日本のやり方

真理に至る道は複数あり、入り口は多数ある

日本の真理に至るやり方は西洋と真逆 あえて中国とは言わない まさしく日本

国境にとらわれては真理に至らない <> 神国を作った

個人が自由にやるのが大事 <> みんなでまとまろう

どんどんビジネスをやろう <> その場をしのぎながら1000年店を開く

人間の高度な思考が自然を上回る <> 自然を敬おう

全部理知性が解決する <> よくわからないがなんとかなる

命ほど大事なものはない <> 大事なことには命さえ捨てる

専門店 <> 総合商社

など どっちが日本なのかよくわかるよね。

中途半端に西洋のやりかたを入れてしまうと、真理に至る山の横を回って遠回りになってしまう。疲れるしみんなで混乱する

なぜ西洋のやり方と真逆なのか。地政学的要素も強く、理にかなっている。戦争は神から見れば負けた方が勝ちだというが 日本は大陸で負けた人が集まり、また負けても国が生きている。この意味も考えるべき

これから日本的なやり方をより極めるべき。

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人形を消毒したい

人形を洗濯する方法はあるけれど、洗濯できないとか、洗濯しても菌が落ちていなさそうとか

そういった心配の時に人形を消毒する方法を教えます

大体の人形の、ワタの奥まで消毒できます。

スーパーの袋(刺身や魚、肉、納豆を入れていないもの)とか新品のゴミ袋に人形を入れ、

消毒用アルコール100mlのふたを開けて倒れないようにセットします。これができないならティッシュに思い切りアルコールを染み込ませ、人形に触れないようにセットしてもいいでしょう。

袋を縛り完全に密閉します。

それから6時間ほど待ってください。

袋を開けると人形がいい顔して出てきます。この行いはたぶん心の健康にもいいはずです。

民主主義やる気あるのか!?

白人はどうでしょうか。自分の利益を求め、国に積極的に政策を促すのをみんなでやっているから、支配層はそれに応じざるを得ないのです。

日本はどうでしょうか。マスコミは盛んに政治家の汚職を叫び、ブロガーは「もうておくれ」とあおり、人民は引っ込んでいる。

支配層がやりたい放題にできる、結局唯一の望みだった安倍総理が、裁量労働制やいろいろなカルトとのつながりなど、失望せざるを得ない状況は、当然国民が何も求めていなければ、国民がビジョンを持たなければ、自分の利益を優先するからです。

みんなで求めないと、支配層は答えません。この時組織で団結する時代は終わりました。

カルト宗教も右翼も共産党や労組も、組織的な運動はろくなことがありません。人間はとにかく組織を作るとろくなことがないです。さらに正義や真理は特定の組織の専売特許などではないのです。

みんなが自分の意志で国に働きかけるべきです。小さなことから始めるべきです。

豊かさを求めすぎる人間

豊かさ、快楽、人間はいつまでもそういうものを求めますが、

いくらでも求められるというのは間違いだと分かって来ました。

エネルギー消費の問題は、人間が使えるエネルギーが限られていること、

使いすぎて環境破壊や地球温暖化をもたらしたりという事を考えないで、

後先考えないで大量に使う、エネルギー争奪で戦争が起こり、核技術が出てくると。

だが昭和30年台のような暮らしでも人間の社会は成り立っていました。あの頃でも金持ちは金持ちだった。お金がちゃんと回っていたのですね。

果たして、ハイテク、IT技術は、どこまでも進歩していいのでしょうか。

人間の幸せには、何が必要だったのでしょうか。なにが人間を不幸にするのでしょうか。

テクノロジーはなんのためにあるのでしょうか。

アインシュタインは第三次世界大戦は核で、第四次は棍棒で戦うと言いました。

人間の野蛮な心と科学で、いったんすべてを破壊するほどの戦争をするよりまえに、ちょっとゆるいしあわせを考えてみてはどうでしょうか。

追記:もう国連や日本政府は報告書をまとめています。企業も参加しているという「持続可能な社会」「持続可能な開発」という言葉で検索してみてください。ただ言っただけではダメ、行動に移せるようにするのは我々です。

