『クール』な奴でよかったのか?

若者でも昔の音楽、ドラマ、文化をよく知る時代になりました。

あのころより今の方が、ずっとクールで、かっこよくて、さっぱりした雰囲気で

それで本当によかったのでしょうか。

クールという言葉は何なのかよく分からないのですが、何なのかよく分からない言葉って、大体怪しいのですね。

クールジャパン政策も日本がクールなわけないだろうって世界から無視され、日本の企業の取り組み、例のごついランドクルーザーとかが注目されていると思います。ランドクルーザーがクールなわけないでしょ?

みんな、クールにはまった。女性はおだやかであったかい顔つきは無視され、知恵のありそうなスパッとした態度をもっていそうな女性がもてはやされた。

あの頃の技術で曲がりなりにおしゃれに作った家電はなくなり、単純で、つまみだらけのデザインから、さらにスマホやWindows10のそっけないフラットデザインになった。百年前はそれなりに飾り付けた製品や洒落た製品が多かったが、コルビュジエなどがルーツの今のデザインは、もはやアジアでは適当に箱に四角や丸をつけて、終わりだ。日本家屋は田舎にしかない。

ジーンとくる深い意味をもつ歌はなくなり、もう、めっちゃ好きだよと連呼するだけの歌になった。

がむしゃらに働く筋肉の付いた顔の濃い男はバカにされ、クールで人の努力を使ってのし上がる体の細い男がもてるようになった。

がむしゃらに勉強して、物事の本質を理解する人間は無視され、こうちゃちゃっとやって終わりな人間が、専門職や幹部に付くようになった。

熱血アニメや神話よりも超能力テニスとか、科学技術を極めた憂鬱な戦争ものや、血しぶきとか、こう簡単に優れた異性を手に入れるような、クールなアニメがはびこり、皆の心から熱がなくなった。

コンピューターはクールだ。しかしクールを進めすぎて、人を使わないとか、パソコンに無理をさせるとか、あまりにクールに考えすぎて、職場が冷酷になった。自分でも何をいっているのか分からない。SSDはパソコンをできる限りのんびり使いたい人や、データの想念を大事にする人には向いていない。

愛を与えるとか、受けとるということはダサいとされ、自分本位がクールとされた。幼児の頃私こそクールな男で大失敗しました。

さらにクールで失敗した私は周りのクールな男どもにいじめられた。クールな女どもはしかとした。クールがはびこると差別が行きすぎる。マジで辛い。

そして、クールというのが世の中に少なかった時代は終わり、どこもクールだらけです。クールに希少価値などなく、プロジェクトXや半沢直樹、下町ロケットなどのアツいドラマがまた人気になってきたのです。

古くから生命体はHotだった、情熱にあふれていた、熱い心こそこの世の生命体だったのです。一旦昭和30年代まで戻りながらも科学技術も相まって新たな熱い文明を作らなくてはなりません。

一旦古いグッズや古い音楽やらを集めながらも、やはり先へ進むべきです。それは必死で今の熱い何かを探すのもいいが、自分で作るということに収束します。作るってダサい。自分で作っても簡単なものしかできない、いや、自分で作らないと、世代交代により、他に誰も作ってくれる人はいなくなります。ゲームだってそうですから

異性のえらび方、クールな男、クールな女をえらぶのはそろそろ失敗するでしょう。ホットビューティや熱い男ならいっぱいいるし。雑誌に出る異性だけが美人やイケメンではなく、よく見て。その顔、愛情たくさんありそうだよね。

広告

クレーマーという権力

最近はテレビ番組がどれも似たようなものばかりで、再放送もCSなど、有料チャンネルだらけです。

暇つぶしのような番組、カードバトル、通販、ヒーローものが何とか個性を出している程度です。

かつての良作やその路線を進化させることはできません。かつての良作はなぜか深夜にやったりしています。誰にも見捨てられるものもあります。

いい番組が始まっても半年で腐ります。同じような腐り方です。そう、たんに百済なさすぎるだけです。

ええ。情報を集めると、「クレーマー」の存在が目立ちます。テレビ局やスポンサーに苦情をいう人です。そういう人のせいでスタッフはもはや何もできなくなっているといいます。

実はどういうわけか、今でも、いや、今更に番組の質が低下しているのに、かつての良作がクレーマーの圧力でなくなり、平気で新しい番組は、おかしなことをたくさんできるのです。

