心清らかで神のために尽くす人になろうとすると魔にやられる

宗教や道徳などで、心が非常に清らかで神のために宇宙のために人のために尽くすと教わると思います。

しかしこれを素直に実行すると、悪魔とも言うべき霊が囁いてきて、なお貫こうとするとまさに攻撃してきたりします。

挙句悪堕ちして自分も不良や犯罪者やカルトリーダーのようになったり、そうでもできないと精神が錯乱します。

理由はよくわかっていません。ただ次のことも付け加えて実践すると落ち着きます。それは自分のためにも尽くし、自分の必要な体と精神エネルギーを自分に与えると決めることです。

自分の入っている宗教がどこでどういったものであろうとこの対策は取るべきです。とくにできたての宗教の場合集団で悪魔にやられる恐れがあります。

親の愛情は絶対なのか。毒親はありえるのか。

親の愛情は絶対だと言われています。どんな子供でもどんな親でも親から子への愛情は絶対だ、といわれています。

ところが最近は毒親という概念が広まっています。子供の心のためにならない親のことです。

最近は毒親にやられたという訴えを起こす人がどんどん増えています。専門のサイトもいくつもあります。

親はかように子供をいじめるのでしょうか。ありうるのでしょうか。

たとえかなりの悪人であっても、子供はしっかり育てるという傾向にあります。どうもこれは性愛と同じぐらい本能レベルの愛情です。

本能は一族をどう繁栄させ、生き残るかということに注力する。昔ならガタイのいい男、美女に育てたが、今はそう学力、脳の力を良くすることに注力する。そして子供をそっちに向かわせる。実は会話力が一番大事なのだが、何故か会話なんて大したことないと無視する。

親の愛は本能レベルで備わっているものです。肉体の遺伝子プログラムの性質により、親の子供への接し方は色々あると思われますが、

子供に害があるのは「しごく愛」でしょう。正面から愛情を与えず、子供にとって嫌な目に合わせて子供は確かに経験値を得て自立するが、愛が足りず誰からも応援されない孤独を味わうでしょう。肉体は確かに自立できるレベルへ発達するが、心が枯れてしまうのです。

子供に厳格な倫理規制や勉強漬け、ゲーム禁止、など社会から孤立させて親の愛だけで生きるように仕向け、子供の行動、思考を親だけが植え付けられるようにして、完全に親に有線で繋がれデバッグされて、閉ざされた心の空間で優秀な人間になるように培養するが、たいてい失敗します。

そのような人間は自我の芽を親に独自の考えはいらないと潰されている(しかも親の予測不能な行動により、親の心が読めない、人の心を読む法則もつかめない)ので人の意向を受け入れることしかできないので免疫がなく野生のサイコパスや体育系やスネ夫、挙句先生や上司にいともかんたんにこき使われいじめられて終わり(karoushiとかで)なのです。

親の遺伝子プログラムの性質がどうであろうと、私からは心から努力して子育ての方法を探っていけば、かならずそれなりに子供は育つと言っておきます。

しかし先進国で十分なお金があれば子供を産んで育てる、もしくは独身、食うのも水も洗濯も困らない状況で、親が子供のために努力をする範囲が減っているのです。命を親が繋いでくれたという実感が子供には湧きにくい。

さらに心から努力しない親の性質も毒親で検索して明らかで、

子供に知識と体力をつけさせるがしごく愛以外何もしてくれない、その裏には親の親も毒親だった、親自身に心の発達の遅れとか、

更にカルト宗教に取り込まれて子供は二の次でお布施と祈願と伝道活動という自分の時間さえなくなる、ご利益だけが生きる目的みたいな、そういった親もいるようですから、さらに実は教祖自身が毒親にやられているとか。

「1日10時間勉強しないと進学校に入れない人は一番進学校に入っちゃダメな人」という意見に賛同する人続出「ほんとそれ」「全国の親御さんに見てほしい」 togetterまとめ

ほらね。まあこのブログを見ていれば察しのつく教祖が小さい頃からこれをやられているのです。もちろん会員2世3世も。

井口和基氏の言葉を借りますと、まあ世も末だな、となります。ええ、とにかく生きていればどんな目にあってもいい、そんなフクシアの時代は先進国では終わりましたからね。古い人間はおいてけぼりにしましょう。

大川隆法は本当に釈尊や仏ではないのか()

