、一途で、やさしく、穏やかで、努力する、そうした人であれといわれてきました。

ただ、よく考えてみましょう。我がままな人間に道を譲っているのは、こうした考えの印象です。

まず、人一倍努力するという考えは、苦労を人よりする につながります。楽できる手段を選ばず、サボるやつの仕事が回ってきます。

穏やかである、ということは、瞑想をするように動じない意味があると思われます。ただ人によっては争いをせずサイコパスにしたがうように解釈するでしょう。

優しい人になる、はやはり解釈によっては争うよりサイコパスにしたがう、ということになる。

一途である、あきらめないということは ブラック企業から抜け出せない人間につながる。過労死は日本だけで起こるので、英語もkaroushiです。あきらめて他の手段を使って、速く幸せになることもできます。

まじめである、これも解釈が難しいです。なぜか学校で「まじめ君」と呼ばれ揶揄される子供が多いです。まじめすぎるとくだらない楽しみがないため、心がかれてしまう。頭の悪い皆にあわせてはいけないと思っていたら、いつのまに心が枯れている。バズワード「意識高い系」を使って潰されてしまいます。

このように、世の中でしきりに説かれていて、無条件で受け入れることになる教えが、じつはどの方面でも使えるとは限らず、

結局サイコパスや、政治や金などで人を支配したい者、略奪者や破壊者に道を譲る、これが問題です。なぜかというと悪いやつに対しては抵抗するような教えはなぜか習わないので自分で身につけないといけないのです。

カルト宗教がいいことだけいって人を支配しコキ使えるのはこのような現象も原因の一つです。

このような教えは喧嘩の多い国では有効だと思われますが、日本においては、日本を弱体化させるための兵器になっていると思われます。

保守の皆さんは本当に基本的なことを理解されているでしょうか?

そして、今までの宗教で王道とされた心の在り方が、真実の片面であり、それだけではまだ脆弱性があるのをわかっていただけますか?