私からの幸福の科学への批判はそろそろ終わり

これ以上批判記事を書くと危ないし、みんな、幸福の科学とは一体どんな宗教なのかもう知っていると思われるので、

そろそろこの次元から抜け出たいと思います。

2017/12/30 結論

こういう年末の節目に 古い神の振る舞いを結論づけたい。

大川総裁はもともと、やはり神なのだと思う。しかし、どういう神なのか。

つまり人間は自分のための存在だったと言うこと。愛なんてない。人間を強い態度で生かさず殺さずに使いまわす神だった。

で、生まれるときも、そういうやり方をして人間を使いまわすように、

醜い姿に生まれ、コンプレックスを植え付け、逆転で人間を支配するように育てろと父に命令し、父はそのまんま実行したのでしょう。だから本当は父親のせいではない。

しかし、もう総裁がこの世でやっていることは、単に威張り散らし、人間から利益を吸い取ることで、霊格はもうどうでもよく、そういったことをしていればいいだけの高級霊の特性もない存在です。

神としての能力も封じています。自分がどんな醜い姿、能なしであろうと、人間からの絶大な愛を求めて、叫びまくっています。

もう、人間が賢くなった日本で、われこそは神だと叫んでも、ハコモノを増やしても、金を集めて豪華な精舎を作っても、それだけで人間は見向きもしません。人間が求めていたのは、やはり神の偉大さであったのです。

そして自分の大事な財産であるたくさんの人間を傷つけて魂を殺してしまいました。まあ一向に介さないと思いますが。

大川総裁は今生は神として自分を地獄に落とすようなことをしてしまったと 結論します。

そして幸福の科学アンチの皆さんから、より進んだ精神で自立した自治を地球で行う、人間の新たな一歩を踏むべきだと思います。

またネットのどこかで指摘があったはずだが、宗教ははじめはカルトだがだんだん丸くなって社会に浸透してゆく説があり、

さらに大川総裁の、毛沢東はあのような政治をしたが絶大な尊敬をされているために天国に行ったという説を重ねると、最後には絶大な尊敬を集めてあの性格で高級霊界に上がろうとする作戦でしょう。霊格ができてからにしてください。あの世の世間も甘くはありません。

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緊急:インターネット独裁者大川隆法のはじまり

彼については気味が悪いことがあります。

どんなに社会的な地位の高い人物に対しても、「守護霊の霊言」をとって、なにも裁判されないこと、芸能プロから清水富美加をまんまと奪ったこと、

これについては、2ch宗教板、告発だけは本物が出てくるこの板で、おてんば私立学院総長なる固定ハンドルの発言が気になります。

つまり詳細については墓場にまで持っていくが実は相当な権力者であり、だれも裁判を起こすことができないと。

また以前の記事で書いたが、昔あったサンフランシスコのサンノゼ支部におぞましい姿の金像があり結社からの借り物だと説明されたという報告、HSU祭でピラミッドの下にバラの絵、

また批判者、特にカルト宗教ウォッチャーで名高い、藤倉善郎氏の幸福の科学関連の記事が選りによってGoogleのBlogspotとTwitterで突然削除され、誰が削除依頼をしたのか、その法律でのまともな理由も何も語られないこと。

追記:幸福の科学出版が出している雑誌、ザ・リバティ 2017年10月号において、大川は これから、独裁者がどこから現れるのか、はっきり言っています。そしてこの削除騒動において、大川自身がその独裁者になることを、はっきりと宣言したのです。

所詮、支配層がやめてしまえば、(もしくは平民がみんな無視すれば)どんな政治システムも変わってしまうものです。

そのうえで、大川隆法氏の権力がいよいよ表に出て、民主主義も三権分立も全部なくなってしまう、全部彼のやりたい放題になることを恐れています。

しかし彼には没落の法則があります。GoogleにもTwitterにも何か変化があるだろうし、

それにくわえ、どういう場合でも 平民が受け入れなければ、新たな政治システムに移行するのは絶対に無理です。本当の神と日本の神とともに ぜひアンチのみんなで頑張りましょう。

