私がショタだった頃

私は、たった5年で開発された、多摩の住宅地に生まれた。人間が切り開いた、まさに新天地だった
そこにはなぜか、寺や神社が、極端に少なかった。

あの頃、私は 「自由」そのものを渇望していた
実はなんだが、他の子にも、自由をもたらそうとしていた

自由が欲しかった。人間は自由のもとに成長し、自由になる。
そう思っていた

大人が自由をぶった切った
強制的に同じことをみんなにさせるんだ しかも子供同士と対して変わらないお遊戯だ、わざわざ着替えて体育だ、揚句集団体操だ。

そして、そういうことに抵抗しても大人は頑として自分を曲げなかった

私は自由をもたらすために、ついに暴力にさえ出た
だが体制に従う子供も多く、敵が多くなってきた

私の価値観は非常に混乱した。
ときに自分は最低の価値になり、ときに悪魔になり、女は嫌いになり
この頃に非構造的なおかしな考え方
不幸せや絶望しか居場所がないような感覚を得た

つまり、大人が子供をただ従わせることはOKで、私がやると即逮捕なのだ
私にもう人権や、魂の権利などなかった

そして大堕落が始まった
体制を突き詰めると、国や、女達や、米軍や、大人の言うとおり 神 になる
ついに神に対して、歯向かうことを決意してしまった
異常な大きさで言葉に言えないぐらいの悪想念がいっぱい出た
そして我らの信仰の中心も、おかしくなっていった

私が他人の自由を飲まず、頑として曲げなかった信仰も、他の人と衝突する、力でバトルする世界に落ちていったし、彼らの信仰より優れているといったことも、もはやなかった。もとから信仰心を比べてはいけなかったのだ。

結局小学校では勉強を自分からしようとしてさえ頭に入らないのもあって、無茶苦茶重たい気持ちだったし
いじめもあった
一人で生きてゆくしかなかった
結局多かれ少なかれ、保育園の記憶を延々と繰り返したのだった

私は幸いにして、新たな保育園である作業所と、アンチカルト思想を手にしたので、だいぶ復活してきた

だが、周りを見てどうだろうか
私の生まれたところのラッシュはひどく、首都圏全体の列車運行もよく中止になり、こき使われることを選択せざるを得ない人がいっぱい増えた。
今、私の警告を聞かなかった日本の社会が没落してゆくのを、見ている。それは大きな動きだが、止めることはできず、見ているしかないんだ・・・

気がつけば、私を含めた社会が、暴風雨や地震だらけだったのだ

私は結局 他人の自由を飲み、環境に優しい心を持つという新たな境地に出た。女の時代だ。もう単に獰猛な男ではいられないようだ・・・

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