私は幸福の科学の信仰をやめようとしているが、どうも引っかかることがある。

無意識がどこかで幸福の科学や教祖のむごたらしい話を聞いて腑に落ちないのです。

本当は大きい存在ではないのかと思ってしまうのです。どうも疑問が抜けていません。

だがネット上の論者はそのへんウルトラC発想しているので落とし所が見つかるはずです。

本当に釈尊ではないのか

ブッダは信仰心ゼロだった…神様も輪廻転生も、ましてや仏教すら信じないってご存知でしたか

ジャブとしてこのサイトから。ブッダは実は極端な現実主義者で、あの世も神も輪廻も無視する人間であり、後世の科学者のような世の中の捉え方をしていたとあります。

アンチになればわかるが意外と今の大川さんがこういった価値観で生きていても、まったくおかしくない。教団運営はソビエト的であり左翼用語を多用し、平気で芸能人、挙句天皇にさえ勝手に霊言を取るし、金は集めるは神だからってふんぞり返っている。

仏教の開祖・釈迦牟尼(ガウタマ・シッダールタ)の勘違い

このページこそまさに一刀両断です。ブッダは人の情けなどなく平気で家族を捨てていいことがあっても子供ができてさえ悩みが増えたといい、なぜか自分の家族を悟りに導いたのか、それともどうなったかのが仏典に載っていないとか、

スッタニパータの教えもまとめると人生でやるべきことをほうり投げ、執着を断つと言って心を空っぽにして何も感じないようにする、ちょっとでも興奮することを避ける、挙句異性を全部断ってこれが現在まで続いている仏教の汚点です。無我ってなんでしょうか。実は本当に虚しい存在に退化してしまうのではないでしょうか。

そしてそんなブッダがたくさん人を率いて托鉢に回って社会に参加しないで一人頂点に立っている。なんか自分が楽をする努力に関して、異常にうますぎます。

またネット上ではチャネラーが大川さんは過去生で異性を蹴っ飛ばした反動で異性に飲み込まれるぐらいになっていると言いふらしたり、

シルバーバーチのサイトでは釈迦はそんなに霊的レベルの高い人ではないよ、と断言されたりしますね。

こんなのが本当の釈尊なら大川さんの過去生でもありえなくないでしょ。

後世の弟子たちも仏教の歴史で欠かせないですが、むしろ彼らこそが新解釈により仏教をより美しい真理に改良していったのです。だから私はいま勢いのある真如苑が400年後カルト色が取れて伝統宗教扱いになる未来はありえなくないと思っています。

本当に神ではないのか()

大川隆法=ヘルメスはネット上のアンチでかなり支持されている説です。その訳は愛は風の如くではないギリシャ神話を読むと見えてくる。

大川さんは自分に波動の合う存在の霊言なら結構当たるのです。

その一人がおそらく金正恩だとされていて、北朝鮮に監視されているから、もうそっち方面の霊言を取らないという説があるのです。金正日は特別列車の中で亡くなったと発表されるが、CIAはそんな列車は運行されていないと(おそらく衛星写真で)知っているという記事があるぐらいですし

確か彼はアヌンナキだと自分で言っています。神を殺して自分が一番になった神と言われているが・・・

とにかく近年の霊言を見れば彼自身がレプティリアン系ではないとはもう言い切れないです。地球の自然界の神ではなく、植民の神なのです。だからえらい。

それから以前の記事で書いたように、エル・カンターレの波動はどうも天狗の上流かもしれないと感じています。エル・カンターレへの祈りが始まった途端に高尾山の波動に似たのが降りてくるのです。ここらは天狗とは何かを調べないといけません。鞍馬山の魔王尊とかなにか臭いですね。

とにかくこの記事を見ていただければ、大川隆法こそ正当な主宰神であるとともに、祟り神であり、人類を自由にこき使う神であることがわかるでしょう。

本 当 は 恐 ろ し い 、 エ ル ・ カ ン タ ー レ の 天 上 界

「人間をいじめる神」 ~エンリルとアヌ(エル・カンターレ)~

エル・カンターレは、全人類を見殺しにした? ~ノアの洪水の真相~

他にも上記のブログには近年の霊言から読み取れる濃い話がいっぱい。天上界が計画した原爆投下とかもうね。陰謀論みたいだがもはや全部神のせいになっている。こわい。神とはやはり神話に出てくる癖のある性格そのものであったのか??そして全てはエル・カンターレの責任であったと。