独裁webサービスから逃げ出そう

また、インターネットには多様性があり、検索エンジンも、ブログも、SNSも複数あります。ひとつの会社のサービスに依存することをきっぱりやめられるということです。

そういった幾つかあるサービスの中には、ある程度プライバシーを重視し、削除する記事を人がしっかりしたポリシーで選んでくれるところもあります。TorやP2Pなどの完全匿名なものは、犯罪者が多く使っているので逆に警察に目をつけられます。

また、自宅にサーバーをおいて、そこでサイトを運営することもできます。記事を削除するかはアナタ次第になりますが、サーバーのセキュリティ更新とDoSアタックからの防御は欠かせません。dynamic dnsというサービスを使えば、面倒なドメイン名の手続きがいりません。

ドメイン名からサーバーの場所を引いてくれるDNSは色々と検閲されがちですが、uncensord DNSというサービスでは、Bitcoinで寄付を募りながら、無償で検閲なしのDNSを実現してくれます。

更に自分のパソコン自体も武装しましょう。Windowsを脇においてLinux(できればUbuntu以外)を導入して、企業が作った、裏で何をやっているのかわからないプログラムを避け、ネット上のみんなで作り上げたLinuxの潔白なしくみで、プライバシーを守りましょう。実は企業がLinuxを使って、自分のサーバーのプライバシーをガッチリ守っています。

HSU卒業生の末路について

HSU卒業生の進路がないとは思っていません。幸福の科学の法理論はだいたい秘密結社系の流儀です。薔薇十字会のブログを見てください、何処かで教わったような理論ですから。

人工知能に命はないとか、かなり細かい部分まで似ていますね。ここまでになると多読によるパクリだけではないはずです。

同じ価値観を持っている人は採用しやすいのは当然です。

その結社のどれかはまだ確信がついていないが、コネで、とくに世間から隠れるべき企業にすすめる可能性があります。

例えば未来産業学部の人は、最近の共同創作サイトで警告されているような、人類にはまだ早すぎる危ない装置を作る仕事をするかもしれません。

私は人民に必要な技術を与え、それ以上は与えないことを目指しています。

カルト宗教の目的と入信しない方法とは

カルト宗教に入信しない方法は

ずばり 自己中心的な考えをやめないことだと思います。

純粋無垢な人がよく、伝統宗教ではなくカルト宗教に入ってしまう。そういうふうに設計されている宗教だとも言える。

ピュアで疑う機能が低く、正義感や使命感に溢れ、霊と話し、この世に不満を感じている、といった人が、

カルト宗教に限って「奥儀」「秘儀」「真実」「真の歴史」を表に出して喧伝しているために取り込まれるのです。これらはオカルト本で価値の高いモノのパクリやおそらく秘密結社や諜報機関などの情報ソースがある。逆に彼らがやっているということ。

カルト宗教の目的のひとつに、人類の知能を下げるということがある。カルト宗教のせいで、今まで実践されてきた本当の心の教えを、危ないことだと認識する人が増え、例えばいいCMを見るとカルト宗教だと恐れるようになっていますし、神から人間が離れ、享楽に陥っています。

某キリストカルトはCIAの手先だとされているし、なにより幸福の科学によって、宗教がいかなるものかということについて、バカ教祖が支配と金のためにやっているというイメージがついてきています。更に過去のオウムのやり方をなぞるとか、月に一回ニュースになる事件を起こすことにより、信者に気づかれずに宗教のネガティブキャンペーンと、左翼思想の宣伝をすすめているのは、教祖以下幹部の確信犯でしょう。

