カルト宗教の教えから考える「全ては逆説」

私のテーマはもっぱら一つのカルト宗教であったが、他のカルトも建物がきれいで、掃除もしてあって波動も良さそうで、それで看板で あれ?と思ったところがあります。

カルトの教えは美しく、批判のしどころもないはずなのに、やってみると心がおかしくなり、治せなくなり布施を差し出すことだけを正解に持って行かれます。

本当に美しいです。信仰が深く敬虔です。真面目一本で、無駄な欲や性欲を始めとする煩悩もなく、くだらないテレビをみなく周りの下劣な話題に加わりません。

そうした会員は美しい心を持っているようにさえ見えます。しかし そうしたポリシーがあるにもかかわらず、やはりおかしくなるのです。学生信者同士ではいさかいが全く無い・・・はずだったのに、特に大人になって特に組織と金目のことで思い切り喧嘩するようです。特に家庭環境が辛く進学、就職で障害があります。

私はカルト宗教がええ古今東西の宗教の教えをうまくまとめ、全く信者に疑問を挟ませずに搾取するやり方を見て、「全ては逆説だ」と思わざるを得ません。

事実はてなアンテナ「幸福のアンテナ」で取り上げられているカルトアンチブログではしょっちゅうその今までの宗教と異なる逆説を発見した報告があるのです。近年は楽山日記さんが多いです。

確か総じてどのような逆説だったかというと・・・

  1. 信仰心やあの世の確信は100%ではない。どこかで証拠のないはっきりしない何かを感じるがそれを認める これこそが更にいい道を見つけたとき、すっと転換できる決めて
  2. 信仰のためなら命まで捧げることについて、それができるかわからないと感じ認める
  3. 自分が一番大事。他の存在を一番にすると自分がおかしくなる。与えきりではついに心の種火が消え失せる。自分のために努力しそのための時間をさく。休みを取らせないのがカルト。休んでくだらない遊びをしよう。
  4. 自分の好き嫌いをはっきりする。やな食べ物は食べない。やな人付き合いはしない。耐えられない努力はしない。戦後自虐史観はもはやひとりひとりのレベルで存在するがもう自己防衛をわがままや意地悪とは言わない。搾取を許すな。神から分かれ出た個体として体一つ分の利益は求めろ。さらに映像や音声の作品は徹底的に自分に適したものを探す。倫理に反するなど劣悪な作品なのに心が共鳴するものこそ、自分の心の汚さを映し出し反省につながる。
  5. 自己啓発、受験戦争で勝って大企業で出世や「スーパ大富豪になってやる」のような自分の勝利をつかむ目標に持っていかない。それはエゴだから。
  6. さらに功徳や名誉や霊的レベルアップや高級霊になる目標を持たない。それもエゴだから。
  7. 無理に自分を作り変えない。無理に反省しない。それもエゴだし、心の底のレベルから修復をかけないと更におかしくなる。そこが変わらないのなら時を待つ。
  8. ちょっと悪い思いや悪いことをしただけで猛烈に神に謝り反省を始め小一時間いじけるというのは逆に精神不安定で地獄行きに。
  9. 現実を見る。人間が平等に作られていないのを見る。自分のできないことを認める。無理に菩薩にならない。平等主義は近現代に狂ってしまったがはるか昔において素朴であり当時の素朴な信仰もあって間違ってはいなかったはず。
  10. 地獄や地獄霊や原罪を全く気にしない。逆にしょっちゅうそれらを語る者がカルトだともいう。罪を負っても泣かないで一歩一歩戻れ。
  11. 異性欲はやみくもに禁じてはいけない。それで爆発したカルト教祖も、女性性が怖く女や母や女神をも罵倒した管理人もいる。慎重に。エロ画像がなぜ氾濫する必要があるのか考える(当の女も見るぞ)。我慢できないなら踏み出してもいいらしい。
  12. お経や祈願や研修にとらわれない。エゴで持って唱えたらそれでいいものでもなく、すでに毎日が研修であるから。
  13. ドラマの斎藤さんみたいにならない。ごく自然体で周りを挑発しない。無理に周りの人間を書き換えようとしない。これは障害児教育のやり方。
  14. 宗教でも学校でも会社でも疑問に思ったことは考え口に出す。疑問を消そうとしない。そうやって科学や心理学は発展したのだし。何が幸福の科学だろうか。
  15. 周りのくだらない話題に合わせる。なぜかというとそこで語られる知識を得るのではなく、それ自体が愛の交換であるから。
  16. ただでできる、安くできる功徳や心や脳の向上のやり方を探る。自分で修理や裁縫をするとか、自分でパソコンの動きを軽くするとか。
  17. 組織を第一にしない。組織に入ると人間はその細胞になり、その野望や派閥闘争、上下関係に巻き込まれる。人間一人では止められない。とくに宗教を組織にしてはいけないというクリシュナムルティの説が有名。
  18. 何も「偉くない」ごく平凡で普通であることの尊さを知る。むしろそこに真理そのものがあるのではないのか。

