カルト宗教の教えから考える「全ては逆説」

私のテーマはもっぱら一つのカルト宗教であったが、他のカルトも建物がきれいで、掃除もしてあって波動も良さそうで、それで看板で あれ?と思ったところがあります。

カルトの教えは美しく、批判のしどころもないはずなのに、やってみると心がおかしくなり、治せなくなり布施を差し出すことだけを正解に持って行かれます。

本当に美しいです。信仰が深く敬虔です。真面目一本で、無駄な欲や性欲を始めとする煩悩もなく、くだらないテレビをみなく周りの下劣な話題に加わりません。

そうした会員は美しい心を持っているようにさえ見えます。しかし そうしたポリシーがあるにもかかわらず、やはりおかしくなるのです。学生信者同士ではいさかいが全く無い・・・はずだったのに、特に大人になって特に組織と金目のことで思い切り喧嘩するようです。特に家庭環境が辛く進学、就職で障害があります。

私はカルト宗教がええ古今東西の宗教の教えをうまくまとめ、全く信者に疑問を挟ませずに搾取するやり方を見て、「全ては逆説だ」と思わざるを得ません。

事実はてなアンテナ「幸福のアンテナ」で取り上げられているカルトアンチブログではしょっちゅうその今までの宗教と異なる逆説を発見した報告があるのです。近年は楽山日記さんが多いです。

確か総じてどのような逆説だったかというと・・・

  1. 信仰心やあの世の確信は100%ではない。どこかで証拠のないはっきりしない何かを感じるがそれを認める これこそが更にいい道を見つけたとき、すっと転換できる決めて
  2. 信仰のためなら命まで捧げることについて、それができるかわからないと感じ認める
  3. 自分が一番大事。他の存在を一番にすると自分がおかしくなる。与えきりではついに心の種火が消え失せる。自分のために努力しそのための時間をさく。休みを取らせないのがカルト。休んでくだらない遊びをしよう。
  4. 自分の好き嫌いをはっきりする。やな食べ物は食べない。やな人付き合いはしない。耐えられない努力はしない。戦後自虐史観はもはやひとりひとりのレベルで存在するがもう自己防衛をわがままや意地悪とは言わない。搾取を許すな。神から分かれ出た個体として体一つ分の利益は求めろ。さらに映像や音声の作品は徹底的に自分に適したものを探す。倫理に反するなど劣悪な作品なのに心が共鳴するものこそ、自分の心の汚さを映し出し反省につながる。
  5. 自己啓発、受験戦争で勝って大企業で出世や「スーパ大富豪になってやる」のような自分の勝利をつかむ目標に持っていかない。それはエゴだから。
  6. さらに功徳や名誉や霊的レベルアップや高級霊になる目標を持たない。それもエゴだから。
  7. 無理に自分を作り変えない。無理に反省しない。それもエゴだし、心の底のレベルから修復をかけないと更におかしくなる。そこが変わらないのなら時を待つ。
  8. ちょっと悪い思いや悪いことをしただけで猛烈に神に謝り反省を始め小一時間いじけるというのは逆に精神不安定で地獄行きに。
  9. 現実を見る。人間が平等に作られていないのを見る。自分のできないことを認める。無理に菩薩にならない。平等主義は近現代に狂ってしまったがはるか昔において素朴であり当時の素朴な信仰もあって間違ってはいなかったはず。
  10. 地獄や地獄霊や原罪を全く気にしない。逆にしょっちゅうそれらを語る者がカルトだともいう。罪を負っても泣かないで一歩一歩戻れ。
  11. 異性欲はやみくもに禁じてはいけない。それで爆発したカルト教祖も、女性性が怖く女や母や女神をも罵倒した管理人もいる。慎重に。エロ画像がなぜ氾濫する必要があるのか考える(当の女も見るぞ)。我慢できないなら踏み出してもいいらしい。
  12. お経や祈願や研修にとらわれない。エゴで持って唱えたらそれでいいものでもなく、すでに毎日が研修であるから。
  13. ドラマの斎藤さんみたいにならない。ごく自然体で周りを挑発しない。無理に周りの人間を書き換えようとしない。これは障害児教育のやり方。
  14. 宗教でも学校でも会社でも疑問に思ったことは考え口に出す。疑問を消そうとしない。そうやって科学や心理学は発展したのだし。何が幸福の科学だろうか。
  15. 周りのくだらない話題に合わせる。なぜかというとそこで語られる知識を得るのではなく、それ自体が愛の交換であるから。
  16. ただでできる、安くできる功徳や心や脳の向上のやり方を探る。自分で修理や裁縫をするとか、自分でパソコンの動きを軽くするとか。
  17. 組織を第一にしない。組織に入ると人間はその細胞になり、その野望や派閥闘争、上下関係に巻き込まれる。人間一人では止められない。とくに宗教を組織にしてはいけないというクリシュナムルティの説が有名。
  18. 何も「偉くない」ごく平凡で普通であることの尊さを知る。むしろそこに真理そのものがあるのではないのか。