このように大きなカルトになるほど、単に教祖の金あつめとは思われない、悪魔の広告代理店としての機能が明らかになるのです。

また覚醒した魂をカルト宗教の牢獄に閉じ込め、好きなように人民を支配する意味もあると思われます。

このように、カルト宗教は世の中の真実を探ろうとする人のほとんどをターゲットにして、牢獄に閉じ込めることができる。科学技術から、オカルトから、道徳から、学校問題から、会社経営から。だからかなり深い真実まで切り込んだ人こそ、カルト宗教の甘い誘いは強力になります。まさに陰謀をやっている側の宗教だからです。

で、自分のことで精いっぱいとか、自分が良ければいい、世界の真実なんて気にならないなんて人は、カルトには入らない。

はい。自分中心主義を完全に捨て去ってはいけない。立って半畳寝て一畳の人間に世界は救えるか。

所詮惑星に繁殖してきたちっこいアリこと人間、自分のこと、自分の身の回り、それでいい。

きらびやかな言葉によって踊らされてはいけないです。真実の言霊は波動がいいどころか、ものすごい重たい言葉です。どっしりしています。そして引用がなく、さらに大体は霊言ですらなく言葉を発した人間自身の悟りによって発せられている。

霊言にたよる宗教は殆どがおかしくなっており、伝統宗教は神から十戒などの大事な言葉を受け取ってからは、預言者自身の知恵で運営されてきました。

更に「シルバーバーチ」「魂の法則」に代表される、神や高級霊の言葉を惜しげもなく無償でインターネットで全部明かす活動も出てきて、大きな言霊が広まっています。

我々はなんども なんども カルトに騙されて働かされてきました。そろそろピクミンとして生きるのをやめて、一人ひとり独立して悟りと功徳を求めませんか。それこそがスピリチュアリズムなのではないでしょうか。

またスピリチュアリズムは人生の敗北者がすがりつく人を求めてセミナーを受けるものでありセミナーは結局また人生の敗北者が悟りらしいことを言って金を集める、狭い世界だと言って実社会で成功しろ、とおおいに非難するブログもあります。

心清らかで神のために尽くす人になろうとすると魔にやられる

宗教や道徳などで、心が非常に清らかで神のために宇宙のために人のために尽くすと教わると思います。

しかしこれを素直に実行すると、悪魔とも言うべき霊が囁いてきて、なお貫こうとするとまさに攻撃してきたりします。

挙句悪堕ちして自分も不良や犯罪者やカルトリーダーのようになったり、そうでもできないと精神が錯乱します。

理由はよくわかっていません。ただ次のことも付け加えて実践すると落ち着きます。それは自分のためにも尽くし、自分の必要な体と精神エネルギーを自分に与えると決めることです。

自分の入っている宗教がどこでどういったものであろうとこの対策は取るべきです。とくにできたての宗教の場合集団で悪魔にやられる恐れがあります。

さらに日本で行われる根性論の教育について、

人間が厳しい自然界で生きていた時代はまさに正しく、死ぬ気の努力が必要です。昭和30年代辺りまではまさにそうでした。しかし衣食住がコントロールされ感染症がなくなり、自然から離れて、人間だけの世界ができてどうでしょうか。

努力というのはどこまでするべきなのでしょうか。地獄のような苦しみによる努力はまさに地獄霊を寄せ付けます。そういう苦しみや悩みがエネルギーなのです。本気で苦しむことがない、そこに地獄霊を避けるヒントがあります。

できる人間にとってそのような地獄は学校では存在しないでしょうが、まさか私は、と思ったら部活やクラブや塾をやめ身の丈にあった進路に進むことも考えてください。さらに発達障害も疑うべきパターンがあります。

日本の伝統的なしつけは、人を育てるのではなく、むしろ低レベルだが芸だけは秀でた霊を指導霊にさせることが目標ではないのかと、疑うことがあります。一流あたりではもはや乗っ取られることまで良しとするでしょう。危ないです。