それは、テレビ局の解釈にもよるし、また、いまはテレビに苦情の電話をいれるのは、公衆電話をかけるように、分毎に相当の値段が加算され、待ち時間も多いのですから、暇があって資金をもっていないとできません。つまり、おそらくプロ市民です。

そして、テレビ局は、視聴者からの苦情だ、と世間にはいえばいいだけだし、スタッフもマジで使い魔にすぎないので、そういってしつけておくだけでしょう。

いい番組が偶然できる。個性がある。個性は真理からずれているため、こじつけでもクレームができる。そこで番組がなくなる。どうとでもできます。逆に真理を謳う番組に平然とどくがはいっているかもしれないのです。

有料チャンネルは結構な月額を払います。そこまでしてみたいなら、見せてあげるよ。検閲ですね。ポテチ喰いながらぼーっとみるよりまじめに光回線引いてパソコンやりませんか?

クレーマーによって低下したところは、ニュースや報道にも通じます。ネット右翼の今の報道がおかしいという重大ないけんが取り入れられると、今度はテレビ局は無条件で今の政権や職人、技術力を礼賛して、欠点を何もいいませんが、マスコミが一言も文句をいわないのもおかしいことで、歴史の例は独裁や全体主義を強め、今の情勢では中国、韓国は技術力、特に技術を大衆に適用させる力、さらにそれによって民に富をもたらし、幸せにする力で日本を上回ってきているのを隠しているので、このやり返し方も相当に手が込んでいます。ネット右翼を裏切るのは自民党政権もかもしれません。

このざまではテレビ局は世の中を崩壊させるのを、頑として止めようとしないということが伺えるのです。

テレビ局もテレビ局で、このグローバル資本主義の時勢に、赤坂や六本木の不動産が本業で、テレビ事業は赤字垂れ流しだというのです。

実にどこにも自分たちの味方など、いなかったのです。学校でいじめに立ち向かうように、自らが戦ってこその自由なのです。

この記事によって、あたらな 民衆 VS テレビ権力 の戦争が始まります。多数の人が少しづつ苦情をいうのもいいが、そもそもテレビから離れるというのもいいです。誰も見向きもしない、YouTubeやニコ動の動画の中に 本当の宝が隠れているはずです。さらにもし、それらも検閲される時代になったら、逆に切符で鉄道に乗って、実物を見に行くという、昔帰りです。昔の暮らしのあり方をバカにしていたようだ…

さらに加えると、ジャンプをはじめとする漫画やアニメにも同じような傾向があるでしょうね。いまのジャンプはエロ雑誌寸前だし、青年誌は要するにレプティリアンが人を喰う話ばかりで、これでも規制されて思うような表現ができないというから、規制するところを間違えている。そっちのクレーマーは多分レプティリアンが人を喰うとか、戦争そのものが大好きなのでしょうね。これも誰も見向きもしない漫画アニメに真実があるはずです。

右も左も間違いだ

私はいじめられっ子で、かつて暴れた経験から権威に従わなければならない感覚に囚われ、

そんなときに中学で反戦教育を全部聞いてしまったが最後、自尊心がなくなり、戦争の記録がいじめとダブり、思春期でむちゃくちゃになってその授業中に笑いだして、それで反戦教育が止まったんですね。

一方の右も2010年頃からの単に人を蔑むだけのまとめブログとか、キャンペーン化とか、とにかく人を叩けばOKとか、韓国サムスンがフラッシュメモリで勢いがあり叩いても割れない液晶を開発しても日本のIT、電機業界の没落を恐れおののかないで無視とか、日本の個人の権利を無視とか、そしてまともな理屈の載っているサイトが出なくなってきている。

どうなんでしょうか。そして 右 左 それぞれの語る真実が真実だったのか。

リテラは日の丸の旗が大量に振られているのを気持ち悪いという記事を書いて叩かれました。

正論は不倫はチンパンジーでもやるという記事を書きました。

そうです。右派には右の記事だけ読ませ、左派には左の記事だけを読ませる、囲い込みです。両方が真実を語るのではなく、断片を語ります。

そして右派と左派、国と国、老人と若者、ITと文系、学者と無学者、どんどん仲違いさせて喧嘩させるようにできています。このように真実ではなくちっとも平和にならないような情報が多く行き渡っているのです。