もうこれからは人類と心ある高級霊とともに平和的に地球文明を運営してゆきましょう。

#ああああああああ本当にやばいことをかいてしまったなあ・・・ 何が起こるんだろう

#キリスト教と神道はかなり正統性のある宗教のようだ

カルト宗教の教えから考える「全ては逆説」

私のテーマはもっぱら一つのカルト宗教であったが、他のカルトも建物がきれいで、掃除もしてあって波動も良さそうで、それで看板で あれ?と思ったところがあります。

カルトの教えは美しく、批判のしどころもないはずなのに、やってみると心がおかしくなり、治せなくなり布施を差し出すことだけを正解に持って行かれます。

本当に美しいです。信仰が深く敬虔です。真面目一本で、無駄な欲や性欲を始めとする煩悩もなく、くだらないテレビをみなく周りの下劣な話題に加わりません。

そうした会員は美しい心を持っているようにさえ見えます。しかし そうしたポリシーがあるにもかかわらず、やはりおかしくなるのです。学生信者同士ではいさかいが全く無い・・・はずだったのに、特に大人になって特に組織と金目のことで思い切り喧嘩するようです。特に家庭環境が辛く進学、就職で障害があります。

私はカルト宗教がええ古今東西の宗教の教えをうまくまとめ、全く信者に疑問を挟ませずに搾取するやり方を見て、「全ては逆説だ」と思わざるを得ません。

事実はてなアンテナ「幸福のアンテナ」で取り上げられているカルトアンチブログではしょっちゅうその今までの宗教と異なる逆説を発見した報告があるのです。近年は楽山日記さんが多いです。

確か総じてどのような逆説だったかというと・・・

  1. 信仰心やあの世の確信は100%ではない。どこかで証拠のないはっきりしない何かを感じるがそれを認める これこそが更にいい道を見つけたとき、すっと転換できる決めて
  2. 信仰のためなら命まで捧げることについて、それができるかわからないと感じ認める
  3. 自分が一番大事。他の存在を一番にすると自分がおかしくなる。与えきりではついに心の種火が消え失せる。自分のために努力しそのための時間をさく。休みを取らせないのがカルト。休んでくだらない遊びをしよう。
  4. 自分の好き嫌いをはっきりする。やな食べ物は食べない。やな人付き合いはしない。耐えられない努力はしない。戦後自虐史観はもはやひとりひとりのレベルで存在するがもう自己防衛をわがままや意地悪とは言わない。搾取を許すな。神から分かれ出た個体として体一つ分の利益は求めろ。さらに映像や音声の作品は徹底的に自分に適したものを探す。倫理に反するなど劣悪な作品なのに心が共鳴するものこそ、自分の心の汚さを映し出し反省につながる。
  5. 自己啓発、受験戦争で勝って大企業で出世や「スーパ大富豪になってやる」のような自分の勝利をつかむ目標に持っていかない。それはエゴだから。
  6. さらに功徳や名誉や霊的レベルアップや高級霊になる目標を持たない。それもエゴだから。
  7. 無理に自分を作り変えない。無理に反省しない。それもエゴだし、心の底のレベルから修復をかけないと更におかしくなる。そこが変わらないのなら時を待つ。
  8. ちょっと悪い思いや悪いことをしただけで猛烈に神に謝り反省を始め小一時間いじけるというのは逆に精神不安定で地獄行きに。
  9. 現実を見る。人間が平等に作られていないのを見る。自分のできないことを認める。無理に菩薩にならない。平等主義は近現代に狂ってしまったがはるか昔において素朴であり当時の素朴な信仰もあって間違ってはいなかったはず。
  10. 地獄や地獄霊や原罪を全く気にしない。逆にしょっちゅうそれらを語る者がカルトだともいう。罪を負っても泣かないで一歩一歩戻れ。
  11. 異性欲はやみくもに禁じてはいけない。それで爆発したカルト教祖も、女性性が怖く女や母や女神をも罵倒した管理人もいる。慎重に。エロ画像がなぜ氾濫する必要があるのか考える(当の女も見るぞ)。我慢できないなら踏み出してもいいらしい。
  12. お経や祈願や研修にとらわれない。エゴで持って唱えたらそれでいいものでもなく、すでに毎日が研修であるから。
  13. ドラマの斎藤さんみたいにならない。ごく自然体で周りを挑発しない。無理に周りの人間を書き換えようとしない。これは障害児教育のやり方。
  14. 宗教でも学校でも会社でも疑問に思ったことは考え口に出す。疑問を消そうとしない。そうやって科学や心理学は発展したのだし。何が幸福の科学だろうか。
  15. 周りのくだらない話題に合わせる。なぜかというとそこで語られる知識を得るのではなく、それ自体が愛の交換であるから。
  16. ただでできる、安くできる功徳や心や脳の向上のやり方を探る。自分で修理や裁縫をするとか、自分でパソコンの動きを軽くするとか。
  17. 組織を第一にしない。組織に入ると人間はその細胞になり、その野望や派閥闘争、上下関係に巻き込まれる。人間一人では止められない。とくに宗教を組織にしてはいけないというクリシュナムルティの説が有名。
  18. 何も「偉くない」ごく平凡で普通であることの尊さを知る。むしろそこに真理そのものがあるのではないのか。