私はむしろ組織宗教が今でも政府とくっついているように人民支配のやり方の一つで、人民に倫理観を覚えさせつつ強力な魔術によって政府を転覆されないように心の力に制限をかけるコントロールの一種だったという結論に至ります。だから宗教の教えの中にそうした制限コントロールをかける何かはすでにあったのです。これは学校も学術会議(特に科学、電磁気など)も会社も同じで道理で一定数そういったものに抗う自由人や芸術家がいたわけです。自分たちの食い扶持のために、自分たちしか真理をわからない、自分たちを覆せない、自分たちがいなければ何もできない状態に持っていきたいのです。

カルト宗教はそういった仕組みを最大化させ教祖だけが得をするように仕向けているのですから、まさに教科書的で、かつての堅苦しい聖書の解釈による天動説や異端尋問に類する問題を引き起こしあげく教祖の教えをそのままコピーしかできず従来の宗教の限界や間違いをすべて統合させた古すぎる宗教になるのです。

私は急に信者が浄化される宗教というものに警戒しなければいけないと感じています。カルトの手口の最初が急に人を良くする、本当に浄化さえするものではないのか、オウム真理教の音楽は今でも非常に評価が高いし、最初はいっぱい得をさせるのは投資詐欺みたいです。本当に心が浄化されるから感謝して信じ、自らマインドコントロールされる。おそらく夢を見れるのはほんの1,2か月ほどでしょう。本物はむしろ自らのペースで修行を進めさせなかなか人が変わらないと思われます。

さて新しい信仰のあり方はどうなるのでしょうか。アンチブログを見てもわかるようにカルトアンチはだいたい自分独自の道を歩み出すものであります。唯物論から神道までさまざまな人間が自身で世界を観察しその実相を探っています。そのために自我は欠かせません。自我をなくすのではなく育てることにこそ真にカルトを滅ぼし正しい信仰へ持ってゆくのです。

大川隆法の著作が簡単にわかりやすく理解できる理由

私は清水富美加さんの事件が終わってもまだアンチを続けるつもりですからね。

で、肝心なことを皆さん忘れていませんか?

大川隆法の著作ってみんな心の底で知っているような当たり前っちゃ当たり前っぽい

かんたんなことを書いているし、しかもレプティリアンはレプタリアン、あくりょうをあくれい、などと用語をかんたんにするし、これは大事な教えだと主張する代わりにかんたんに書いておわり。

いや、小さい子供にとって結構読みやすい本なのですよ。小6でも読めます。それで成功理論がわかる。

でも、実践できない教えがある。極端に現実を無視する何でも思い通りになるようなプラス思考や、人生の悩みをかんたんに片付ける教え、小学生でも全貌がわかる単純な教えの世界、最後は信仰、それも大川隆法を信用しなさいよレベルの話。

それってなんでしょうか。

当たり前のいいこと、みんな知っているいいこと、全部大川隆法の本に書いてある。これは信者の脳に大川隆法の考えを受け入れさせる方法なのです。

信者の脳はいいこと、みんな知っていることがいっぱい書いてある本は悪い本ではない、むしろかなりいい本だと思ってしまいます。ただ仕掛けがあるとおもうのです。その本の中の、行間、わずかな一言二言、何が書いてあるのでしょうか。それは自分で考えるのをやめ本に書いてある考えをやるようにすること。

そして、みんな知っていること以上の素晴らしい悟りが書いてあったことはあったのでしょうか。

大川隆法のオカルトの話はとても魅力的。しかしそれらを覚えるに連れ、どんどん周りの認識と違って、どんどん信者だけの世界観にハマって、周りの友達いなくなるよ? それが正しいことだったとして、この世で知ったところでなんになるんだい?心の修行や成長につながる教えなのかい?TOCANAやセキルバーグや月刊ムーやあげく週刊誌みたいじゃないの。あげくわたしなんて未だに永久機関の研究やっている。できるまでのたうち回るよ!