追記:永久機関の到来を手放しで喜んではいけません。そのときにはもはや人間は地球の自然とともに、宇宙のフォースとともに歩まないといけません。もうその時代に人間だけの利益を求めたエゴや争いは許されません。

科学は省力や便利や愛ではない。科学は力だ

人間は科学によって進歩したのでしょうか。

たしかに、科学はとても人の労働を楽にし、人のつながりを非常に広くしました。

だが、それで人間は幸せになり、愛を分かち合い、気が楽になったのでしょうか。

一方で科学は兵器を作り出し、殺戮が広がり、ならず者を強くしました。

科学こそ力だ。科学だけで愛や助け合いや楽、平和、それを勝ち得るでしょうか。

かつて未来想像図でユートピアを思い浮かべた年寄りさんも多いでしょう。今その技術が実現しています。

科学はむしろそうしたものなどではなく、POWERやFORCEだったのです。科学こそ力だったのです。人間が科学によって手に入れたのは「力」だったのです。

自分たちで「力」をどう使うのか、愛や善や環境負荷軽減によって決めなければ、それは本能と結びついて武力にさえ=限りない暴力にさえなるのです。欲望を実現させる、力。欲また欲のこの世界で、際限無く力を得て悩みは尽きない。逆にブッダはすべてを捨て去った。

ついでにこのブログの読者層へ。科学こそ幸福の科学で言う「裏」だったのです。念力、超能力を鍛える、そういうのとあまり変わりはありません。人への情けがないのも変わりありません。ニコラテスラが裏?ご名答。でもエジソンもジョブスも人間関係とか企業の競争とか結構人への情けなどないでしょ?挙句日本の科学者は左翼が多いでしょ?

前にも書いたと思うけれど最近のFBI Tesla Vaultにあるがテスラはソビエトにも秘密裏に自分の技術を提供して、殺されたが、同じ超兵器が2つの超大国にあることで米ソの戦争を、東西の戦争をできなくしたのです。その1つの例がCIAが存在を確信した「Soviet Beam Weapon」検索すると出てきます。また、太陽熱ヒートポンプ動力の技術も、無限の太陽動力は時代が早すぎるとして公開を見送りました。時代が早すぎると大混乱を起こすのをわかっていたのです。

(あ、今ならこれで発電機を動かすと驚異の60%効率になるはずです。エアコンの冷媒に太陽ヒーターと冷却塔と細い管とタービンを使います。太陽電池なんて目じゃないから2020年以降でも十分元が取れるはずです)
そういうものを言う発明家だったテスラを忘れてはいけない。東芝GEとは違うのですよ。

そして力としての科学を考えると、「幸福の科学」という名前の付け方に、なにか疑問を覚えませんか?

偉人になりたい、社会に貢献したいという我欲

最近アンチカルトのスレで、転載禁止なのでかけないが、価値観をひっくり返されるようなカキコをみまして。

みんな、偉い人になりたい、偉人伝に出るような人すごい、とか、悟りを開きたい、覚者になりたいとか、思っていませんか。ええ一度はそうおもうでしょうね。

しかし、よく考えてみてください、なぜそういう偉人になりたいのでしょうか。

私はなぜいい子になったのか、それは社会が怖いからです。前のどこかの記事にも書いたはずですが、本気で仲良くしようという空気より、しつけられ自由を制限されて、従っていればいいみたいな、そういうマイナスな理由でいい子になっているのです。

また地獄に落ちたくない恐怖心でいい子になっていたら?

その延長線に偉人になりたいという思いがあるとしたら。偉人になることで、自分の価値を確立し、けなされても跳ね返せる、自信が持てる、異性にモテる、みんなに尊敬される、そういうことを目指す我欲が本当の目的だとしたら?

