幸福の科学の二世がこじらせる理由とは

幸福の科学とは聞こえがいいですが、どうも素直で正直な子供ほど傷つくようにできています。

その表れとして、めずらしいことに宗教内に不登校や障害児のサポート施設があります。

そのわけを説明します。

まずは、親が子供を愛するのではなく、教団に尽くすようになります。

今は子供を抱きながらスマートフォンを操作する親が問題ですが、

会員との長電話や まだどうしようもない子供を通勤電車に乗せて講演会につれまわす、それを子供の守護霊はわかるからいいことだという。

なぜか子供向けの講話は支部では少なく大人がワイワイやっている裏で母子室では子供同士で遊んでいます。

子供は養分がもらえず、ほったらかしにされる命の危険を感じます。 そんな母子室もいまの支部にはなさそうです。

幸福の科学の教えはとても厳しいです。一見本当の真理に見えますが実践しようとすると心に相当な無理をかけるようになります。心は安楽にならず無理が来て心の調子を崩すような教えです。

それは正しい存在になるということです。人間は「ダーウィンが来る」の動物より賢いが生き物です。間違いや煩悩を無理にふさぐと大変なことになります。

悪魔との対決や己心の魔というキーワードを持ち出し、仏に抗うような思いをなくそうとさせる。そういった思いと戦わせる。仏に抗うことの恐怖、その後どうなるかを植え付ける。そうして、信仰を高めますが、

実は悪に転落したときのフォローがこの教団にはありません。たんに祈願や研修をさせ、法話をきかせますがそれっきりです。むしろあえてそうやっている。教えの通り自分の邪心と戦ってみてください、やつは無茶苦茶に大きくなってアメコミのようにいつまでもシリーズ化できますから。そうして戦いまくって、不退転の境地にたったと確信させますが(何度でもね)。祈願でどんどんお金を払う寸法です。

いざ自分の邪心が吹き出すともう自分はおしまいです、仏を信じているはずなのに悪魔と同じ想念が吹き出して他の信者をいじめるとか犯罪とか何度でも神を潰したくなったりあげく霊能力で大災害や大事故を起こしては証拠などなくだれもフォローしませんから。

妄想したらきにしないこと。きになるなら自分の心を説得させましょう。どうもしようもないならがまんしない。

無理に実践すると、生命体としての働きが薄れ、性格が消え、さらに無防備になって悪霊に入られることもあるのだそうで、たぶんわたしもそうです。

我の結構強い人は、幸福の科学の教えで我を少し自分に都合がいいように引っ込めるので、調度良くなり、結構うまく行きます。

本当にいい人は自分を消す方にどんどん自分を持っていくので、いい人ほど弱いのが幸福の科学です。

我の強い人が、お前はこれがこうだから暗くてネチネチしているんだと一言二言で相手の人生の悩みを片付けて見下すことができる。すごい教えです。

幸福の科学の教えは、真理と言うより、真理のステレオタイプであります。これは真理だろうと思わせるように書いてあり、意表をつく言葉はありません。霊言もステレオタイプです。伝統的な教え、とくに原始仏典は意表をつきます。

悪霊や悪魔ををとても怖れ、自分たちと違う人間を見つけると心の中で見下し、さげすみ、さらにエルカンターレファイトを叫び、戦いを挑みますが効果はなく、こちらが怖れるほどに悪霊のたぐいは強くなるので、たいへんなことになります。

霊と話ができるようになることも、実は少なくはありません。しかし、教団を保つために真実を捻じ曲げているので、偽者や勝手な自分のイメージでできた霊が来ます。

守護霊の概念も鬼門であります。守護指導霊を期待していると勉強の答えを全部教えてくれる霊が来ることがある。その霊のいうことをホイホイ聞いているうちに霊に心を奪われ、気がつくと自分がやるとは思えない趣味や進路や職業の選択をして、さらにそういった悪霊が自分をのっとったことで悪いことが平然とできる人間になってしまうのです。これ私は日能研のときから何度もやられました。もちろん文殊のお守りを持って中学受験に失敗、いまそのお守りで家族が複数の英語の検定で何度も惜しいところで落ちます。

本物の守護霊は勉強の答えを教えません。辛いことだが自分がわからないといけないことはむしろわかるまで待っています。こういったチャネリングの罠は一般のスピリチュアリストもハマりやすい。