そう未だに残っているサクセスNo1のきおく。私の後代のみんなが持っているだろう「サクセスNo.1」の精神を読んでみます。

いいことすごくイパイ書いてあるね。しかしここに書いてあることをまともに100%実践したら多分精神が潰れてしまうんじゃないのかな。悪いことをしてはいけない、勉強しなさい、いいことです。

しかし一点の心の余裕もない。つねに想念に気を使い、悪いことはぐっとこらえ、できない勉強もできると思いこんでやらないといけない。悪い思いを出してしまうのが自分。もはや自分であることをやめないといけない。自分の心を殺さないといけない。自我力でやるなと言われたでしょう。

周りがね。世界情勢そっくりだけれど ずるがしこくて いじわるで 暴力も 暴言もはいて、自分の利益を求め、自分を押し通そうとしているときにだ、一人で自分を消そうとしている。なにもそういった人に言葉でやり返せないまでに。そうして、まんまといじめられるんだ。

いつも成績優秀だけれど なにかこういう材料で好きなものを作ってくださいという授業は0点だね。感想文も苦手かもね。まるで何も思いつかないもの。だって人の言う事聞いて従うことしか知らないから。さらに家庭科も苦手になりかねないし、さらに日教組の日本は戦争で世界を破壊した悪い国です、永遠に記憶に残し、償いましょうというとんでもない鬱教育を受け入れて、自分の心まで焦土になりかねない。

そして守護霊の概念。私の場合自分の心を殺してしまったから偽守護霊に入られて人生のあらぬ道へ進んでしまう。究極には自分しか自分を守る人はいない。自分を消したら即なにかに入られるんだ。

そう、こんなに自分を縛るのは、「神そのもの」です。神を潰したくなるぐらい精神が荒れ果て、悪いことを必死で我慢しているつもりでも もはや絶対に周りに大迷惑かけている。逆にこんなに自分の心を縛るのは神などではないと思ったほうが悪想念がかなり減ってくれるものです。

精神をこじらせて 祈願や研修を受けさせ、障害持ちになってもハッピースマイルクリニックとユーアーエンゼルで囲い込みですよ。多分そこでも一点の心の余裕もないんじゃないの?さらに大人になったらプラスお布施だよ?年収750万はないとこの宗教はやっていけないと言われているんだよ?

幸福の科学の信仰なんて適当にしようよ。悪いことをたまにやっても、この日本はちゃんと処罰があったり人とぶつかって喧嘩して成長できるようになっているから。逆に自分のすべてを我慢するとエルサみたいにすべてを凍らせかねないよ!幸福の科学まで、もちろんそのトップまで凍るよ!

そして気が向いたら神社に行こう。日本の神は一つの国にしかいない神にしてはとても優れている。他の国の神はあんなに清々しい雰囲気はない。なんせ幸福の科学の精舎は目に目に映る豪華な作りだが霊波動が「ない」から。

幸福の科学の頑固なところは現実を見ないことだ。今のオカルト系の本流スピリチュアリズムではグラウンディングといって足を地面の波動にする技まである。現実に足をつけて力強くあるけば、どんなに無能だろうと道が開ける。幸福の科学は現実で何度も負けている。

自分も他人もたまに愚痴をこき悪いことをする現実において、どのような信仰生活を送るべきか。それがわかってくると、大川隆法の本の間違いが見えてくる。正しいことばかり書いてあるはずなのに、やってみるとどんどん自分も他人もおかしくなる。幸福の科学からしたらゆるいぐらいの努力が一番実績を上げ、心を確実に成長させる。

気が向いたらでかい公園に行こう。バラ園にも行こう。こうえんつながりでライブに行こう。博物館にいってわけのわからない昔の機械で興奮しよう。そして伝統的な大きな寺社に行こう。檀家さんが集まって作った大きな立派な寺社。この波動が本物の信仰だ。

博打ならパチンコ競馬宝くじ株はだめ。ハードオフで安くジャンク品を買ってそのまま、もしくはかんたんな修理で使えるか賭けてみる。そのあたり確率は大したもので直したものをヤフオクで転売するせどりという職業まである。それでも年収は750万行くわけがないけれどね。

