最高の宗教を目指して

この記事は以前の記事、「宗教にも学術会議が必要だ」だったけ?のわかりやすいバージョンです。

人々が救いや、人生の成功を求めて宗教に入ります。

宗教では、教えによって人生を持ち上げることができますが、

自分たちを結束させ、導師のために尽くすようなことになります。

これは個人の自由意志を妨げます。

また、もっといい教えが現れることがあります。間違いも指摘されます。しかし信者は今の宗教が最高だと教育されているので、素直に受け入れられず、それが元で争いが起こります。

宗教の寺院の中にはリーダーのエラさと教えで釣って金を貢がせ、働かせ、結局個人の自由や医師を奪う、カルト化するところがあります。

またそのためにはじめから作られた、カルト宗教もあります。

いろいろな問題が、宗教にあって、信じる人は減っています。そしてやめた人の心の支えは不安定です。

このような問題を克服するには、どのようにしたらいいのでしょうか。

それは、この教えがさいこうと、上から目線で説くのではなく、

この教えが効いた、奇跡が起こった、などとみんなが実感できる教えをとき、

実感できなかったら修正されるような仕組みが必要です。

従来の師匠に絶対服従の仕組みやイタコに頼る仕組みは脆弱性があります。

欠点というのは必ず暴かれるものです。その時に頑固になるのではなく、教団自身が教えを変え、進化させれば、宗教は良くなります。

絶対的な聖典を作っていつまでもそのとおりではなんか妙だし、いろいろな宗教で聖典が絶対正しいと思わせるために、結局いろいろな改ざんをされている・・・

教祖が最高、という理解より、今日その教えを進化させる方に持ってゆく、

科学技術が発達したプロセスを参考に、賢い人みんなで進化してゆく宗教、それが必要なのではないのかと思っています。

そのために、信仰のあり方を変えなければなりません。

なんでも信じる前に、感じろということです。勝手に信じてから感じているのは虚構が入っているのです。

真実は実際に感じることができます。感じさせるのが重要です。

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