親の愛情は絶対なのか。毒親はありえるのか。

親の愛情は絶対だと言われています。どんな子供でもどんな親でも親から子への愛情は絶対だ、といわれています。

ところが最近は毒親という概念が広まっています。子供の心のためにならない親のことです。

最近は毒親にやられたという訴えを起こす人がどんどん増えています。専門のサイトもいくつもあります。

親はかように子供をいじめるのでしょうか。ありうるのでしょうか。

たとえかなりの悪人であっても、子供はしっかり育てるという傾向にあります。どうもこれは性愛と同じぐらい本能レベルの愛情です。

本能は一族をどう繁栄させ、生き残るかということに注力する。昔ならガタイのいい男、美女に育てたが、今はそう学力、脳の力を良くすることに注力する。そして子供をそっちに向かわせる。実は会話力が一番大事なのだが、何故か会話なんて大したことないと無視する。

親の愛は本能レベルで備わっているものです。肉体の遺伝子プログラムの性質により、親の子供への接し方は色々あると思われますが、

子供に害があるのは「しごく愛」でしょう。正面から愛情を与えず、子供にとって嫌な目に合わせて子供は確かに経験値を得て自立するが、愛が足りず誰からも応援されない孤独を味わうでしょう。肉体は確かに自立できるレベルへ発達するが、心が枯れてしまうのです。

子供に厳格な倫理規制や勉強漬け、ゲーム禁止、など社会から孤立させて親の愛だけで生きるように仕向け、子供の行動、思考を親だけが植え付けられるようにして、完全に親に有線で繋がれデバッグされて、閉ざされた心の空間で優秀な人間になるように培養するが、たいてい失敗します。

そのような人間は自我の芽を親に独自の考えはいらないと潰されている(しかも親の予測不能な行動により、親の心が読めない、人の心を読む法則もつかめない)ので人の意向を受け入れることしかできないので免疫がなく野生のサイコパスや体育系やスネ夫、挙句先生や上司にいともかんたんにこき使われいじめられて終わり(karoushiとかで)なのです。

親の遺伝子プログラムの性質がどうであろうと、私からは心から努力して子育ての方法を探っていけば、かならずそれなりに子供は育つと言っておきます。

しかし先進国で十分なお金があれば子供を産んで育てる、もしくは独身、食うのも水も洗濯も困らない状況で、親が子供のために努力をする範囲が減っているのです。命を親が繋いでくれたという実感が子供には湧きにくい。

さらに心から努力しない親の性質も毒親で検索して明らかで、

子供に知識と体力をつけさせるがしごく愛以外何もしてくれない、その裏には親の親も毒親だった、親自身に心の発達の遅れとか、

更にカルト宗教に取り込まれて子供は二の次でお布施と祈願と伝道活動という自分の時間さえなくなる、ご利益だけが生きる目的みたいな、そういった親もいるようですから、さらに実は教祖自身が毒親にやられているとか。

「1日10時間勉強しないと進学校に入れない人は一番進学校に入っちゃダメな人」という意見に賛同する人続出「ほんとそれ」「全国の親御さんに見てほしい」 togetterまとめ

ほらね。まあこのブログを見ていれば察しのつく教祖が小さい頃からこれをやられているのです。もちろん会員2世3世も。

井口和基氏の言葉を借りますと、まあ世も末だな、となります。ええ、とにかく生きていればどんな目にあってもいい、そんなフクシアの時代は先進国では終わりましたからね。古い人間はおいてけぼりにしましょう。

大川隆法は本当に釈尊や仏ではないのか()