カルトのアンチは心が死んでいる可能性がある

脳は問うた。おまえはどこで感動しているのか。どこで好きと感じ、嫌いと感じているのか。どこで何かやりたいと思っているのか。

おまえはどこで興奮しているのか。

その瞬間、体の中が静まり返った。何もないかのごとく。

胸や腹にはほとんどなにもなかった。

脳は少し解析して、結論を出した。どうも心は相当に邪魔扱いされたらしい。心はついに他者となかよくし、自分も損をしない方法を見つけることができなかったと。とにかく邪魔だったと。

自分を他人から守ることにだけ心は注目していたようだ。他人に譲らず、自分を通すことしかやろうとしない。こんな心は消される。なぜそうなったかはデータが足りない。まわりで喧嘩がたえなかったからそこで学習したのか。脳が人間の社会が譲り合いと協力で成り立っているのを理解し肯定したときには肉体の背は4倍5倍になっていた。

ついに感情の殆どは脳が計算したものであったと。それは心でいることができなかったからだと。心には権利が与えられていなかったと。

心は散々にいじめを受けたらしい。クラスの同級生の主流は心と仲良くなる意思が存在していなかったと。なにをやっても存在自体が悪か空気であったと。

心は散々に注意され矯正されたらしい。親には礼儀と作法と習慣を厳格にそのとおりやるようにしつけられた。学校では単に先生に従い、まったく新しい提案を出してはいけないことを教わった。体育ではできないことはできないことなのにできるようにならなければ恥ずかしいと教えられた。愛とかやさしさとか授業では役に立たない。国語は何をどうすれば得点が取れるかわからなかった。数学の知能はついになかった。意外にも心がないと解けないのだ。

そしてその裏にはカルト宗教もあるらしい。カルトの教祖にもはや信者の自由意志=心などいらないただきょうその教祖の教えをやり金を貢げばいいだけので、徹底的にそれを少なくするのだ。それも悪いことだと思えないきれいな言葉を使い行動の種類を減らすように働きかけると脳は解析した。

私が1984の映画を見たくない、気味が悪い理由がわかった。この記事は注意標識だからみんなも振り返ってみるべきだと脳は書き込んだ。

幸福の科学の精舎に潜入

[WARNING]会員から見ればおかしなことが書いてあるはずです。私と同じ感想を持つには、何も自分から決めつけず、決められた感想を用意せずにそのまま感じることが必要です。それでも光を感じるのが本物の宗教施設ではないでしょうか。

会内アンチなので親にスケジュール組まされた理由で某正心館に行くことに。

久しぶりに乗った新幹線が早いのなんの。かわいい0系はとっくに過去のもの、靴みたいなN700Aはあっという間に加速してカーブでも一切スピードを落とさない。たったこんだけのじかんで?日帰りでも行ける時間が長くなったね。一方の幸福の科学はエルカンターレ宣言の直前がピークだったね。

正心館の波動をスペクトラムアナライザのように測定解析してみます。今回、何も自分から決めつけないでやる。

建物の雰囲気がとてもよくて、すがすがしいです。そういう雰囲気を味わっているうちに時間が過ぎてゆく。過ぎてゆくと波動に慣れてゆく。

あれれ。 いつのまに波動を 感じないのだが。光も何も感じない。統合失調症で入ってくる霊もいない。変だな。ホテルならいつまでもホテルの落ち着いた波動するのにな。

そうだ 信じていた時も、なんかの拍子で精神を崩し、信仰とかなくなってなんとか対処しているときって、周りの波動がシーンとしていた。

波動がよかったいうのは建物のデザインによるもので、そこが素晴らしいが なれてゆくと これはなんでしょか。

トーメンの寮にも行くことができた。エアコンはあの時のままなのか、全開で運転しているが涼しくなくて、これはダスキンにエアコンクリーニングしてもらえば当時の威力になるねと思った。

あの部屋は303号室で、段ボールを30こか33こか35こ積んで身を隠したと。あれ陰謀論で出そうな数字だな。実は当時と家具の配置が違って、本尊があるところが机だったそうな。同時に来た人がベッドマットがちょっと汚れていたと思ったのにといった。取り替えてはいないそうな。

いろいろ話を聞いているうちに緊張して体が固まってきた。つらい。名刹でこんな気分にならなかった。それを見て担当の人が素晴らしい家族ですねと言っている。俺は体も心も参っているのだが。

精舎に戻る。エレベーターは三菱の超高速型。加速度を全く感じず、かつ階段でえっちら上るのを瞬時でいける。高層ビルでなしにこれは地下があるのではと一瞬思った。

宿泊部屋で時間を待つ。外の景色を見たり、部屋の高性能ヘッドホンでスマホの音楽を楽しんだ。あらゆる波動がないため、音楽の波動にどっぷりつかれるのである。やはりKRAFTWERKがいい。