私はむしろ組織宗教が今でも政府とくっついているように人民支配のやり方の一つで、人民に倫理観を覚えさせつつ強力な魔術によって政府を転覆されないように心の力に制限をかけるコントロールの一種だったという結論に至ります。だから宗教の教えの中にそうした制限コントロールをかける何かはすでにあったのです。これは学校も学術会議(特に科学、電磁気など)も会社も同じで道理で一定数そういったものに抗う自由人や芸術家がいたわけです。自分たちの食い扶持のために、自分たちしか真理をわからない、自分たちを覆せない、自分たちがいなければ何もできない状態に持っていきたいのです。

カルト宗教はそういった仕組みを最大化させ教祖だけが得をするように仕向けているのですから、まさに教科書的で、かつての堅苦しい聖書の解釈による天動説や異端尋問に類する問題を引き起こしあげく教祖の教えをそのままコピーしかできず従来の宗教の限界や間違いをすべて統合させた古すぎる宗教になるのです。

私は急に信者が浄化される宗教というものに警戒しなければいけないと感じています。カルトの手口の最初が急に人を良くする、本当に浄化さえするものではないのか、オウム真理教の音楽は今でも非常に評価が高いし、最初はいっぱい得をさせるのは投資詐欺みたいです。本当に心が浄化されるから感謝して信じ、自らマインドコントロールされる。おそらく夢を見れるのはほんの1,2か月ほどでしょう。本物はむしろ自らのペースで修行を進めさせなかなか人が変わらないと思われます。

さて新しい信仰のあり方はどうなるのでしょうか。アンチブログを見てもわかるようにカルトアンチはだいたい自分独自の道を歩み出すものであります。唯物論から神道までさまざまな人間が自身で世界を観察しその実相を探っています。そのために自我は欠かせません。自我をなくすのではなく育てることにこそ真にカルトを滅ぼし正しい信仰へ持ってゆくのです。

資本主義と詐欺はカルト宗教へ収束

企業がお客様相手にぞんざいな扱いをするって、ままありますよね。

特にインターネット上の商売で多いです。

例えばサイバーノーガード戦法と言って、ろくな防備をせず個人情報をまんまと取られた上で自分は悪くない被害者だと叫び裁判を起こすなどする日本独特の情報セキリュティ対応があります。

例えばWindows。他のWindowsではない何かを使うとわかるが、急に動きが重くなり、いろいろな手入れが必要で、勝手にシャットダウンとか 挙句、Windowsのためだけにいろいろなソフトを購入して快適さを取り戻したり、パソコンそのものを取り替えては、メモリが相変わらず2GBで本末転倒。分解してメモリを足すようです。

例えばネット詐欺。最近はAmazonでなあに3〜9割引きでいいものが売ってあるのね。ところが注文したら、何も届かない。返金はしてもらっても犯罪集団に個人情報が渡ってしまって何が起きているのかわからないと来た。こんな問題はいずれ起こりうると何度もメールで指摘しても、システムを直さないのだそうです。このような問題は他のネット取引サイトでも多い。

例えばPCデポ。金はあるが判断の鈍い老人、わけのわからないコンピュータの世界。次々とオプションや高性能パーツを誘って、どんどんお金を支払わせるし、変な囲い込みをやって孫が問題を解決できない、いつでもPCデポに行くしか何もできなくする商売。

詐欺なんて昔からあるが、最近の詐欺はますます巧妙です。しかしなぜそのようなことをするのが得なのでしょうか。

資本主義経済。金持ちが何でも許される時代。あらゆる問題が起こりうるが、仕事とは人の抱えている問題を解決すること。さっさと解決しては、仕事がなくなる。とくにこのコンピューターの時代。だから、新しい問題を起こす。少しづつしか解決しない。ずっと仕事があり、ずっと支払う。これで金儲けするのだから、詐欺に近くなる。