私はむしろ組織宗教が今でも政府とくっついているように人民支配のやり方の一つで、人民に倫理観を覚えさせつつ強力な魔術によって政府を転覆されないように心の力に制限をかけるコントロールの一種だったという結論に至ります。だから宗教の教えの中にそうした制限コントロールをかける何かはすでにあったのです。これは学校も学術会議(特に科学、電磁気など)も会社も同じで道理で一定数そういったものに抗う自由人や芸術家がいたわけです。自分たちの食い扶持のために、自分たちしか真理をわからない、自分たちを覆せない、自分たちがいなければ何もできない状態に持っていきたいのです。

カルト宗教はそういった仕組みを最大化させ教祖だけが得をするように仕向けているのですから、まさに教科書的で、かつての堅苦しい聖書の解釈による天動説や異端尋問に類する問題を引き起こしあげく教祖の教えをそのままコピーしかできず従来の宗教の限界や間違いをすべて統合させた古すぎる宗教になるのです。

カルト宗教で悪魔にやられる理由がまさしくそのへんにあって、たとえ心の中では真の神を信じていたとしても、堅苦しく遊びの時間、自分の時間のない、勉強と教学だけ、心に栄養のないただこき使われるというときにやってくるのです。適当に自分の遊ぶ時間を持っている人間は自分が悪堕ちしていなければそう悪魔にやられません。だがカルト宗教の人間は優れた正しい心を持とうとしているが、悪魔にやられるのです。

私は急に信者が浄化される宗教というものに警戒しなければいけないと感じています。カルトの手口の最初が急に人を良くする、本当に浄化さえするものではないのか、オウム真理教の音楽は今でも非常に評価が高いし、最初はいっぱい得をさせるのは投資詐欺みたいです。本当に心が浄化されるから感謝して信じ、自らマインドコントロールされる。おそらく夢を見れるのはほんの1,2か月ほどでしょう。本物はむしろ自らのペースで修行を進めさせなかなか人が変わらないと思われます。

さて新しい信仰のあり方はどうなるのでしょうか。アンチブログを見てもわかるようにカルトアンチはだいたい自分独自の道を歩み出すものであります。唯物論から神道までさまざまな人間が自身で世界を観察しその実相を探っています。そのために自我は欠かせません。自我をなくすのではなく育てることにこそ真にカルトを滅ぼし正しい信仰へ持ってゆくのです。

大川隆法の著作が簡単にわかりやすく理解できる理由

私は清水富美加さんの事件が終わってもまだアンチを続けるつもりですからね。

で、肝心なことを皆さん忘れていませんか?

大川隆法の著作ってみんな心の底で知っているような当たり前っちゃ当たり前っぽい

かんたんなことを書いているし、しかもレプティリアンはレプタリアン、あくりょうをあくれい、などと用語をかんたんにするし、これは大事な教えだと主張する代わりにかんたんに書いておわり。

いや、小さい子供にとって結構読みやすい本なのですよ。小6でも読めます。それで成功理論がわかる。

でも、実践できない教えがある。極端に現実を無視する何でも思い通りになるようなプラス思考や、人生の悩みをかんたんに片付ける教え、小学生でも全貌がわかる単純な教えの世界、最後は信仰、それも大川隆法を信用しなさいよレベルの話。

それってなんでしょうか。

当たり前のいいこと、みんな知っているいいこと、全部大川隆法の本に書いてある。これは信者の脳に大川隆法の考えを受け入れさせる方法なのです。

信者の脳はいいこと、みんな知っていることがいっぱい書いてある本は悪い本ではない、むしろかなりいい本だと思ってしまいます。ただ仕掛けがあるとおもうのです。その本の中の、行間、わずかな一言二言、何が書いてあるのでしょうか。それは自分で考えるのをやめ本に書いてある考えをやるようにすること。