祈願は請願者しか入れない。だれか親子で来たが子供が「母さんが頼んだ祈願だからいい」、母さんが「子供のためだから」と言い合いになって導師の指示で両方入った。子供さんは精舎に来るのが恥ずかしいみたいだ。韓国みたく結局は適当である。祈願室の前で待ち合わせするが波動がないためすごく退屈であった。

寝るときと早朝は気分がよかったが訳を言うとなにかがおこりそうなのでやめておく。

大礼拝堂で朝の祈りが始まった。巨大な神像。シーンとした部屋が波動で満たされる。これはなんだ。普通の寺院と違うといえば高尾山の薬王院の雰囲気に似ている。群馬にもそういう信仰がある。関西では鞍馬山(クマラ山)か。そっち系のもっともっと上流の神がやっている宗教ぽかった。

あなたは幸福の科学に入ったころ、精舎の雰囲気をどう感じたか覚えていますか。それで光を感じるならいいはずですが、慣れないうちはわからないというのはどんなものでしょうか。奈良や京都の名刹はみんな最初の一回目から波動がしますよ。

あなたは精舎で精神を崩したことがなかったでしょうか。そういう時に限って精舎って光が波動がまるでないように感じるものです。もしくは大会が開かれて嫉妬やあんな奴が勝つとはくやしいとか感じ、なぜかその念力がやたら増えなかったでしょうか。むしろそういうのが神にまで向いて、悩んでパニックになって疲れ切ったの心当たりあるでしょう。精舎でです。

あなたは精舎で祈願や研修を受けて何か変わったでしょうか。とくに変わりなく活動に打ち込んでたのではないでしょうか。選挙で裁判で負け続けて財閥ができず伝道は進まず映画はタダ券配って会員1100万人の証明ができないで お布施を差し出し疲れつつまだやっているのではないでしょうか。なんとなくあんな奴が仏かって一瞬思ったでしょう。

正心法語は効果がある、精舎で祈願や研修は効果がある、いろいろ言いますがただいうだけで納得させる理屈があるでしょうか。より効果的な善、より良い善があったらそっちに飛びつこうではないでしょうか。

ちなみに神社の方はというと、神道では神に畏れ(おそれと読む)を感じるのがいいとされているが、たしかにそういうのを感じるし、恐くもある。フラッと参拝するところではなく大層な心の準備をしないと入れるところではない。大きな神社ほどその力は強い。その神道系のジャーナリストや政治家が幸福実現党を味方につけているようだが、どうも腑に落ちない。これからを読むと使えるだけ使って刃向かったら捨てるだけである。

愛の発展段階説や四正道は 順序が逆

UMAさんもすいふとさんもどんきー王子さんも、ルジェさんも大部分のアンチが活動をやめました。

しかしtroppositeはサクセスNo1で思想改造された身です。正式な就職もなく、こりずに永久機関に取り組むかとまで計画している。執着を断つわけにはいきません。行けモスクワへ!

幸福の科学の教えの根本の一つである、愛の発展段階説が

実際の経験からして、まったく逆でした。順番にやるとあらゆる問題が解決しない。

もっとも低レベルだとする、愛する愛。しかし、なにか問題を抱え込んでおり、自分を愛せないことは結構ある。こんなとき、自分を愛そうって無理です。

また隣人について、実際人間同士で自由にやらせている地球では、神よりも隣人のほうが影響があるときも少なくない。隣人ぐらいなら大きな力を発揮できます。とくに親から子へです。なおこの逆順を人に教え直す気をおこさせるやり方もある。

自分は本来自分の権限をすべて持っている存在である。だからまず創造主の愛。re-create 自分を再創造する意思を固めましょう。

救世主の愛。自分を救うための教えをかき集め、無意識に浸透させます。この辺で大きな変更が加えられる。

存在の愛。自分が存在する、それでいいのだ!という風に持っていき、自己愛を深めます。

許す愛。罪をいつまでも見つめていても立ち上がれません。過去はいいから前へ進みましょう。

生かす愛。自分を生かすと決意します。これができると心がエネルギー生産ができるようになり、ついにうつ病や無気力から抜け出ることができる。

そして最後に、自分を愛せる、異性を愛し合える、他人に愛をふりまける、愛する愛へいければ、リア充で支障がないはずです。troppositeはここまでいっていないけれどね。

