叱ることを子供は愛だと受け止めることはない

小学校に入った頃です。

担任の先生がおばさんで、なんか厳しそうです。怖いのです。

そこですきをついて教室をぬけ出すと雷を落とすのは当然です。

私は一学期は給食ワゴンに隠れ、必死にこらえるようになりました。

今でも電気回路に興味がありながら、数学をまるで飲み込めません。Linuxをつかっています。

そこは、俺が悪いのかといえばそれまでです。 いや、何かが引っかかるのです。

厳しい教育で叱りばっかり加えられると、

最悪、自分が育てられている、愛されているという 証拠になるメッセージを全く与えられない、もしくは与えられていても打ち消されることになります。

喜びを我慢させられ、苦しみに飛び込みます。苦を選ぶ人間に育ったら大変です。それ破滅の道です。喜びを得ようとしなければ生命ではありません。

さらに毎日怒られているため自尊心が奪われ、自分がどうでも良くなります。自分がなくなればひどい親はそのような手を使いマインドコントロールまでするでしょう。全く、無意識にね。

そうしたら、親が自分の心を縛り付けて好きなように改造している、親の勝手に従わなくてはならない、そういう解釈をせざるを得なくなります。

あげく周りの大人までテキに見えてきます。

巨人に従わさせられる、恐怖、復讐心。抑えきれるものではありません。そこから重犯罪を犯す可能性もあります。

体育会系の世界ではだいぶ成長していてもこれをやられ大事に至る子がいるでしょう。

子供が一段と大人らしくなり、人権を要求してくる時代です。愛のない厳しい教育には、自分がどんなことになっても抵抗する子供がちらほらいるはずです。

厳しい教育をしたいなら 子供には一体何をやっているのかの覚悟が必要です。自分が意味のある人間だということ、育てられていること、愛を与えられているのだということを自覚する何かが必要です。

子供があの時叱られてよかったと思えるような叱りをあたえましょう。

そうでなければ子供が働けなくなっても当方は知りません。

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