そして、みんな知っていること以上の素晴らしい悟りが書いてあったことはあったのでしょうか。

大川隆法のオカルトの話はとても魅力的。しかしそれらを覚えるに連れ、どんどん周りの認識と違って、どんどん信者だけの世界観にハマって、周りの友達いなくなるよ? それが正しいことだったとして、この世で知ったところでなんになるんだい?心の修行や成長につながる教えなのかい?TOCANAやセキルバーグや月刊ムーやあげく週刊誌みたいじゃないの。あげくわたしなんて未だに永久機関の研究やっている。できるまでのたうち回るよ!

そう未だに残っているサクセスNo1のきおく。私の後代のみんなが持っているだろう「サクセスNo.1」の精神を読んでみます。

いいことすごくイパイ書いてあるね。しかしここに書いてあることをまともに100%実践したら多分精神が潰れてしまうんじゃないのかな。悪いことをしてはいけない、勉強しなさい、いいことです。

しかし一点の心の余裕もない。つねに想念に気を使い、悪いことはぐっとこらえ、できない勉強もできると思いこんでやらないといけない。悪い思いを出してしまうのが自分。もはや自分であることをやめないといけない。自分の心を殺さないといけない。自我力でやるなと言われたでしょう。

周りがね。世界情勢そっくりだけれど ずるがしこくて いじわるで 暴力も 暴言もはいて、自分の利益を求め、自分を押し通そうとしているときにだ、一人で自分を消そうとしている。なにもそういった人に言葉でやり返せないまでに。そうして、まんまといじめられるんだ。

いつも成績優秀だけれど なにかこういう材料で好きなものを作ってくださいという授業は0点だね。感想文も苦手かもね。まるで何も思いつかないもの。だって人の言う事聞いて従うことしか知らないから。さらに家庭科も苦手になりかねないし、さらに日教組の日本は戦争で世界を破壊した悪い国です、永遠に記憶に残し、償いましょうというとんでもない鬱教育を受け入れて、自分の心まで焦土になりかねない。

そして守護霊の概念。私の場合自分の心を殺してしまったから偽守護霊に入られて人生のあらぬ道へ進んでしまう。究極には自分しか自分を守る人はいない。自分を消したら即なにかに入られるんだ。

そう、こんなに自分を縛るのは、「神そのもの」です。神を潰したくなるぐらい精神が荒れ果て、悪いことを必死で我慢しているつもりでも もはや絶対に周りに大迷惑かけている。逆にこんなに自分の心を縛るのは神などではないと思ったほうが悪想念がかなり減ってくれるものです。

精神をこじらせて 祈願や研修を受けさせ、障害持ちになってもハッピースマイルクリニックとユーアーエンゼルで囲い込みですよ。多分そこでも一点の心の余裕もないんじゃないの?さらに大人になったらプラスお布施だよ?年収750万はないとこの宗教はやっていけないと言われているんだよ?

幸福の科学の信仰なんて適当にしようよ。悪いことをたまにやっても、この日本はちゃんと処罰があったり人とぶつかって喧嘩して成長できるようになっているから。逆に自分のすべてを我慢するとエルサみたいにすべてを凍らせかねないよ!幸福の科学まで、もちろんそのトップまで凍るよ!

そして気が向いたら神社に行こう。日本の神は一つの国にしかいない神にしてはとても優れている。他の国の神はあんなに清々しい雰囲気はない。なんせ幸福の科学の精舎は目に目に映る豪華な作りだが霊波動が「ない」から。

幸福の科学の頑固なところは現実を見ないことだ。今のオカルト系の本流スピリチュアリズムではグラウンディングといって足を地面の波動にする技まである。現実に足をつけて力強くあるけば、どんなに無能だろうと道が開ける。幸福の科学は現実で何度も負けている。

自分も他人もたまに愚痴をこき悪いことをする現実において、どのような信仰生活を送るべきか。それがわかってくると、大川隆法の本の間違いが見えてくる。正しいことばかり書いてあるはずなのに、やってみるとどんどん自分も他人もおかしくなる。幸福の科学からしたらゆるいぐらいの努力が一番実績を上げ、心を確実に成長させる。