とまあ、このように幸福の科学の教えで行きずまったら 順番があれば逆にし、推奨されることをやめ、非難することをやると、この世で野太く成長し勝利をつかめます。解釈のしだいによっては悪いことにならないはず。

教祖本人は金を儲け人民を支配したい、そこで集団マインドコントロールのために真理を捻じ曲げているのはわかるが、それ以上に本人が真理だと考えていることに多数の欠陥があるように見受けられます。その原因は青春期までの異常な苦しみ 葛藤 コンプレックスを克服できていないことにあるはず。人間は、記憶したやりかたを繰り返すロボットではありません。

愛、知、反省、発展 四正道も 逆ではないのでしょうか。

まず人間は発展そのものを求めるはずです。子供からそうです。しかし愛なんて覚えていないことすらあるはずです。

行きづまり、人とぶつかりけんかまでして、反省します。

そこで知ることの大事さを知る。知っておけば失敗しません。また頭を鍛え始めます。

そしてこれらを踏まえて覚えるのが、愛です。愛は相当深い概念であり、たくさんの経験でやっと愛がわかります。

幸福の科学の教えはなぜ人を救えないのか

幸福の科学が心地いい言葉をいっぱいときながら、それを実際に使おうとすると

問題をスパッときってくれるわけでなく、ますます悩む状況が多かったのですが

それが何なのか考えてみたいです。

まず、言葉が簡単すぎることです。

言葉が人を動かすということがありますが、幸福の科学の教えは「さらっと言ってます」と会内でよく言われるのですが、

あまりにさらっと簡単に言い過ぎていて、言葉の重みがないです。重みのある言葉こそ、その大事さや力がわかり人の心を変えるヒントになります。

さらっといっている言葉は自分の一転語を見つけることが難しければ、文体に人を救う本気を感じることまで普通の人はできません。自慢話程度のインパクトの薄さです。だから買わないんだ。

その文体の力のなさ、省略どころではありません。これでいいのだと人に突きつけてそれっきりな人間の言い方です。この言い分は会員もよく真似をします。

真理をさもとても簡単なことのように言います。著者でもうまくわからないと書いてある哲学や仏教の本をけなしますが、それで幸福の科学の進化はおしまいです。

真理がとても簡単なことになっているので、なぜこんな簡単なことを実践できないのか、自分や他人を罵倒するようになります。そういう道徳の類を実践できていれば人生に悩みなどなく、ほとんどの人類や信者は悩んでいます。これはきわめて高度な問題です。

もはやこういうきれいごとをいって権威を作っているように受け止められます。

実はよくあるオカルトの話をまとめただけだと外部では言われます。もし「直説金句」「仏法真理」という言いすぎな触れ込みでなく「よくわかるオカルトまとめ」なら受け入れられたでしょう。

なんでも耳障りのいい言葉をまとめるとどうなるのか。真理に至るまでの道は複数ある、いろいろな伝統宗教、東洋と西洋の哲学。何か一つの道で説かれるやり方は、別の道ではそれはよくないといわれたり、理解できないとか、できないことがある。料理でも日本料理と西洋料理は違うでしょ。

幸福の科学の何でも教える主義はつまり何もできなくなる。真理に至る道をずれ別の道へ行こうとしたり迷子になり引き返す。あげくいろいろな真理に至る路でやってはいけないことが全部重なってその場を動けなくなる。さらに真理であっても人類にはまだまだ早いUFOや神秘オカルトまで教えては会員が暴走する。このような状況で常に教祖の指示通り動かないと教壇ではやっていけなくなる。

本物の神を信じていれば本当に効く教えでも効かないことがあります。たとえば「光」が教祖に生まれた神から出ているものとされるのですが、量が足りない、よく祈るのです。

しかし、神は教祖ではない、だから教祖のエネルギーと光がまた違うものだと思うと、なぜか自然に光が入ってきます。

普通、人間は複数の考え方を扱えます。だからプランBやC,Dが存在します。幸福の科学の教えではプランBはありません。ひとつの方向に進むことしか出来ず、退くのも出来ません。

実際は総裁が非難する考え方のいくつかを使って他のプランを構築し切り抜ける、しかもそれが正しい状況はいろいろあります。あげく教団が自分の教義からはずれたことをします。

事実信者のブログはどれもだいたい同じことが書いてあります。

それと、やたらと神にすがりつくのをお勧めするようになっています。神だってそれをされすぎるのはいやだし、

自分でものを考え実行できる、偉大な生命の働きが小さくなって、自分が小さくなってしまいます。

いいことは神のやったこと、悪いことは悪魔のやったこと、自分は何一つ行ってないのと同じようになれば、自分の意味すらなくなります。なぜ不完全な存在である自分が神に作られた?