そしてこんな時代の勝者の最たるものはカルト宗教。日本では政界にまで食い込んで某与党と、幸福実現党は誰も止められない。綺麗事をいい、人生の問題は解決せず、社会の問題も解決せず、ますます大きくなりただそれを打ち砕こうと信者はお布施と祈願に励む。ほんと祈りではなんにもならないのに。

資本主義経済。果たしてこの害毒を止めるものは何か。私は前に言ったはずです。いろいろな政治主義、政治思想が提言されてきた どれも極論しかないし、あらゆる国が極論しか取り入れようとしない。それではだめです。極論をそのまま実行してはだめ、日本で薬価と医療保険があるように ミックスしてちょうどよくしないとだめだと。さらに自由平等博愛も3つとも突き詰めず引っ張り合ってバランスを取るべきだと。

そしてやはり教育が未来を決めるものです。クラスで人間関係の弱肉強食、いじめ放置で子供を腐らせるのは文科省であり政府でありひいてはそれを放置する国民、日本そのものなのです。国民が恐れるのはお上 お上が恐れているのは国民 どっちも動けないようでは何も変わりません。

いじめを許す文科省と教育委員会に告ぐ

ここのところまたいじめ問題が出てきていますね。

まず先生がいじめを無視したり煽ったりする真の意味を考えます。子供同士でやっているならともかく、学校で出会っていじめるということは、

つまり国家権力の一つである、わざわざ子供を囲い込んで国がやっていることである公教育機関において、いじめられっ子は何を悟るかというと、学校に警察が来なくて、権力の末端である先生がいじめを許すということで、つまり国がいじめを許しているととらえる。

つまり、いじめられっ子の真の敵は、日本国家であるとみなす。さらにこんな人生にしたのはだれかと神にまでストレスをぶつける。恐ろしいことですが私はやりました。国家まで追求するのはロジックに全くおかしなことはありません。

教育委員会や学校がいじめをむしろ許すというのがふつうになってきている。親が訴えてもなおシラを通す。

先生も色々言い訳をしますが 悪いことは許されぬはずなのに よくもこの現代において犯罪を許すという法治国家にあるまじき様相です。

あなた達はむしろいじめが必要だと思ってらっしゃるのですね。そうとしか思えません。

ええ。ブラック企業などの労使問題、政治家の汚職や権力、芸能界のコネ出世、企業の利権と地上げつり上げ独占、高利貸し、カルト宗教及び秘密結社、いろいろな問題がこの日本にあるが

いじめを許すことで、子どもたちに支配と服従の概念を覚えさせ、横のつながりよりもこの2つをとても重視させ、優れた豊かな人が僅かな縦割りピラミッド社会を勧めているのですよね。

いじめっ子は支配側に、いじめられっ子は服従の側に生涯させ、階級を固定化させるのですよね。現代でも階級はなくなっていない、現にあるのですよね。

搾取できる人からみっちり搾取できる、しかも合法に。そんなしくみをあなたがたは築き上げてきたのですよね。さらに奴隷が自ら自分自信を差し出すまでに。その基礎勉強がいじめなのですよね。

あなたがたはもっといじめを普及させたいんですよね。そうとしか思えません。自分たちが上であるために、奴隷を育てたいのですよね。

さらに苦しんでどこにもやり場のない人間の悪想念をかき集め栄養にしている悪しき存在も十分に考えられます。

そして、一旦いじめを悪だと認定し取り締まるようにしたら、先にも取り上げた世の中の殆どの悪がいじめの要素が入っているので、それらも取り締まらないといけないのを恐れているのですよね。

あなたがたは人間のすべてへの絶望とその後のロボット化をやりたいのですよね。

もしそのつもりでなければコメントください。(DEBUNKしてやります)

この日本がどのようにして平和と繁栄を築き上げたのか。振り返ってみてください。三丁目の夕日とプロジェクトXにあったようなさまざまな協力があったからです。あのころいじめは直ちに撃退されました。貧しい中みんなで協力して努力しました。

