正義、正論を振りかざすいじめが一番怖い

[悪用厳禁]社会を大混乱させる人物ができるかも知れません。大阿鼻叫喚地獄に落ちるかも知れません。

この種の攻撃を受けて精神障害を起こしている人がいる恐れがあります。当事者の場合よく気をつけ、いつもいく場から離れることをおすすめします。

私が保育園のころにすごいいじめがあって、一時悪魔崇拝に陥るぐらいだったと覚えているのですが、

周りの人から見たら、俺のせいらしい。

一体なにがあったのだろう。

どうも、私はおかしな人間にされたらしい。

私を極悪非道で、暴走する悪魔に改造できれば、

悪魔だから徹底していじめる「べき」人種になるし、

皆が正義だからみんなが私を攻撃することで、快感を得ます。それはもうエクスタシー並なんじゃないかな。

そしたら保母も正義と認識しちゃうし、

さらに手強いのは、エクスタシーを感じ続けるには、私を腐らしたままにしておく必要があり、

ワザと攻撃の隙をつくったりして暴走させたりします。延々と私の心は治りません。

私の方がひどく暴走するので、私が悪いことになります。しかし周りの皆は時に無意識のうちに焚きつけていることを忘れないように。

もう、どうなっているのでしょうか。

正論をうまく使って、自分でも出来ていない完璧なことを相手に突き付け、

相手の自信や独立心を奪い操ることが出来ます。

これはじつはカルト宗教もよく使う手です。

そういった言葉は正論にしては肝心な何かが欠けているので、注意。

自分の正義を主張しまくるうざい人間はなぜいる

正義をつらぬいている人がうざいと思われるのはよくあることだともいます。

いつも正しいことをし、正しい発言をしている、しかし、言葉がうざい。

どうして?

悪いことをしてはいけない。やったら正義を主張され、倒される。でもやりたい。

私の説では、正義の側に憎しみがあるからです。

憎しみが元になった正義は、正義にしてはおかしいです。

正義を武器にして、自分中心の社会を作る恐れがあります。

怒鳴り散らすときその憎しみが姿を表すのです。 本当にうざいと思っていいのはそこです。

嫌な目に散々にあって心の底では本当は憎んでいる正義は、災いをもたらし、延々と悩みに巻き込むでしょう。

これは、職業で正義をやっている人にも当てはまります。

こんな人でも表向きは正義を貫く人です。変です。

わたしは、正義を貫く人の定義を、「環境に優しい」人と再定義したいと思います。

ルールはレールである。

自分の心の中のルールに100%したがっていると、どうもダメになってしまうことが分かった。

小さいころの経験やトラウマから構成されている心の中のルール、

しかし、社会全体が生きているので、そのままでは悪いことが起こる。

そこで、ルールに100%したがっている人は、ルールの変更も別のルール通りなので、新しい発想には限界がある。

まさに、ルールはレールであり、完全にしたがっていると路線を乗り換え乗り換えて元の場所に戻ってしまう。

そうしたら、同じ問題が何度も何度も降りかかってくる!

この様なことは学校生活でもおこり得ます。

しかし先生にしたがうとか、勉強のし方は一定のルール通りなので、それで心の中のルールを完全に決めてしまい、100%したがっていると社会にでた時に異常なまでに混乱することが考えられる。

学校教育でこれが絶対に正しいと教えられた心のルールが実際に社会で通用するかは疑問です。スポーツ教育でも子供会でも多分そうなります。

ルールに100%したがっていると、状態の数が有限で多分一定の数になるので、有限オートマトンと同じになります。これは要するにロボットに等しい。

なんでもコンピューターでできるのはコンピューターのプログラムを創造している人間がいるからで、人間の発想がルール通りだとロボットになる。

自分をアンロックしよう!

それには「ルールにしたがえという命令を撤回します」ときっぱり思う。

不幸になりたい性格は自己敗北性パーソナリティ障害

不幸になりたい、負けたい、苦しみたい、そのような性格をなんとかしたいと思ったことはありませんか?

また、チャーリーブラウンのように、なぜか不幸になる、また不幸を選択していませんか?