自分への信仰を集めるために大川さんが信仰心をあおったところでどうでしょうか?

星の数ほど(?)の信者は、みんなご利益を求め、光やエネルギーを渇望しています。これらはわがままな我欲でもあるのです。教祖は信者にエネルギーを奪われているでしょう。

教祖がどんなに金を使い、快楽にふけっても無駄です。エネルギーを抜かれすぎているので、幸せになりません。教祖自身が最高とみなしているので、助けはありません。目が死んでいます。

教えはいつもワンパターンで、慣れれば文章の先が見えるぐらいです。逆説がないので、豊かな考えが0、信者も単純な人間になります。

どのようなパターンといえば 単純なプラス思考、単純なご利益信仰、大層なオカルト説、保守にすりより、クライシスが来るとあおる、信じたくないものは事実に近くとも信じない、気持ちいい話を信じる、右へ倣え、都合の悪いことは忘れる、楽をするな努力しろです。

最後については楽ができるシーンや、楽をするべきシーンでも努力を欠かさないので、とても非効率で過労やエネルギー切れで苦しむことになります。

そして最後には大川さんへの信仰、そしてお布施ともって行きます。

このような話が、世界で最高といわれるので、ほかの本を読まない、ネットの心理学を読まない、そうすると、これらの制限により、いったん悩みの袋小路へ入ると出られなくなる。

基本的な、人間の悩みのいくつかは幸福の科学は解消できません。

たとえば妬みや劣等感なんかそうです。

喧嘩をやめる教え、いじめを食い止める教えも弱いです。悪い上司を崩す教えも弱いです。

勉強は暇をなくして苦しんで努力しろというだけですが、記憶力と根性論だけが勉強ではないのです実は。さらに社会ですごく問われる能力のいくつかは受験戦争では問われません。

実は神に対する悪意もです。悪霊は単に追い払われるだけのおしえ、彼らと同じような心境に追い込まれても、フォローや反省に持っていく教えがまるでないのです。

選民思想などが説かれており、さらに教えを飲み込みそれを実行するだけ、教えを進化させることもないので、孤立して豊かな人間関係がなくなります。信者同士でも人間関係はパターン化しています。たいていの信者には同じ信者の「敵」がいるようです。

これらの幸福の科学で解決できない問題はなぜか痰壺2ちゃんねるのリーク情報による教祖の性格像からみて、教祖自身が解決していない問題は幸福の科学の教えで解決できないといえる。

妬み、異性問題をうまく解決できる教えがなく、劣等感や心配性を解決する方法が頼りなく、金儲けを最大限に推進し、脳天気なプラス思考で崖から落ち、究極のガリ勉を推進して楽に勉強できる可能性を閉ざす。

じつに、正しい指針を掲げておきながら、他の教えや教団の動きによって、それを実行するのを妨げるような働きがあるはずです。だから単純な善行がいうだけで出来はしないのです。それで金を差し出すほうにもって行けるのです。

さて・・・ここまで述べたところで、この教えにより最大のダメージを負っている人物の一人は・・・もちろん俺も結構やられたもんだが・・・教祖大川さんだと思われます。

いい教えにする能力や努力が足りずに 自分の教えで自分を縛っているように思えます。その結果が教義に反する行動です。

ELISがDOSプログラムであることから察するに DOSに慣れているならプログラミングもLinuxのbashもすぐになれるはずです。そうすればパソコンはあなたのいうことをばっちり聞く部下になります。人間を巻き込まないでください。

追記! 会員の潜在意識を読み解く

会員で困っている人は多いと思います。その様子を探ると、表向き信仰していながら、無意識が逆に動いているでしょう。

危機を煽り、教祖自身がこれをするにはこんなに大きな準備が必要で・・・という >> 無意識では神は信者とともに悪魔や災厄と100%本気で戦わなければならないぐらい弱いことになる。教義に矛盾するが事実には矛盾しない

