現代デザインのパクリ疑惑に見る限界

こんばんは。

現代デザインは、わけのわからない現代アートと違って、とても美しいものであります。

しかし、現代デザインでは似たような作品が大量にあり、パクリ疑惑で、白か黒か、場合による、とても難しい問題があります。

では私が思っている現代デザインのルーツを語ります。

大量にモノを供給することが求められる19世紀末から出てきたのが現代デザインです。

単純で、加工の手間がいらず、すぐに作れて、なお美しい、というのを求められるのです。

それ以前の貴族たちの調度品は非常に複雑でこっていて作るのが大変です。

科学技術を一般に広めるのに、そんなこったことはできません。ガワを単純にして、使いやすくします。

またロゴデザインや交通デザインは瞬間的にこれだと判断できるのが求められる。これはどう見てもシンプルにするしかないです。

服もそうです。簡単に作れる、シャツに 印刷することが個性です。形はみんな同じです。

しかし現代デザインは人間の心を無機質に近づけてしまうように思えます。結局、小金持ち以上は、手のこんだ美術品や家具やお皿をかい、愛用するのです。

世界各地で建物が、風景が違い、民族服が違い、家具が違う、近くの地域では似通っていても、特色があり、豊かな文化がありました。

現代デザインぐらい似通ったデザインなど、ありませんでした。私なんて韓流ドラマは違和感がしてついて行けないけれどお姫様の服は結構いいと思っている方です。

世界各地に、いろいろな工芸品があり、いろいろな民族服があり、いろいろな建物がありました。私は、そんな各地の豊かな文化が現代デザインに置き換えられてゆくのに妙な不信感があります。

現代デザインはもう少しで飽和してしまう危険があると思っています。ある程度複雑なデザインでないと、似たようなものだらけになるし、複雑なデザインといえば伝統的なものから作るほうがいい。

現代デザインが行き届いたところと、なんか垢抜けない土地、どっちが結局栄えているでしょうか。日本のバブルを振り返って垢抜けない雰囲気が残っていたし、今の中国も垢抜けないし、アメリカのデザインもパワー重視で美しさに視線がいってない。

さらに、垢抜けなさは生命力に直結するでしょう。クレイジーキャッツは滅茶笑える歌をいっぱい作ったが、それまあ今のポップに比べて昔の歌だなあという感じは存在するし、激烈な疲労回復効果のあるとされる韓国のポンチャックに至ってはチープでしょうがない。ポンチャックをK-POPに近づける努力はあるが、やると疲労回復効果がなくなっている。

また現代デザインは実際に人間がいる環境でまったく効果がなくなってしまうこともありえます。これは東京都現代美術館のロビーと展示室の脇の休憩室を比べるとわかる。人間そのものが垢抜けない存在だったのです。

日本の伝統デザインは木造建築の規制で外では廃れたが、中身がどう見ても日本な家なら作れるでしょう。それを期待します。国の特色が失われるとなにかに乗っ取られます。出してゆくべきでしょう。

昔っぽいデザインで一番成功したのが小岩井牧場だと思われる。ひし形のそっけないロゴから、銅版画のような豊かな歴史の有りそうなロゴに変えたのが、なんと1980年代。漂流乳業から「小岩井牛乳」の説明

売れ行きが爆発的に伸びたそうです。伝統デザインはマーケティングにも使える、有力な例です。