自己敗北性パーソナリティ障害 – Wikipedia

この障害はフェミニストが女性への虐待への偏見だと文句を言ったので、正式な分類になっていなく、研究が進んでいませんが、そう言うのに関係なく発生することも大いにありえます。

この手の指摘は不満を持たれる人多いと思いますが、いじめ全般についてどう思われますか。どうもいじめるほうがお前のせいだを叫ぶ、それはこの障害をかぎつけていることがあります。人の心を全く読めないなんて本人が言ってもあり得ないのです。

まさしく自ら不幸へ落ちてゆくとんでもない病気です。

発生メカニズムとしては、少なくとも善悪の価値観が反転し犯罪をおかすのではなく内向きの力になるか、もしくは幸せになる手段が全部断たれてすねている、

この二つを素人の私は考えますが、

一番大事なのは症例の記述その物です。

A. 成人期早期までに始まり、種々の状況で示される全般的な自己敗北型の行動パターン。患者は、しばしば楽しい体験を避けたり途中でやめたりし、自分が苦しむような立場や人間関係にひきこまれ、他者が自分を助けられないようにするが、それは以下のうち、少なくとも5つによって示される。

もっとよい選択が明らかにある時でさえ、失望、失敗、または冷遇を味わう人物や状況を選ぶ
他者が自分を助けようとするのを拒絶、または効果がないようにする
自分個人に良いできごと(例、新しい成功)の後、抑うつ、罪責感、または苦痛を生じるような行動(例、事故)で反応する

他者に、怒り、または拒絶的反応を起こさせて、傷つき、打ち負かされ、辱められたと感じる(例、人前で配偶者をからかい、怒って言い返された後、がっくりする)

楽しみの機会を拒絶し、または楽しいという表現をすることが好きでない(十分な社会的技能も、楽しむ余裕も、あるにもかかわらず)

自分個人の対象としての重要な仕事が、その能力がはっきり示されているにもかかわらず、完成できない(例、仲間の学生に論文を書く手助けをするが、自分のものは書けない)

いつも自分によくしてくれる人達に興味がないか拒絶する(例、異性の相手の世話が好きでない)
期待される見返りのためではなく、過度の自己犠牲に没頭する

B. Aの行動は、身体的、性的、または精神的に虐待されたことに反応して、またはそうなることを予期した場合のみに起こるものではない。

C. Aの行動は患者が抑うつ的である時のみに起こるものではない。

— アメリカ精神医学会、DSM-III-R 精神障害の診断・統計マニュアル[2]

とにかくこの記述その物を見たら自分のやっていることの正体が分かり、解決できます。

Yahoo知恵袋ではキリスト教信者に多いがそれはなぜかという質問が出ています。自己敗北性人格障害という、特定不能の人格障害者の家庭環境が

また、サッカー男子日本代表が非常に惜しい負け方をするのは(例えば、ブラジルにでも何度もゴール前へ攻めるが、シュートがアホ)、これと関係があるのでしょうか?

この障害はとてつもなく堕落する危ない病気なのに、詳しい解決法が書いてある本は見たことがない。「幸福になれない症候群」という本があるが、著者はあの大川隆法だよとだけいっておきます。

じつは不幸を単に目指しているようでいて何か苦しみを回避する仕組みが働いている可能性もあります。

不幸を目指すつもりがないが上記の行動をしてしまうこともあるでしょう。

あまり快楽が強いと落ちたときの痛みも激しいし、幸せになる手段が一度全部絶たれると不幸の範囲しか選べなくなる。

また不幸から逃れると別の不幸にあう。マーフィーをよく読んで納得していませんか?

つまり、人生山をつぶせば谷もない、急に大きな幸運が手に入るとぶっ壊すのです。ところがぶっ壊したところでかわりになりうる物もない、不運だけが蓄積してしまうのです。

戦略が間違っているのならかえるしかありません。

なぜか自分に「こういうことをやりたいんだったら本心なので止められる手段はない」「だったら本気で不幸になろうか」と問うと本心がびくびくし始め躊躇しようか迷います。

なおいわゆる陰謀論に染まっている人もいると思われます。人類への搾取は人類、いや自分が止めるも読んでみてください。

何も感じない人が勝つ

心が読めるようになりたいという人は多いと思います。

心が読めるのは第6感が必要ですが それは、難しい仕組みではなくて、五感というのは感覚器官を通して感じるのですが、第6感は 心が直接感じるものです。五感とあまり関係なしに、心が直接感じます。

心が素直で、外部から思いが入ってこれる心であれば、心が読めます。

自分が読めるのはほんのわずかですが、言葉の言い回しやしぐさは読めるつもりです。心の内の方にある思いはバリアが包んでいるので外部から読むのは難しいのです。

心が読める、そうすると結構困ったことになります。ちょっとしたことで気分が悪くなるのです。とくに人間関係です。

学校のちんぴらが相当強い念力で「死ね」「殺してえ」とかいいながら、問い詰めると本気で殺したいわけではないだと?いや念力なんて証明が出来ないから、こういうのはお前は冗談を本気にしたと先生に言われてしまうのです。