日本国家への反逆から左翼への転向へ仕向けているはずが、今インターネットでは教育がおかしいのは戦後政策と日教組のせいだという意見が多数であり、逆にネット右翼が増える。さらに陰謀論は証拠こそないがまさにいじめられっ子の経験から世界はまさにこうなっているという結論になります。

このままでは日本がおかしくなり、あなたがたも金を儲けるどころか生きることさえ難しくなる、カルマの転嫁も拒否されるでしょう。

そして心あるものだけが生き残れるのだということを忘れてはいけません。

手塚治虫のした悪いことを考える

どうもここのところ真実じゃなくてステレオタイプをどんどん出版してゆく評論シリーズがありましてね。キャッチーな触れ込みでね。

これじゃあ行けないと思ったんです。みんな認めるような人でもおかしなことをやっているもので、

リンカーンなんてネイティブアメリカン大虐殺ですから。

で、そうこっちもマトモな分析をしたくなっているのですが、どうも資料が足りないので直感で行きます。

手塚治虫の漫画は凄まじい迫力があって、アニメにしても相当な深みがあって、畏れさえ抱くものです。ミュージカルを見ているような展開と壮大な世界観、読む者に気づかせる悟り。

彼自身はテーマは一つ「命」だと言っています。だが一方で相当な嫉妬心があったことも言われています。

彼に非難されるぐらいになったら一流の入り口だと言われるぐらいだったようです。

彼は勢いで他を圧倒しました。信じられないペースでしかも複数シリーズ書き続けることでライバルを過労にさせました。

いま漫画家というのは彼の時代より複雑な描線もあって相当な激務であるそうで、儲けてもアシスタント料に消えることが多いそうです。

彼はアニメーションでもその後に影響を残しました。アニメーション制作始まって以来の伝統秒間24フレームを使わずに15フレーム以下でざっくばらんに鉄腕アトムを仕上げた。

このざっくばらんでは原作の迫力より、話がまるでかんたんになったようでその後のアニメでは15フレーム、時にはコマ送りで迫力を出す研究が進んだようです。

彼は制作費の大半をテレビ局からでなく、おもちゃの著作権ライセンスでまかなう道を選んだ。テレビ局が金を払わなくていい歪な経済構造が生まれ、子供向けのアニメはおもちゃ商品の宣伝に堕ち、青年向けのアニメはDVDでやっと資金を回収するとか、うまくいっていないようです。

ゆえにアニメーターの給料が薄く激務なのも遠因は虫プロらしい。

過激な表現とされるものが手塚治虫の世代から変わってきたようです。日本の漫画アニメの特色がもはや心をざっくりえぐりさえするようなシーンとそれを切り抜けるストーリーになっている。もしくは変態。とにかく脳を興奮させる。よむ人は興奮状態に依存するようになる。そういう商法。より過激、より倫理的におかしくなる。海外では子供に見せてはいけないとされるものも多い。

手塚治虫の漫画、ええ素晴らしいですね。しかし日本の伝統をどこか壊したかもしれないし(日本の漫画アニメは西洋オカルト秘術で満ちている話はまえしたはず)なにより手塚治虫の作品が未来でも最高でないと気がすまない、これから出るであろう超人を抑えておくための仕組みを作ってしまったように見受けられる。

さらにその子孫も恨まれているようで何かがあるのでしょうか。

そして今の日本のコンテンツ産業、世界への普及を考えると、とにかく西洋オカルトの布教だらけ、今までどおりやっていいものではない。女子供はまずピクサーを見ろという世界の趨勢。日本が大人のアニメーションとして生き残るには、もう少しオカルトじゃなくまともな哲学や真理を加える必要があると思われます。「正義は一つじゃない」路線は大人向けには間違っていません。「ゆるい」が世界に流行るのはいつ頃でしょうか。

NWOと違う新秩序

これからこのブログでは創造的な話をしそうです。

NWOには怖いイメージしかない。オーウェルの1984とか、何もかも監視され、自由がなく、打ち砕くことができないシステム。

神に祈ったんだ。NWOってどうおもいます?