私は幸福の科学の信仰をやめようとしているが、どうも引っかかることがある。

無意識がどこかで幸福の科学や教祖のむごたらしい話を聞いて腑に落ちないのです。

本当は大きい存在ではないのかと思ってしまうのです。どうも疑問が抜けていません。

だがネット上の論者はそのへんウルトラC発想しているので落とし所が見つかるはずです。

本当に釈尊ではないのか

ブッダは信仰心ゼロだった…神様も輪廻転生も、ましてや仏教すら信じないってご存知でしたか

ジャブとしてこのサイトから。ブッダは実は極端な現実主義者で、あの世も神も輪廻も無視する人間であり、後世の科学者のような世の中の捉え方をしていたとあります。

アンチになればわかるが意外と今の大川さんがこういった価値観で生きていても、まったくおかしくない。教団運営はソビエト的であり左翼用語を多用し、平気で芸能人、挙句天皇にさえ勝手に霊言を取るし、金は集めるは神だからってふんぞり返っている。

仏教の開祖・釈迦牟尼(ガウタマ・シッダールタ)の勘違い

このページこそまさに一刀両断です。ブッダは人の情けなどなく平気で家族を捨てていいことがあっても子供ができてさえ悩みが増えたといい、なぜか自分の家族を悟りに導いたのか、それともどうなったかのが仏典に載っていないとか、

スッタニパータの教えもまとめると人生でやるべきことをほうり投げ、執着を断つと言って心を空っぽにして何も感じないようにする、ちょっとでも興奮することを避ける、挙句異性を全部断ってこれが現在まで続いている仏教の汚点です。無我ってなんでしょうか。実は本当に虚しい存在に退化してしまうのではないでしょうか。

そしてそんなブッダがたくさん人を率いて托鉢に回って社会に参加しないで一人頂点に立っている。なんか自分が楽をする努力に関して、異常にうますぎます。

またネット上ではチャネラーが大川さんは過去生で異性を蹴っ飛ばした反動で異性に飲み込まれるぐらいになっていると言いふらしたり、

シルバーバーチのサイトでは釈迦はそんなに霊的レベルの高い人ではないよ、と断言されたりしますね。

こんなのが本当の釈尊なら大川さんの過去生でもありえなくないでしょ。

後世の弟子たちも仏教の歴史で欠かせないですが、むしろ彼らこそが新解釈により仏教をより美しい真理に改良していったのです。だから私はいま勢いのある真如苑が400年後カルト色が取れて伝統宗教扱いになる未来はありえなくないと思っています。

本当に神ではないのか()

大川隆法=ヘルメスはネット上のアンチでかなり支持されている説です。その訳は愛は風の如くではないギリシャ神話を読むと見えてくる。

大川さんは自分に波動の合う存在の霊言なら結構当たるのです。

その一人がおそらく金正恩だとされていて、北朝鮮に監視されているから、もうそっち方面の霊言を取らないという説があるのです。金正日は特別列車の中で亡くなったと発表されるが、CIAはそんな列車は運行されていないと(おそらく衛星写真で)知っているという記事があるぐらいですし

確か彼はアヌンナキだと自分で言っています。神を殺して自分が一番になった神と言われているが・・・

とにかく近年の霊言を見れば彼自身がレプティリアン系ではないとはもう言い切れないです。地球の自然界の神ではなく、植民の神なのです。だからえらい。

それから以前の記事で書いたように、エル・カンターレの波動はどうも天狗の上流かもしれないと感じています。エル・カンターレへの祈りが始まった途端に高尾山の波動に似たのが降りてくるのです。ここらは天狗とは何かを調べないといけません。鞍馬山の魔王尊とかなにか臭いですね。

とにかくこの記事を見ていただければ、大川隆法こそ正当な主宰神であるとともに、祟り神であり、人類を自由にこき使う神であることがわかるでしょう。

本 当 は 恐 ろ し い 、 エ ル ・ カ ン タ ー レ の 天 上 界

「人間をいじめる神」 ~エンリルとアヌ(エル・カンターレ)~

エル・カンターレは、全人類を見殺しにした? ~ノアの洪水の真相~

他にも上記のブログには近年の霊言から読み取れる濃い話がいっぱい。天上界が計画した原爆投下とかもうね。陰謀論みたいだがもはや全部神のせいになっている。こわい。神とはやはり神話に出てくる癖のある性格そのものであったのか??そして全てはエル・カンターレの責任であったと。