祈りが効かない >> 我欲をつのらせさらに祈るのでおかしな現象がある 神は弱いと思うかこの程度の信仰ではほとんど救ってくれないと思うようになる

「真理の実現のために」布施を煽る >> 幸福の科学は常に金欠だ もしくは こんなことで自分の財産を失いたくない と無意識で思う

どこの支部でも諍いがある >> 現場レベルでは幸福の科学は本当にしょうもないところだ、浄化しなくてはと無意識で思う

意識のレベルでは更にお布施をしますが 無意識のレベルでは 神は弱く 自分は悪魔に負け続け錯乱し、信仰心が削がれている、ご利益くれくれだけが本心です。

本物の神、宇宙は常に頑丈である。がそれ自体がお布施や応援を求めたでしょうか?神に直接金を届ける方法はない。

追記! 幸福の科学の雑誌The Libertyの意味と真実の報道とは

他の雑誌を読んで心がワクワクする私ですがThe Libertyを読むとなんか頭が重くなります。こんなことのある雑誌は新聞のようでもあります。

一般に雑誌というのは編集長や編集者が思う真実、伝えるべきことが書いてあるものです。そして読者の心を湧かせることに注目しています。

The Libertyを読んでいて、たしかに真実があるかもしれない、しかし心がワクワクしません。どういうことなのでしょうか?

幸福の科学の内部の動きと、The Liberty、The Liberty WEBは関わりがあるのです。

例えば記事の最後に教祖の本の紹介があります。これは本が先にあり、それを読ませるために物事を抜き出して記事にしているのです。

例えば部外者にはわかりづらいが幸福の科学の内部のイベントと同期してUFOや宇宙人、STAP細胞、時事批判記事を書くようになっています。

それから教義からみじんもはみ出ません。記事をどう選ぶか、どう書くのか、教祖の発想の通り。

これは真実の報道というより、教団や教祖の動きに読者を合わせるためにあるのです。本当は報道するべき事実は結構ありますが、

教団に合わせて選んで記事を書いているのです。だから結論のパターンが同じで、大川さんの本にあるとおりです。イデオロギーに満ちているのはAERAやリテラと似ているのです。読者は見破ります。

「報道しない自由」が非難されていますが、The Libertyも同じです。

幸福の科学の雑誌の目的は信者の情報統制でしょう。だがしかし、The Libertyのいう通りのことが起こるかです。特に恐怖の予言はです。しかもThe Libertyに讃えられると?これはあなたに判断を委ねます。

あと私はヘラトリトピックスを信者時代に読んでおり、今は削除された記事に触発されて実に無謀な研究をやっているのですが そのことは「リククーブログ」で。理屈は完成しました。無謀な研究ならHSUに負ける気がしません。

つまり何が言いたいのか

信者の方は何をいうのかと憤慨しているでしょう。ただこれだけはピンとくるはずです。

幸福の科学の修行は極めて厳しすぎるということです。

信じつつもかなり疲れているはずです。疲れすぎて筋肉痛ならぬ心を痛め、努力しても逆に心がおかしくなっているはずです。

神社なんか見てください 神職でなく信徒に対しては生ぬるいぐらいがちょうどよく心が育ちますから。

こんな宗教信じるより永久機関の研究やっていたほうがまだましです。

カルト宗教の信者でも心の底では信じていない

自分がカルト宗教を信じていたとき 盛んに神の名を心の中で叫び、毎日お祈りをし、そこの本を読んでいました。

信仰!信仰!! 支部でも精舎でも信仰の言葉を聞かない日はなかった。

しかし、心の底はどこか勉強をサボるようについてゆかない部分があります。そんな自分でも学校で塾で明治時代までの歴史はスっスと覚えました。

何故、こんなにやる気に差が出るのでしょうか?

本物のオカルトの教えで人間の心の底には神性が宿っていて 自分だけでも善悪やよい方法が分かる。

底の部分が、この方が神様だ 地球文明を作った えらい という説を飲んでなかったのです。それは当て感に出ます。

心の底が納得しない内は、偽者は打ち砕かれる可能性がある。だからそうされない内にカルト宗教では信仰!!信仰!!と心に刻み込んでいるのだ それを止めない日はないのだ

そうかんがえたのです。だから、なんどもこの方は神様だという、さらになんども信仰は第一だというところは怪しいということです。

さらにしきりに特定の対象を絶対的に信じさせようとする宗教は伝統宗教にもあるが、そこもあやしいのです。キリスト教はかつて植民地支配を助け虐殺や奴隷を認めました。

教派にもよるがしきりに特定の人間や「単にわがままな」神に対する信仰を説くところは真理から遠ざかっているはずです。