なんか、神は違うことを考えているらしい

なんだかんだ思いついた答えは、こんな感じです。

それを推し進めるときに使うやり方と、社会の仕組みが、NWOと似ていると勘違いする人が出る

NWOは まさに人の心を殺す

神による新秩序は、「言論統制」「思想統制」が強化されているように見えるかもしれないが、そういう意見は主に悪人や反社会的人物で、多数の人はさらにのびのびと生きることができる。

自由は、ヤリタイ放題できることではない。とされる。そうでない自由は実現する。

社会に役に立っている人物が素直に出世する社会になる。のさばろうとする人間は出世がない。

共産主義 社会主義 全体主義に、似ているように思われるかもしれないが、そうではない、おそらくふつうの人間こそそうは思いたくない、逆に人間の魂がのびのびいきいきしてくる。ココ重要です。

私はむしろ勘違いさせているのはマルクスの方だと思うのですが、資本論など読んでいないもので。とにかく理想主義で総倒れになるとか、道徳が立派なようで履き違えているとか、唯物論では完成しない道徳を完成させようとしているとか、何も知らない人はすごく感動するだろうが、知っている人から見るとおかしくてしょうがないんじゃないのでしょうか。

言論や思想統制、特定の思想の注入をやらないというのではなく、いまの民主主義の段階でマスコミがすでにやっていますから、その方向を変えることがやるべきなのではないのか。

超長期的なスパンになるに連れ「善」といういわば「思想」でないと生きて行けないです。短期的なスパンでは悪のほうが早いですが、滅びます。特定の思想を注入しないのではなく、「善」を入れるべきです。

私はこの限られた生態系において真の自由など存在しないと思います。

毛沢東こそ国を自由に支配したと言っている学者がいるが、彼が邪魔者をパージする喜びを味わっている時点で、それに囚われ、自由ではない。できること、やるべきことは限られてきます。

だからって何でも命令通りの北朝鮮はあの貧乏波動の上に、災害や飢饉で立ち直れないとか、女のほうが強くなって男がひ弱になるとか、むちゃくちゃ。

やはり政治主義は極端な見方がはびこっていますね。現実を見ると、できることは中道政治だ。何を持って人を統制するのか。自由し放題でもだめ、平等悪でもだめ、ガチガチの思想改造も続かない、愚民による民主政治も頼りない。人間みんなロボットになるという平和もだめ。人をコントロールするものはなんであるべきか。まず原点に立ち返り、善の思想を立てるべきです。

陰謀論者が一人でできる対策

どうも。

このブログで、さんざん中二病ねたを発信してきました。陰謀論めいているが実に身近なこと。

うんざりしている人もいるでしょう。自分の人生に人為的にこんなに闇が落とされていたとか、そんな話聞きたくないと。

人類への搾取には人類自身が対抗しないといけません。代表者を立てると、そこが腐るなんてよくある。

唯一自分でできることという情報は、デービッド・アイクのこの文しかありません。

これから私が言うことはブラザーフッド=イルミナティが、これだけは知らせたくないと封印し続けたがっていることなのだ。それは、我々自身の運命を決めるのは自分であって、ほかの誰でもないと知ることである。気づこうが気がつくまいが、それはこれまでも常にそうであったし、これからもずっとそうなのだ。しかし多くの人々は、それはおかしい、と思うかもしれない。なぜならこれまで私が言ってきたことは、イルミナティによる数千年の世界支配に関することだったからだ。そうなのだ。だがその方法は何であったのかだ。

それは人類の思考と感情をコントロールすることによってであり、今もそうである。我々はエネルギー体なので、自分がどう考え、どう感じるかで我々の現実の経験が生み出される。しかしもし、他人の力や影響が自分の考えや感情を操作することを許すならば、自分の経験、つまりは運命をも支配させてしまうことになる。しかし、自分で考え自分で感じるという自分の主権を取り戻せば、我々は一瞬にして変わることができるのだ。自分自身の現実を生み出し、自分の運命を決定していくことは、核心においてはごく簡単なことである。一言で言うと、「与えたものが戻ってくる」ということだ。

その方法をこれから述べようと思う。我々の心や感情は、さまざまな波長を持った数々の周波数と共鳴しており、どの周波数に同調するかは自分の考え方や感じ方によって違ってくる。これは意識している表面的自己だけではなく、潜在意識にも言える。潜在意識とは、自分で向き合いたくない思考や考え方や感情を抑圧して、一時的に放り込んでおく大きな釜のようなものだ。そして、実際には潜在意識という根っこの部分が我々の意識に共鳴しているのであるが、本人はその感情を意識していないということが起きてくる。