だから太平洋戦争で慰安婦や、731部隊とか、南京大虐殺とか、いろいろな説が飛び交っているがどれも未来につながらない。そういう風に伝えるメディアだらけなのです。

また特に右でも左でもない雑誌もあるようなのですが、(直感では「THEMIS」とか「選択」とか)書店にもないことが多く大きめの図書館でしか手軽に読めないでしょう。

真実を探るのにはとにかく行ってみたくないサイトを訪れ読んでみたくない雑誌を読んでみることです。絶対に間違っているというのは嘘です。そしてこの行為はカルトを信じていても抜け出せる可能性があるのです。

更に英語サイトの海も興味深い。日本がどう思われているか翻訳でなく生でわかると気持ちいいし日本の外も面白いことをやっている人がいるので参考にできます。政治と信仰に関してはみんなかなり骨太な理屈を持ちはっきりした意見を持っているようです。理系の情報はまんま0から教えてくれます。ただ日本人のなんとなく神社や寺にお参りする信仰や神道の奥深さは外人には一番わかりづらいはずです。

更にいうとジョークサイトも際どい真実をついてくるので笑えるのです。ジョークサイトでしか語られない真実もいくつもあります。虚構新聞やアンサイクロペディア、[削除済]などです。

とにかく自分で世界の真実についての考えを作ってみてください。

更にいうと、オカルトと唯物左翼も同じような展開になっています。たとえば オカルトでは子供は親を選んで生まれてくるといいますが、唯物左翼は科学的な見方しかしません。

しかしどうも私の見解では子供は国や親、環境を自由には選べないみたいです。要するに神と相談して生まれたいところというより生まれるべきところに生まれてくるので、道理で辛い子供時代がありうるのです。障害児はむしろ出来損ないだというところに意味があり、障害児を傷つける人物は反省せず普通の他人に対しても異常なことを執拗にやり続けているはずです。

一方で左翼が非難する膣はパワースポットというのは本当のことだと思われます。生命体は負のエントロピーを持っていることが多く、秩序を作り出すことができます。新しい命ができる膣は現代の科学で説明できないものを持っています。死んでいく、新しい命ができる、そうやって人間は生きているし、進化しているのです。

フリーエネルギーもそうだ、結局やってみて頭が混乱することしか起きない。罠がいくつもあり、投資詐欺、無料の嘘情報、使命感と現実の罠、エーテル理論の難関、電磁気回路がだめで熱化学のほうが近い、挙げ句無償公開されたマシンは片っ端から魔法で動かなくされる・・・

右と左は両輪、オカルトと科学は両輪だと思ってください。宗教の教えと魔法も実は両輪みたいです。

しかもTOCANAとリテラは昔は同じサイゾーが運営していたので、ここからはまんま陰謀論の領域ですね。

(安倍首相は膿を出すと言って自分の膿まで見せている。多分これから政治家全員がこういったことを国民の前ではできないようにする空気にする作戦かもしれません。裏を読むのも大事です。)

日本で陰謀論は相手にされていない

なんかセキルバーグの都市伝説なんてのもテレビで人気にはなったけれど、

あのあと陰謀論とか歩む人いないじゃないですか。

陰謀論はマスコミ系のTOCANAが幅を利かせて、なんか単に残酷な話と外れる予言と人の価値を踏みにじる表現でおかしなサイトとして有名になっている。

スピリチュアリストのサイトはそれは文体が美しくて、波動はいいけれど、説いている教えのレベルが大川隆法とよく似ていてこう噛んだら中身のないドーナツなんだよね。

それからいろいろなこの手のサイトは、かなりページの体裁がしっかりして、手間もかけて作られている。文もプロ並み。この辺特に怪しいのがRAPT。

で、陰謀論のサイトって、陰謀への対策なんて全く書かないことも少なくないんだよね。私が紹介しているフリーエネルギーの話題も、

グラフェンシートとか、ちらほら日本の研究機関からもマクスウェルの悪魔とか、スピン起電力とかメタマテリアルとか、出てきているのに、不思議なことにみんな無視するんだよね。

そこでTOCANAだけグラフェンシートを取り上げると、あのTOCANAだ、デマだからキニスルナっていう評価になる。

そうなんだ。陰謀論のサイト、スピリチュアリズムで幅を利かすサイト、実は幸福の科学と同じ臭がするんだ。こういうところにハマると、きらびやかな言葉で洗脳されながら、実際悩みが大きくなって、おかしくなり、金を差し出すようになるんだ。

そうなんだ。日本では陰謀論者より多分何倍も何十倍も陰謀を宣伝する陰謀側の人間が多いんだ。

それだけ、日本人は希望の見えない話が嫌いで、だったらなんにも見えないほうがいいって。実はこれは有効な戦略なんじゃないかなって。3.11だって私が放射能で怯えているうちにみんなで何とかしちゃったんだよ。みんな日本人を舐めている。