もうこれからは人類と心ある高級霊とともに平和的に地球文明を運営してゆきましょう。

#ああああああああ本当にやばいことをかいてしまったなあ・・・ 何が起こるんだろう

#キリスト教と神道はかなり正統性のある宗教のようだ

カルト宗教の教えから考える「全ては逆説」

私のテーマはもっぱら一つのカルト宗教であったが、他のカルトも建物がきれいで、掃除もしてあって波動も良さそうで、それで看板で あれ?と思ったところがあります。

カルトの教えは美しく、批判のしどころもないはずなのに、やってみると心がおかしくなり、治せなくなり布施を差し出すことだけを正解に持って行かれます。

本当に美しいです。信仰が深く敬虔です。真面目一本で、無駄な欲や性欲を始めとする煩悩もなく、くだらないテレビをみなく周りの下劣な話題に加わりません。

そうした会員は美しい心を持っているようにさえ見えます。しかし そうしたポリシーがあるにもかかわらず、やはりおかしくなるのです。学生信者同士ではいさかいが全く無い・・・はずだったのに、特に大人になって特に組織と金目のことで思い切り喧嘩するようです。特に家庭環境が辛く進学、就職で障害があります。

私はカルト宗教がええ古今東西の宗教の教えをうまくまとめ、全く信者に疑問を挟ませずに搾取するやり方を見て、「全ては逆説だ」と思わざるを得ません。

事実はてなアンテナ「幸福のアンテナ」で取り上げられているカルトアンチブログではしょっちゅうその今までの宗教と異なる逆説を発見した報告があるのです。近年は楽山日記さんが多いです。

確か総じてどのような逆説だったかというと・・・

  1. 信仰心やあの世の確信は100%ではない。どこかで証拠のないはっきりしない何かを感じるがそれを認める これこそが更にいい道を見つけたとき、すっと転換できる決めて
  2. 信仰のためなら命まで捧げることについて、それができるかわからないと感じ認める
  3. 自分が一番大事。他の存在を一番にすると自分がおかしくなる。与えきりではついに心の種火が消え失せる。自分のために努力しそのための時間をさく。休みを取らせないのがカルト。休んでくだらない遊びをしよう。
  4. 自分の好き嫌いをはっきりする。やな食べ物は食べない。やな人付き合いはしない。耐えられない努力はしない。戦後自虐史観はもはやひとりひとりのレベルで存在するがもう自己防衛をわがままや意地悪とは言わない。搾取を許すな。神から分かれ出た個体として体一つ分の利益は求めろ。さらに映像や音声の作品は徹底的に自分に適したものを探す。倫理に反するなど劣悪な作品なのに心が共鳴するものこそ、自分の心の汚さを映し出し反省につながる。
  5. 自己啓発、受験戦争で勝って大企業で出世や「スーパ大富豪になってやる」のような自分の勝利をつかむ目標に持っていかない。それはエゴだから。
  6. さらに功徳や名誉や霊的レベルアップや高級霊になる目標を持たない。それもエゴだから。
  7. 無理に自分を作り変えない。無理に反省しない。それもエゴだし、心の底のレベルから修復をかけないと更におかしくなる。そこが変わらないのなら時を待つ。
  8. ちょっと悪い思いや悪いことをしただけで猛烈に神に謝り反省を始め小一時間いじけるというのは逆に精神不安定で地獄行きに。
  9. 現実を見る。人間が平等に作られていないのを見る。自分のできないことを認める。無理に菩薩にならない。平等主義は近現代に狂ってしまったがはるか昔において素朴であり当時の素朴な信仰もあって間違ってはいなかったはず。
  10. 地獄や地獄霊や原罪を全く気にしない。逆にしょっちゅうそれらを語る者がカルトだともいう。罪を負っても泣かないで一歩一歩戻れ。
  11. 異性欲はやみくもに禁じてはいけない。それで爆発したカルト教祖も、女性性が怖く女や母や女神をも罵倒した管理人もいる。慎重に。エロ画像がなぜ氾濫する必要があるのか考える(当の女も見るぞ)。我慢できないなら踏み出してもいいらしい。
  12. お経や祈願や研修にとらわれない。エゴで持って唱えたらそれでいいものでもなく、すでに毎日が研修であるから。
  13. ドラマの斎藤さんみたいにならない。ごく自然体で周りを挑発しない。無理に周りの人間を書き換えようとしない。これは障害児教育のやり方。
  14. 宗教でも学校でも会社でも疑問に思ったことは考え口に出す。疑問を消そうとしない。そうやって科学や心理学は発展したのだし。何が幸福の科学だろうか。
  15. 周りのくだらない話題に合わせる。なぜかというとそこで語られる知識を得るのではなく、それ自体が愛の交換であるから。
  16. ただでできる、安くできる功徳や心や脳の向上のやり方を探る。自分で修理や裁縫をするとか、自分でパソコンの動きを軽くするとか。
  17. 組織を第一にしない。組織に入ると人間はその細胞になり、その野望や派閥闘争、上下関係に巻き込まれる。人間一人では止められない。とくに宗教を組織にしてはいけないというクリシュナムルティの説が有名。
  18. 何も「偉くない」ごく平凡で普通であることの尊さを知る。むしろそこに真理そのものがあるのではないのか。