悪い霊ではないと付き合ってゆくうちにやっぱりドツボに落ちることが少なくありません。見破れるような教えはありません。信者が自立したら教団が崩れるからです。

悪魔に対抗することをしきりに叫びますが、悪魔が実際に来たらどうでしょうか?事実精神が錯乱するだけで、何も対処もできないのが普通なのではないでしょうか。

悪魔と喧嘩して勝てるわけではないし、祈りも通じないシーンが多いと思います。本気で対決をすると、悪魔の本気は恐ろしいものです。変えられるのは人間です。

なあなあな展開に持ち込んで、喧嘩もしないが友達にならない、飽きて双方帰る展開に持ってゆきましょう。

本物の神様なら悪霊を祓ってくれるでしょう。ただし我欲ではダメです。こうなるべきなんだという気持ちが大事です。幸福の科学の祈願、研修では「成功」とくに「出世」「大金持ち」などを説いており我欲を増長させるので祈りが届きにくくなります。

学歴が第一で、いい学校に入れようと親は努力します。子供がどんな人格でも、お構いなしです。目標は菩薩です。ちいさな人間にそんな大きなことできますか?もし子供が自閉症などの「坂にさしかかったらとたんに遅くなるトラック」だったら、無理はできません。むしろ上記のようにそういった人が多いと思われる。

親は正しいことを言いまくりますが親が子供にいい子になってほしい理由が自分の我欲や大川隆法のためなので子供は親が恐ろしくなって逃げたり従わなかったり調子を崩すことになる。

正しい人間になるための、厳しい遊びや人付き合いの制限は、心を荒廃させます。よくできた人間でなく、ロボットのようになります。

遊びやゲーム機や漫画やくだらないことや自分の本当に好きなことが悪だという理解だと、その間違いがやがてさらに大きな悪になるでしょう。

祈りが届いている、奇跡が起こっている、救われているというのは実はそう単純な話ではないです。

本当は効き目のないことであっても、信仰が足りないのだともっと踏ん張るうちに、自分の念力で効くようになるのです。神の働きではなく、自分のパワーで効くようになっているので、コストを自分が払うことになります。よって奇跡が起きている割にひどく疲れているはずです。エルカンターレファイトで何かが起こるのはそうした現象の一つです。

よく疑うとわかるのですが、真理でなく、真理の断片を用い、聞き心地はいいが教団に貢がないと心がそわそわする方に持ってゆきます。こんなに「まさに真理だと」思わせて効かない教えは前前前世でもなかったとおもう。

本物の神は豊かなので、布施はいりません。本来布施はこの世で信仰に必要な建物と導師が生きるための資源を確保するためにある。導師は神のしもべなので、我欲で金持ちになってはいけないはず。

もう一つは、正しい教えが逆効果というものです。

間違った神を信じていると、本当の真理でさえ、逆効果になることが多い。本物の神にこう願ったらすごいことが起こりそうな祈りが誓いが教えられています。本物の神に近づくことを目指すのも大事です。

例えば教祖が神ではないとすれば、教祖の「光」が本物の神のエネルギーではないとわかります。そう思うと光が何もしなくても入ってくる。

たとえば幸福の科学に入っているが、いじめが収まらない人もいるでしょう。悪霊のいじめもあります。

明るい心、高い波動を持つと、いじめの念力を退けることができます。幸福の科学も言っていますが、明るい、高い波動の定義が問題で、エルカンターレ=大川隆法を基準にしたら効果がないのです。これは伝統宗教の言う明るい高い波動であるべき。いじめの問題は二世は異常に深いはずです。誰にいじめられているのか、よく問うべきです

アンチは分かりますが小さくてわがままな神様なのでまるで祈りが届きません。まるで救えません。そうした神を基準にするのもおかしくなります。別の記事にほのめかしましたがすなわち裏系の神はリーダー一人で十分で、それで他の有力な裏を追い出したのでしょう。祈りが始まると鞍馬山や高尾山の波動がするはずです。しかしこの2つはカルトではないはずですからやはりよく言われるのが「堕ちた天使」または「ヘルメスを普通のギリシャ神話で理解しろ」です。