それでも陰謀論で落ち込むつもり?マジになってどうするの。

もしあなたが答えを欲しいなら、美しい言葉ではなく、非常に重たい波動のする言葉を書いてあるサイトを探そう。大きな真理は重たいんだ。そしてその真理の中には、あなたが聞きたくなかったこともある。

それから魔法使いがやっているサイトも見よう。本当にあるんだよ。こんな陰謀の中で勝ち抜いてしまう教えがある。

で、私はここまで描いたからには当然陰謀論者なんだけれど、こことリククーブログに何を実際書いているのか、見てもらいたいものです。

ついでに、必ず悪には終わりがある。大魔術師はその魔術でどんな自分の欲も叶えてゆくわけだけれど、人生の最期にはおぞましい死に方をするらしく、

陰謀をやっている、自分たちさえ良ければいい結社も、倒れるときは想像を絶するでしょう。

これはカルト宗教も、ねずみ講も、

喜びと引換えに命の金銭を吸い取る昨今の技術企業や奴らのオカルトをふんだんに入れた、漫画アニメ出版もそうでしょう。

海賊版を取り締まるだけでなく、

著作権保護で逆に衰退したウォークマンやJ-POPやテレビの衰退と海外のYouTube、Apple Musicの隆盛を見て、

同じく、金銭的なサプライズが必要です。やりたくないのはすなわち命のお金をこれだけだして買ってくれているという感覚が欲しいのでしょ?

必ず悪には終わりがあります。

彼らは5000年も続けているのではなく、死と再生を繰り返していると思われます。

手塚治虫のした悪いことを考える

どうもここのところ真実じゃなくてステレオタイプをどんどん出版してゆく評論シリーズがありましてね。キャッチーな触れ込みでね。

これじゃあ行けないと思ったんです。みんな認めるような人でもおかしなことをやっているもので、

リンカーンなんてネイティブアメリカン大虐殺ですから。

で、そうこっちもマトモな分析をしたくなっているのですが、どうも資料が足りないので直感で行きます。

手塚治虫の漫画は凄まじい迫力があって、アニメにしても相当な深みがあって、畏れさえ抱くものです。ミュージカルを見ているような展開と壮大な世界観、読む者に気づかせる悟り。

彼自身はテーマは一つ「命」だと言っています。だが一方で相当な嫉妬心があったことも言われています。

彼に非難されるぐらいになったら一流の入り口だと言われるぐらいだったようです。

彼は勢いで他を圧倒しました。信じられないペースでしかも複数シリーズ書き続けることでライバルを過労にさせました。

いま漫画家というのは彼の時代より複雑な描線もあって相当な激務であるそうで、儲けてもアシスタント料に消えることが多いそうです。

彼はアニメーションでもその後に影響を残しました。アニメーション制作始まって以来の伝統秒間24フレームを使わずに15フレーム以下でざっくばらんに鉄腕アトムを仕上げた。

このざっくばらんでは原作の迫力より、話がまるでかんたんになったようでその後のアニメでは15フレーム、時にはコマ送りで迫力を出す研究が進んだようです。

彼は制作費の大半をテレビ局からでなく、おもちゃの著作権ライセンスでまかなう道を選んだ。テレビ局が金を払わなくていい歪な経済構造が生まれ、子供向けのアニメはおもちゃ商品の宣伝に堕ち、青年向けのアニメはDVDでやっと資金を回収するとか、うまくいっていないようです。

ゆえにアニメーターの給料が薄く激務なのも遠因は虫プロらしい。

過激な表現とされるものが手塚治虫の世代から変わってきたようです。日本の漫画アニメの特色がもはや心をざっくりえぐりさえするようなシーンとそれを切り抜けるストーリーになっている。もしくは変態。とにかく脳を興奮させる。よむ人は興奮状態に依存するようになる。そういう商法。より過激、より倫理的におかしくなる。海外では子供に見せてはいけないとされるものも多い。

手塚治虫の漫画、ええ素晴らしいですね。しかし日本の伝統をどこか壊したかもしれないし(日本の漫画アニメは西洋オカルト秘術で満ちている話はまえしたはず)なにより手塚治虫の作品が未来でも最高でないと気がすまない、これから出るであろう超人を抑えておくための仕組みを作ってしまったように見受けられる。