私はむしろ組織宗教が今でも政府とくっついているように人民支配のやり方の一つで、人民に倫理観を覚えさせつつ強力な魔術によって政府を転覆されないように心の力に制限をかけるコントロールの一種だったという結論に至ります。だから宗教の教えの中にそうした制限コントロールをかける何かはすでにあったのです。これは学校も学術会議(特に科学、電磁気など)も会社も同じで道理で一定数そういったものに抗う自由人や芸術家がいたわけです。自分たちの食い扶持のために、自分たちしか真理をわからない、自分たちを覆せない、自分たちがいなければ何もできない状態に持っていきたいのです。

カルト宗教はそういった仕組みを最大化させ教祖だけが得をするように仕向けているのですから、まさに教科書的で、かつての堅苦しい聖書の解釈による天動説や異端尋問に類する問題を引き起こしあげく教祖の教えをそのままコピーしかできず従来の宗教の限界や間違いをすべて統合させた古すぎる宗教になるのです。

カルト宗教で悪魔にやられる理由がまさしくそのへんにあって、たとえ心の中では真の神を信じていたとしても、堅苦しく遊びの時間、自分の時間のない、勉強と教学だけ、心に栄養のないただこき使われるというときにやってくるのです。適当に自分の遊ぶ時間を持っている人間は自分が悪堕ちしていなければそう悪魔にやられません。だがカルト宗教の人間は優れた正しい心を持とうとしているが、悪魔にやられるのです。

私は急に信者が浄化される宗教というものに警戒しなければいけないと感じています。カルトの手口の最初が急に人を良くする、本当に浄化さえするものではないのか、オウム真理教の音楽は今でも非常に評価が高いし、最初はいっぱい得をさせるのは投資詐欺みたいです。本当に心が浄化されるから感謝して信じ、自らマインドコントロールされる。おそらく夢を見れるのはほんの1,2か月ほどでしょう。本物はむしろ自らのペースで修行を進めさせなかなか人が変わらないと思われます。

さて新しい信仰のあり方はどうなるのでしょうか。アンチブログを見てもわかるようにカルトアンチはだいたい自分独自の道を歩み出すものであります。唯物論から神道までさまざまな人間が自身で世界を観察しその実相を探っています。そのために自我は欠かせません。自我をなくすのではなく育てることにこそ真にカルトを滅ぼし正しい信仰へ持ってゆくのです。