気が向いたらでかい公園に行こう。バラ園にも行こう。こうえんつながりでライブに行こう。博物館にいってわけのわからない昔の機械で興奮しよう。そして伝統的な大きな寺社に行こう。檀家さんが集まって作った大きな立派な寺社。この波動が本物の信仰だ。

博打ならパチンコ競馬宝くじ株はだめ。ハードオフで安くジャンク品を買ってそのまま、もしくはかんたんな修理で使えるか賭けてみる。そのあたり確率は大したもので直したものをヤフオクで転売するせどりという職業まである。それでも年収は750万行くわけがないけれどね。

悪魔性を全部排除すると弱くなる

海賊ルフィや怪盗ルパン及びIII世、大人気。なぜか人間は適当にワルい男を好むようです。

またあるスマホゲームの代名詞といえば、「サタン」で、「お祝いサタン」などの特別仕様があるようです。

翻って正しく有りたい人間は、いい子でありたい人間はどうでしょうか。全然強くない。むしろ打たれ弱いのがふつうで、ガリ勉のレッテルを貼られ、独りで縮こまったりしています。

悪魔って本当は何なのでしょうか。それは自分だけの利益を最大に求め、他人を傷つけこき使い、神に挑戦までし、やがて神に負けるも懲りもせずにまた計画を立てる存在だったはずです。

これってどこがいいことなのでしょうか。どこもいいことない。と思ったら何か間違っています。

悪魔の元気どこから出てくるのでしょうか。負けてもなお自分を貫き通す元気がどこから出るのでしょうか。

悪魔の持っているベクトルのひとつ、自分を貫き通すという力を全く失った人間は・・・いじめられるだけです。悪魔を完全に否定するとそこまで否定して自分自身が弱くなってしまうのです。

天狗とか、妖怪や龍とか祟り神とか、発明家ニコラテスラとか、ときに恐ろしいぐらいに妖気を感じますね。あんなのがと思っているひとへ、あれはあれで自分を貫き通す力が強くて、かつ善である。そういったベクトルは宇宙の力の一部です。

いかがでしょうか。善人が時として羊とまで言われる現状、悪堕ちはしないがあのぐらいの元気は時には必要なのではないでしょうか。

強いやつがほしい。力がほしい。力の操り方を知りたい。だから海賊や泥棒、悪魔までが漫画に出てくるのではないでしょうか。

カルトのアンチは心が死んでいる可能性がある

脳は問うた。おまえはどこで感動しているのか。どこで好きと感じ、嫌いと感じているのか。どこで何かやりたいと思っているのか。

おまえはどこで興奮しているのか。

その瞬間、体の中が静まり返った。何もないかのごとく。

胸や腹にはほとんどなにもなかった。

脳は少し解析して、結論を出した。どうも心は相当に邪魔扱いされたらしい。心はついに他者となかよくし、自分も損をしない方法を見つけることができなかったと。とにかく邪魔だったと。

自分を他人から守ることにだけ心は注目していたようだ。他人に譲らず、自分を通すことしかやろうとしない。こんな心は消される。なぜそうなったかはデータが足りない。まわりで喧嘩がたえなかったからそこで学習したのか。脳が人間の社会が譲り合いと協力で成り立っているのを理解し肯定したときには肉体の背は4倍5倍になっていた。

ついに感情の殆どは脳が計算したものであったと。それは心でいることができなかったからだと。心には権利が与えられていなかったと。

心は散々にいじめを受けたらしい。クラスの同級生の主流は心と仲良くなる意思が存在していなかったと。なにをやっても存在自体が悪か空気であったと。

心は散々に注意され矯正されたらしい。親には礼儀と作法と習慣を厳格にそのとおりやるようにしつけられた。学校では単に先生に従い、まったく新しい提案を出してはいけないことを教わった。体育ではできないことはできないことなのにできるようにならなければ恥ずかしいと教えられた。愛とかやさしさとか授業では役に立たない。国語は何をどうすれば得点が取れるかわからなかった。数学の知能はついになかった。意外にも心がないと解けないのだ。

そしてその裏にはカルト宗教もあるらしい。カルトの教祖にもはや信者の自由意志=心などいらないただきょうその教祖の教えをやり金を貢げばいいだけので、徹底的にそれを少なくするのだ。それも悪いことだと思えないきれいな言葉を使い行動の種類を減らすように働きかけると脳は解析した。

私が1984の映画を見たくない、気味が悪い理由がわかった。この記事は注意標識だからみんなも振り返ってみるべきだと脳は書き込んだ。