さらにその子孫も恨まれているようで何かがあるのでしょうか。

そして今の日本のコンテンツ産業、世界への普及を考えると、とにかく西洋オカルトの布教だらけ、今までどおりやっていいものではない。女子供はまずピクサーを見ろという世界の趨勢。日本が大人のアニメーションとして生き残るには、もう少しオカルトじゃなくまともな哲学や真理を加える必要があると思われます。「正義は一つじゃない」路線は大人向けには間違っていません。「ゆるい」が世界に流行るのはいつ頃でしょうか。

テレビの視聴率が減っているのはなぜ

昔は、夜の7時8時といえば定番の番組があって、それをみんな見ていたものです。

しかし、そのような番組がなくなって、数年で新しい番組が出ては消えます。

そのような番組は特にくだらないのです。

それはどうしてなのでしょうか。

くだらない話はなんのためにあるのでしょうか

普通の民衆は取るに足らないくだらない知識を交換しあって、へえそうなんだとそんな話で満足する、と言うのは誤解なのです。

つまりくだらない話に花を咲かせるというのは、愛を与え合っているのです。そのためのネタはどれでもいいのです。とにかく話がしたいのです。それはそれ以外に愛を与える手段が少ないからです。

テレビだってくだらない話をするのだが

ところがです。テレビ番組はくだらない話を、例えばCMでぶった切ったりなかなか話の核心を言わなかったりします。

それもパチンコの確変みたいな煽り方をします。ネタに集中させずに、いつ出るか出ないかに集中させる作用があります。

どうせくだらないネタです。視聴者はここでチャンネルを変えたり、局にとっては肝心なCMを無視したり、消したりします。

インターネットのほうがくだらない情報に満ちています。Twitterの画像投稿や「ボケて」を見せっこするのが若者です。

テレビはみんなにかまってくれる存在ではなくなったのです。

テレビ局は何を誤解しているのか

つまり、民衆が求めているのが、くだらないお笑いやくだらない知識そのものではないのに、

それを、さらに馬鹿でもわかるようにテロップを付け、効果音をつけ、どこで笑うべきかを笑い声を挿入して、雰囲気をぶち壊しにしたり、

ネタの核心をなかなか出さなくて時間を引っ張ったり、そうした技術で視聴率は伸びないのです。

昔のテレビは、みんなにかまってくれる存在だから、あれだけ視聴者が増えたのです。

それとも視聴率は純粋な統計ではなくて、実は電通からの通信簿なのでしょうか??

さらなるテレビマンの誤解

それは、映像テクノロジーの使い方です。

最新の映像技術を使って、どんな番組でも映像に手を加えることができる。キー局はどしどし使います。

しかし、小予算で作ったカメラでとっただけの番組が面白い。

新しい演出、映像効果に凝りすぎると、コンテンツに視聴者は集中できなくなり、その映像効果に心を囚われてしまうのです。

インターネットで、本文を表示するときに文字にきらびやかな装飾をつけたり、写真を表示するときに派手なフェードイン フェードアウトを使うサイトはないでしょう。

更に言うと本文をスクロールするといつもページの概要とリアルタイムコメント欄が横に表示されるサイトはないでしょう。

だがそれをやっているのがテレビだと思ってください。

映像効果が進歩すればするほど中身よりそれに心を囚われて不快感を催します。

日本の俳優はへたくそではない

海外の俳優、女優のほうが迫真の演技を見せる、という評判があり、

またアニメの声優はマニア以外にはあまり興味をもたれていないように思えます。

このようなことを論じるより前に私は違和感を持ちます。

海外のドラマではストーリーの世界の住人になりきるのが俳優の仕事で、基本的なしぐさはやはり舞台が現実にある国だったりするので、現実的です。

しかし日本のドラマやアニメは違います。どんなに凝ったセットでやっていても、俳優は寸劇、ミュージカルに近いことをやっているのです。

凝ったセットで完璧に世界を作りながら、俳優の声やしぐさは寸劇のそれによく似ているのです。ここに違和感があるのです。

だが寸劇の役として日本の俳優は優れているのはあたりまえです。

アニメにいたっては元が子供向けから始まっているので子供でもハッキリキャラを認識できる強い個性を持った声になります。

この濃いキャラが大好きな人がいっぱいいる一方でジブリは声優を使わない。

ジブリは世界観が毎度毎度よく完成されているので、声優が浮いてしまうのです。

アニメやドラマを一般にさらに普及させるために、より人間が受け入れやすいしぐさや声を作るべきだと考えています。