こっちとしては悔しくてしょうがないです。声だって大きくて舐めたような口調の場合でも残念ながら冗談だと言われます。親御さんはそれが現代だと思ってください。

最近も先生が苛めをかばう子供への暴行を止められなかったとか、その先生自体が苛めだと気付かなかったとかいう事件があります。

いじめかばう女児を殴る蹴るの暴行、担任の目前で続くも制止できず 三河の公立小 (痛いニュース)

このように 現代は人の心を読める人が少なく、読めない人がおもいっきりわがまま放題して勝つ時代です。このように人の気持ちを適当に読まないでつっ走ったほうが楽に生きられるという、おかしいことになります。

そういう社会では良心のかけらもないサイコパスこそが支配できるのです。陰謀論で指摘される恐ろしい展開が繰り広げられます。これは仏陀も指摘していたことで、中村元のスッパニパータにも一言書いてあるはずです。

心の読める人が全員サイコパスを無視することで状況は直ると思います。

心理学のシャドウのスピリチュアル的な解釈

心理学って直感的でなくて、わかりづらいですよね。

シャドウといって自分の心の底に抑圧した思いが悪霊や自分を害する他人の形で出る、

というのですが?

このたびは霊的な解釈を構築できたので説明します。

分霊とか分光というのは簡単にできるのですよ。そういう霊がいると思い込むだけです。

タルパといってこの方法で自分をアシストする方法があります、安易に2chの住人が行っていますが非常に危険なのでやめておきましょう。

よく、悪い心を捨てる、といいますよね。悪を去り善を取れ、と。小さいころから、教わってきましたね。

しかし、その悪い心というのは、自分の心の一部というか、なんか独立した意識のように感じませんか?

そして、悪い心を捨てると・・・・

悪い心が自分から独立して振舞うようになります。霊になります。

霊になったその存在は、生霊として他人をつぶしたり、地獄で苦しんだり、自分を捨てた存在に襲い掛かる、そういうことが、

悪霊の障りの1つの、大きなパターンだと思われるのです。

この現象は今までの宗教では説明されていなく、心理学でシャドウといわれるのでしょう。

ほんとうは、悪い心というのは反省して浄化しなくてはいけなく、反省しないまま無理やり捨てると、

大変なことになるよ、そういうことではないのか?

とりあえず散らばった悪い心を回収して反省によって清めないといけないですね。精神は意外と安定状態に近づきます。

また、聖職者は大きな反省のできないうちから完璧を求められ悪い心を無理やり捨てる必要に迫られるので、

悪霊と戦うのですがそれが自分が捨てた悪い心かもよ? また自分をごまかすと後々自分の作った悪霊で大堕落しかねないよ?

そういうことなのです。

この辺特にカルト宗教の教祖は非常に危険なことになると重いますね。

正義とか正しいことって何なの?という人は非常に多いと思いますが、ようは

「環境にやさしい」でいいのではないのか。科学の言葉を用いましたが公害をとめるのと悪い心を放出するのを止めることは本質は一緒だと思います。

思い込みが現実をひずめる

思うようにならないのが、現実だと思っていませんか??しかし、心の中は、思い通りになります。

自分がある時点で思い込んだことが、自分の心をあらぬ方向にひずめる、そういうことがあります。

一旦思い込んでしまえば、それが心の中では現実になるので、それでもって勝手に悩みを作り出しては、思い込みが原因なのですから反省しようとしても表面の4の5の事象しかつかめず原因がわかりません。

だって、思い込んだだけなのですから、自分の心のどこが堕落しているのかなんて行き着くはずはありません。

延々と悩んでいるのなら、一旦思い込みをとってみると、本当の自分が現れ、予想外に安定したふるまいをします。

心の底では信じられずに元に戻そうとまでするでしょう。こんな自分なんて覚えていない!

しかし、予想外に安定したふるまいでいいのです。

あらゆる自分の性格、性質の思い込みをどうなってもいいからやめてみれば、何かが昨日と違います。

上書きされていた自分の本当の性質が現れると、暮らしが変わるでしょう。

性格は、信じるものではなく、感じるものです すっきりしましょう。

同じように、チャネリングをやっている人や、宗教をやっている人も、自分の心に現れる存在についての思い込みをとってみましょう。

真実は信じるものではなく、信じる前から感じられるもののはずです。本や雑誌、ブログをうのみにせず、真実を実際に感じてみる、それがよき道です。

もし、自分の意思で信じたいと思う前に、信じたいんだと思っていると信じさせるような方法を使ってきた宗教はすぐにやめるべきだと思います。

自分がその宗教を自分の意思で信じているのと、信じていると思い込んでいるから信じているのでは、すごい差があります。後者は疑ってみるべきでしょう。