日本の俳優はへたくそではない

海外の俳優、女優のほうが迫真の演技を見せる、という評判があり、

またアニメの声優はマニア以外にはあまり興味をもたれていないように思えます。

このようなことを論じるより前に私は違和感を持ちます。

海外のドラマではストーリーの世界の住人になりきるのが俳優の仕事で、基本的なしぐさはやはり舞台が現実にある国だったりするので、現実的です。

しかし日本のドラマやアニメは違います。どんなに凝ったセットでやっていても、俳優は寸劇、ミュージカルに近いことをやっているのです。

凝ったセットで完璧に世界を作りながら、俳優の声やしぐさは寸劇のそれによく似ているのです。ここに違和感があるのです。

だが寸劇の役として日本の俳優は優れているのはあたりまえです。

アニメにいたっては元が子供向けから始まっているので子供でもハッキリキャラを認識できる強い個性を持った声になります。

この濃いキャラが大好きな人がいっぱいいる一方でジブリは声優を使わない。

ジブリは世界観が毎度毎度よく完成されているので、声優が浮いてしまうのです。

アニメやドラマを一般にさらに普及させるために、より人間が受け入れやすいしぐさや声を作るべきだと考えています。

会社経営は富の総量が増えることを考えるべき

普通の経営者は人を雇って働かせることを第一に考えます。

そのモデルは、発電機だと思われます。これくらいの給料でこれだけのことができる、そういう計算をします。

たまに給料以上の働きを人間はすることがありますし、経済というのはそうした積み重ねで成り立っているはずです。

みんなお値段以上のものを求めているし、苦労の割りに多少金がもらえるようにがんばります。

働く人は自分の金と会社の利益を生み出します。それは富の総量が大きくなっていることです。

熱力学第一、第二法則は経済には通じないのではないのかと思っています。

富は人間の生命の働きによって無からできるし、総量が増えるものなのです。

これを前提としない会計では、人間は発電機、給料以下の仕事をする自立思考を持たない奴隷であり、ブラック企業から抜け出すことはないでしょう。

自分でもなんかうまく言えないけれど、生命を科学は解明できていないが、それをなんとか経済学に取り入れないと、立ち行かないことになるでしょう。

最高の宗教を目指して

この記事は以前の記事、「宗教にも学術会議が必要だ」だったけ?のわかりやすいバージョンです。

人々が救いや、人生の成功を求めて宗教に入ります。

宗教では、教えによって人生を持ち上げることができますが、

自分たちを結束させ、導師のために尽くすようなことになります。

これは個人の自由意志を妨げます。

また、もっといい教えが現れることがあります。間違いも指摘されます。しかし信者は今の宗教が最高だと教育されているので、素直に受け入れられず、それが元で争いが起こります。

宗教の寺院の中にはリーダーのエラさと教えで釣って金を貢がせ、働かせ、結局個人の自由や医師を奪う、カルト化するところがあります。

またそのためにはじめから作られた、カルト宗教もあります。

いろいろな問題が、宗教にあって、信じる人は減っています。そしてやめた人の心の支えは不安定です。

このような問題を克服するには、どのようにしたらいいのでしょうか。

それは、この教えがさいこうと、上から目線で説くのではなく、

この教えが効いた、奇跡が起こった、などとみんなが実感できる教えをとき、

実感できなかったら修正されるような仕組みが必要です。

従来の師匠に絶対服従の仕組みやイタコに頼る仕組みは脆弱性があります。

欠点というのは必ず暴かれるものです。その時に頑固になるのではなく、教団自身が教えを変え、進化させれば、宗教は良くなります。

絶対的な聖典を作っていつまでもそのとおりではなんか妙だし、いろいろな宗教で聖典が絶対正しいと思わせるために、結局いろいろな改ざんをされている・・・

教祖が最高、という理解より、今日その教えを進化させる方に持ってゆく、

科学技術が発達したプロセスを参考に、賢い人みんなで進化してゆく宗教、それが必要なのではないのかと思っています。

そのために、信仰のあり方を変えなければなりません。

なんでも信じる前に、感じろということです。勝手に信じてから感じているのは虚構が入っているのです。

真実は実際に感じることができます。感じさせるのが重要です。