そういう意志ってかなり歪な人生になってしまうかもしれません。悩み深く、浮かばれない、目標がでかすぎる、自分はちっぽけだという事実を突きつけられる。

なんと普通に人間として生きることに高みを見出すのが一番いいのだそうです。

現代デザインのパクリ疑惑に見る限界

こんばんは。

現代デザインは、わけのわからない現代アートと違って、とても美しいものであります。

しかし、現代デザインでは似たような作品が大量にあり、パクリ疑惑で、白か黒か、場合による、とても難しい問題があります。

では私が思っている現代デザインのルーツを語ります。

大量にモノを供給することが求められる19世紀末から出てきたのが現代デザインです。

単純で、加工の手間がいらず、すぐに作れて、なお美しい、というのを求められるのです。

それ以前の貴族たちの調度品は非常に複雑でこっていて作るのが大変です。

科学技術を一般に広めるのに、そんなこったことはできません。ガワを単純にして、使いやすくします。

またロゴデザインや交通デザインは瞬間的にこれだと判断できるのが求められる。これはどう見てもシンプルにするしかないです。

服もそうです。簡単に作れる、シャツに 印刷することが個性です。形はみんな同じです。

しかし現代デザインは人間の心を無機質に近づけてしまうように思えます。結局、小金持ち以上は、手のこんだ美術品や家具やお皿をかい、愛用するのです。

世界各地で建物が、風景が違い、民族服が違い、家具が違う、近くの地域では似通っていても、特色があり、豊かな文化がありました。

現代デザインぐらい似通ったデザインなど、ありませんでした。私なんて韓流ドラマは違和感がしてついて行けないけれどお姫様の服は結構いいと思っている方です。

世界各地に、いろいろな工芸品があり、いろいろな民族服があり、いろいろな建物がありました。私は、そんな各地の豊かな文化が現代デザインに置き換えられてゆくのに妙な不信感があります。

現代デザインはもう少しで飽和してしまう危険があると思っています。ある程度複雑なデザインでないと、似たようなものだらけになるし、複雑なデザインといえば伝統的なものから作るほうがいい。

現代デザインが行き届いたところと、なんか垢抜けない土地、どっちが結局栄えているでしょうか。日本のバブルを振り返って垢抜けない雰囲気が残っていたし、今の中国も垢抜けないし、アメリカのデザインもパワー重視で美しさに視線がいってない。

さらに、垢抜けなさは生命力に直結するでしょう。クレイジーキャッツは滅茶笑える歌をいっぱい作ったが、それまあ今のポップに比べて昔の歌だなあという感じは存在するし、激烈な疲労回復効果のあるとされる韓国のポンチャックに至ってはチープでしょうがない。ポンチャックをK-POPに近づける努力はあるが、やると疲労回復効果がなくなっている。

また現代デザインは実際に人間がいる環境でまったく効果がなくなってしまうこともありえます。これは東京都現代美術館のロビーと展示室の脇の休憩室を比べるとわかる。人間そのものが垢抜けない存在だったのです。現代デザインのなかに人間が入ると、人間の気分が逆に悪くなることもあり得るのです。通勤電車もそうだし、某建築家のデザインした家に入ると自分以外の他人が敵のように見えるとか…SCP案件じゃないの

日本の伝統デザインは木造建築の規制で外では廃れたが、中身がどう見ても日本な家なら作れるでしょう。それを期待します。国の特色が失われるとなにかに乗っ取られます。出してゆくべきでしょう。

昔っぽいデザインで一番成功したのが小岩井牧場だと思われる。ひし形のそっけないロゴから、銅版画のような豊かな歴史の有りそうなロゴに変えたのが、なんと1980年代。漂流乳業から「小岩井牛乳」の説明

売れ行きが爆発的に伸びたそうです。伝統デザインはマーケティングにも使える、有力な例です。