たとえば子供の頃に抑圧した怒りがあり、無意識下にそれを持ち続けていると、大人になってもその周波数を周囲に発信し続け、しかも本人には自分が怒りを抱いているという意識がない。そうすると、類を持って集まるという霊的な引力の法則により、意識しているいないに関わらず怒りを抱いた人間を引き付けるのだ。アメリカで聞いた歌の歌詞に、「怒ってばかりいるとどうなると思う? とても怒った人たちが一杯集まってくるんだ」というのがあった。人間の精神的・感情的な「雰囲気」というものは、一連の波型として周囲に発信されていて、それが同じようなものを引き付け、人や場所、生き方や経験といった形をとって自分の周りに集まってくる。つまりそれは、自分が発信したものが、与えたものが戻ってくるのだ。

この自分の発している「雰囲気」という振動数の中には、我々の意識的な思考や感情だけでなく、さらには誕生したときから、中には胎児の時からという人もいるが、天文学的占星術からくるパターンが入っている。我々は生まれるとき、つまりこの世界にやってきたその時・その場所・その時間の地球のエネルギーパターンを受け取る。このパターンは、その時太陽系の各惑星が地球とどのような関わりにあり、どの惑星が地球にもっとも強く影響を及ぼしていたかによって変わるものである。エネルギー場というものは刻一刻と変化するので、人がいつ、どこで生まれたかということは、その人がどのようなエネルギー場が持つパターンを受け継ぐかを決定するのだ。逆に言うと、人間は時間と場所を選んで生まれることにより、自分の人生設計にもっとも適したエネルギーパターンを手に入れるのである。

それはおびただしい証拠を見ればわかることだが、特定の職業についている人間は、1年の内で同じ時期に生まれる傾向がある。バビロニアン・ブラザーフッド=イルミナティは占星術を邪悪なもの、愚かしい単なる占いとして人々がこれを軽蔑し、無視するように仕向けてきた。それは特にキリスト教を通して、また科学を通して意図的に行なわれた。バチカンには巨大な占星術天球図があるが、彼らこそが占星術を用いているのだ。この点においても世のキリスト教徒はイルミナティのために大きな貢献をしてきたのだ。しかも彼らの大半が、イルミナティの推し進める長期的人類奴隷化計画について何も知らないのだ。

人間の発する「雰囲気」という振動数は他と相互作用し、それが引き付けてくるものは、自分自身の反射したものだ。自分を犠牲者だと思い、人生は思うようにならないと考えているときは、そういう周波数に共鳴している「人や経験」というエネルギーに同調する。そして、自分は犠牲者で、無力であると感じさせられる物質的経験をすることになる。他人ばかり言い目をすると思い込んでいると、本当にそうなる。それは、現実になれば人生にとって最良のものとなるはずのエネルギーが、あなたと結びついていないからだ。お金がないと思っていたら、いつまでたっても金は入ってこない。お金もエネルギーなので、そのエネルギーを引き付けようと思えば、それを自分の振動数と結びつける必要がある。イルミナティはこれを用いて、お金を引き付けるようなエネルギーの流れを作り上げているのだ。

人が何かを怖れていれば、必ずその怖れているものを引き付けることになる。
恐怖のエネルギーは同じエネルギーを引き付けるので、怖れているものが現実の経験となって実現する。お金がなくなるのを怖れていれば、その状況が実現する。孤独や拒絶、攻撃などを怖れていれば、それらの実現に手を貸すことになる。それを避けるにはどうすればいいか。

それは自分自身がエネルギーであるということ、自分の思考や感情もエネルギーであって、自分の発信するエネルギーは同じものを引き寄せるということを理解するしかない。つまり原因は自分自身であると知ることだ。だから自分の人生に関して他人を責めてみても仕方がない。あなたの思考や感情がそれを作り出したか、そうでなければあなた自身がその影響を許している宗教やマスコミ、政治、医者や教師などによる思考や感情の操作の結果であるかだ。いずれにせよ、あなたの人生はあなたが責任を持つのだ。

だがそうであるなら、このことは素晴らしい知らせではないだろうか。
現在の好ましくない現実を作り出しているのが自分だとしたら、それと同じように、好ましい現実を新たに作り出すことができるということだからだ。要は自分次第なのだ。あなたがすべての答えを持っている。あなたがあなた自身の宇宙の中心で、あなたの宇宙を自分の望むものに変えていっていいのだ。そのように生き始めるなら、あなたの世界は変わるのだ。

