学力だけ重視する現代教育のおかしさ

テレビ東京でさっき、ロケット工場の番組やっていたんです。

揚力計算ができるぐらいの飛行機マニアの少年がその志のまま飛行機製造メーカーに入って

周りのみんなが成績だけを追い求め意見が合わなくて悩んでやめたと。で北海道の地元で親の工場をついで

めぐりめぐって大学とロケット開発という不可思議な番組でした。

「どーせむり」を植えつけられて、痛い思いをしたけれど克服したらしいです。

 

夢を追い求める、その志を現代教育は大事にしているのでしょうか?

私は電子工作キットを作るのが好きでしたが、キットを作りまくっていらないものだらけはいや、

工業高校の電子科に入ったらまわりは悪がきか特に興味のまったくない人ばっかりで

いじめられるは友達でできないは授業が淡々と数学と電磁気で実験もマニュアルどおりでデータを取るのに集中して何をやったのかわからない。結論は教科書に書いてある。

わざわざ私のために、今までクラスを25年持ったことない先生を当てました。私以外興味のある人がまったくいないミステリーについて、こんな学校ガキだらけだからと逆選別したかも知れまいと思っている。

本当に精神が崩れましたね。すでに保育園でやられていた私はなんど偉大な存在をつぶしたくなったか。

そうなんです。すくなくとも教育界の大人は子供に夢なんて追い求めていないはずです。

子供には自分自身のための時間なんてまったく要らないのです。勉強と習い事とゲーム漬けにします。

本当は子供が嫌がるのは自分の時間がなくなることです。これは自然界で敏感に生きている動物も同じで、重要なことです。大人は飼いならされています。

夢を実現させることは支配層にとって余計なことなんです。そんなので社会をひっくり返されたら困るんです。

日本の教育は工業なのです。飛びぬけた人が選別されてしまうのです。だから人材が海外に流出します。

大会社の社長もたぶん社員の夢を実現なんて余計な!と思っているのでしょうが、たぶんそうやって日本の家電メーカーが没落しているのです。

だから、成績がよくてなんでも仕事なら引き受けてくれそうな大学生を採るのです。

「どーせむり」とは子供をコントロールするための言葉なのです。勉強をたくさん覚えても実社会で半分もその知識使いませんよね。勉強とは意味のないことまでよく覚え、工場で働くためのマインドをつけるものです。

そして今はそう、機械の企画開発まで特別な志のない生産と同じようなものなんだとわかりました。日本が没落するまでわからないひとにはわからない。

スラドのコメント欄に出ていた話ですが大学院の特訓で自分でCPUこしらえて効率的にUNIXを動かせるなんて人は要らないんです。

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子供が本当に勉強ができない場合にサボるなと言ってはいけない

私の人生、子供のときにできないことがとても多くて、

コミュニケーションは下手でちょっとどつぼにはまったらいじられてそこからあがくといじめられる。

勉強は難しい。単純記憶でいい教科以外では5歳ぐらいハンデが必要です。

そういった、本当に困難な状況にあたったとき、大人は、サボっているのだろうとか、気合でないのか、難しくなんかないとか、そういって

しょうがないとやってみます、心が壊れていくのですね。異常に負荷がかかるのです。

先生も同じようなものです。一から十まで先生のいったことなど覚えられず

教科書をざっと見て例題を先にやればいいのに先生はできないのではなくやる気がないだけだ、自分の言うことを聞け、ノートにとれと何度もいうのでそのとおりにしてしまい

授業は退屈で眠くなってしまいます。はあ。教科書をざっと見て直ちに例題やればよかったのに。

子供のペースや子供の本当にできることを考えてくれないと子供はどうなるでしょうか?

こどもはすねたりぐれたりするものです。しかし私の場合はさらにきついものがあります。

悪霊です。悪霊が答えやヒントを教えてくれるのでそのとおりにすれば、ええわかった気分になるけれど、

悪霊はただで教えてくれるのではないのです。悪霊のいうことをチェックなく全部そのままやって自分や周りが最後に不幸になるとか、また破壊活動を肉体を通してするのが彼らが楽しいのです。

だから心は結構すさんでいくのです。悪霊と友達になってしまえば悪人になるしかありません。

なんらかの浄化があって悪霊が離れるとそこでせっかく覚えたはずのことはなくなってしまうのです。記憶がなくなるのです。どうしたらいいのか結局自分はわからない状況に戻るのです。

その他にも、犯罪者の親にはいくつかパターンがあって、

厳しい勉強をさせる親が子供の心を苦しめ、そういった世界から抜け出すために子供が犯罪を行うことがままあるのだそうです。

そこまで意外と行っていないじゃないかあ、と思ったら、ついに矛先が神そのものに向かっているかもしれない。

いい子に育ってほしい、だけではたりません。それは本能によるものであり、結局親の自分の満足のためなのか、本当に子供に愛を与えているのか、よく見なおしてほしい。