さらにもう一つは、種村修さんのブログでは乗り移りといわれるものです。

「主と一体となる」「主のみ手足となる」というキーワードにより、大川隆法の性質が自分に転送されてきます。

もし本物の神ならすごい効果がありそうですが、大川隆法だと定義されています。

大川ならこうするということを自分もやりはじめるのです。

そうすると、いまアンチが指摘する大川の性格や行動そのものをやったり、とくに小さな子供はそう大川の小さいころと同じく暴れまわるようになります。

そこで最後には孤独になり、学力や知識で傷をいやすも、結局社会に出れないというのもにています。

幸福の科学の教えを忠実にやっている子供ほど、苛められやすくなり、孤立します。

教祖のコンプレックス解消のための組織であるので、教祖の生き方が教えになっているのです。教祖が乗り越えられていない問題とまったく同じ問題があたって解決できないのです。

自分の問題を棚に上げて相手の問題をけなしたり、選民思想で上から目線、根拠なき自信と正義、しったかぶりやはったりを噛ます、その裏には嫉妬や劣等感。どこにいっても変な奴です。

教えはたしかに一応反論しづらい正しい教えが多いですが、よく支部で起きることなどを見ると、無意識にみんなおかしなことをやっています。

なぜ、上役の理不尽な要求にしたがい、悪いことかもと疑問を持ちつつ上役には平気で従うのでしょうか。神は正義を自分にだけ都合のいいように定義しているのでしょうか??そうではない。

何も言葉で教えなくとも、行いや仕事で心を正しくできるところを私は知っています。正しいことをかたっておきながら、集団心理や無意識の誘導の仕方がおかしくて、心を汚し苦しめる運命に持って行っているのがカルトです。言葉と、実際に行動や集団生活で心に植え付けることが違うのです。

最後に、人間はうそを見つけると、ごまかしきれません。

幸福の科学でおかしなことがいろいろおきたり、なにか雰囲気の悪さを感じると、疑問を感じますが、

それを心の奥へ押し込めます。しかし頭では喜んでいても本当は心の底は傷ついてゆきます。本当は、心の底では危険を感じます。

おそらくこの現象は支部のいざこざ、サクセスNo1、学園、作務を経験すると出てきます。

するととっさに幸福の科学や大川をつぶしたくなる瞬間が出ます。

こんなときは悪霊撃退、調伏、封印にいっても無駄です。つぶそうとすると大きくなり、きわめて強い悪想念や犯罪までやるかもしれません。

本当は自分の心の底がやりたいものですから。本当の神が横暴なのではない、横暴な邪神を信じていた。そこまで見破りましょう。(じぶんにいう)

このように正義が分からなくなってそこから精神を壊すことになります。

具体的な症例については、サクセスNo1の記事をご覧ください。

幸福の科学に特有の完璧主義システムにより なんと後天的にアスペルガー症候群が発生することがありうる。理不尽な上役からでも命令に従うことを要求されるので冗談やおしゃべりの解釈の仕方がわからなくなり、感情が薄くなります。

幸福の科学に従っていればアスペルガーになる。実際総裁の子供もそういう診断ですから。

これらはアンチになることで解決します。ゆくゆくは幸福の科学をやめ まったく忘れてすっきり生きるのがいいのだそうです。

つまるところ、カルトだとか邪教だとかいわれるのに違和感があろうと、

幸福の科学の修行は極めて厳しすぎる

というところはおさえていただきたい。出来もしない厳しい修行を課して、逆に心が痛みおかしくなるのです。特に金銭面がそうです。これから働きに出る自分を大事にしましょう。

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幸福の科学の二世がこじらせる理由とは」への1件のフィードバック

  1. はじめまして。
    あまりにも秀逸な記事で、本当に心が救われました。

    そういう青年時代を過ごしていたものです。

    アンチ活動を経て、その後、本当の神様と出会い、心を取り戻せつつあります。

    幸福の科学の教義ってどれも正論だし立派すぎる。
    信者は上から目線で、敵対する人の不完全なところをあげつらっては、地獄に堕ちるという。
    真面目だけれども疑問を持つ信者はどうしようもできなくて恐れるしかない。

    キリストは、罪びと全員つまり、全人類を贖ったということを知って、本当に感謝と安心しました。

    また読ませていただきます。

    良い記事を本当にありがとうございました。

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