ものすごいことです。これぞ自己啓発の最たるもので、本当に自分一人がこんな力を持っているのかと。

ただ、本当に自分一人でいわゆる陰謀を崩す方法って、本当にこれしかないのです。武器はこれしかない。だから、いざとなったらこれを使うしかない。

更に際どいことに、自分への陰謀は自分自身が許してしまっていると書いてあるのです!つまり自分のせいでもあるのだった。

陰謀論者は心が弱いという記事を書きましたが、まさかこういうこととは。

かんたんにまとめます。実は自分の人生は自分が決めるのだということ。陰謀は自分の心の弱みに付け込んで、自分に悪いことをされているのに許してしまうようにするということでもある。

恨みもなく憎しみもなく、たんに自分にされた悪事を許さないと決めてください。悪い奴らにしっぺ返しがないのは、われわれがそれを許しているからです。陰謀論の記事を見てしてやられた程度の感想ではまずいとおもったらまずいでしょう。

もはや自分の、また奴らの宗教でも自分の民族でも自分の国でもありません。やられているのは自分自身なのです。奴らの相手はもはや自分自身であって、ユダヤ教だからって悪いことするとは限らないのです。特定のそうしたグループを贔屓にするとか、許さないではこっちもいけないのです。許さないべきなのは自分にされた悪事です。

またキリスト教の赦しがこのての奴らに効くかはわかりません。執行猶予はなしです。

これ以上自分からの搾取を許すことはないでしょう。ついでに私がリククーブログで書いている技術もならず者(カルト含む)に許すことはないでしょう。

テレビの視聴率が減っているのはなぜ

昔は、夜の7時8時といえば定番の番組があって、それをみんな見ていたものです。

しかし、そのような番組がなくなって、数年で新しい番組が出ては消えます。

そのような番組は特にくだらないのです。

それはどうしてなのでしょうか。

くだらない話はなんのためにあるのでしょうか

普通の民衆は取るに足らないくだらない知識を交換しあって、へえそうなんだとそんな話で満足する、と言うのは誤解なのです。

つまりくだらない話に花を咲かせるというのは、愛を与え合っているのです。そのためのネタはどれでもいいのです。とにかく話がしたいのです。それはそれ以外に愛を与える手段が少ないからです。

テレビだってくだらない話をするのだが

ところがです。テレビ番組はくだらない話を、例えばCMでぶった切ったりなかなか話の核心を言わなかったりします。

それもパチンコの確変みたいな煽り方をします。ネタに集中させずに、いつ出るか出ないかに集中させる作用があります。

どうせくだらないネタです。視聴者はここでチャンネルを変えたり、局にとっては肝心なCMを無視したり、消したりします。

インターネットのほうがくだらない情報に満ちています。Twitterの画像投稿や「ボケて」を見せっこするのが若者です。

テレビはみんなにかまってくれる存在ではなくなったのです。

テレビ局は何を誤解しているのか

つまり、民衆が求めているのが、くだらないお笑いやくだらない知識そのものではないのに、

それを、さらに馬鹿でもわかるようにテロップを付け、効果音をつけ、どこで笑うべきかを笑い声を挿入して、雰囲気をぶち壊しにしたり、

ネタの核心をなかなか出さなくて時間を引っ張ったり、そうした技術で視聴率は伸びないのです。

昔のテレビは、みんなにかまってくれる存在だから、あれだけ視聴者が増えたのです。

それとも視聴率は純粋な統計ではなくて、実は電通からの通信簿なのでしょうか??

さらなるテレビマンの誤解

それは、映像テクノロジーの使い方です。

最新の映像技術を使って、どんな番組でも映像に手を加えることができる。キー局はどしどし使います。

しかし、小予算で作ったカメラでとっただけの番組が面白い。

新しい演出、映像効果に凝りすぎると、コンテンツに視聴者は集中できなくなり、その映像効果に心を囚われてしまうのです。

インターネットで、本文を表示するときに文字にきらびやかな装飾をつけたり、写真を表示するときに派手なフェードイン フェードアウトを使うサイトはないでしょう。

更に言うと本文をスクロールするといつもページの概要とリアルタイムコメント欄が横に表示されるサイトはないでしょう。

だがそれをやっているのがテレビだと思ってください。

映像効果が進歩すればするほど中身よりそれに心を囚われて不快感を催します。