悪魔性を全部排除すると弱くなる

海賊ルフィや怪盗ルパン及びIII世、大人気。なぜか人間は適当にワルい男を好むようです。

またあるスマホゲームの代名詞といえば、「サタン」で、「お祝いサタン」などの特別仕様があるようです。

翻って正しく有りたい人間は、いい子でありたい人間はどうでしょうか。全然強くない。むしろ打たれ弱いのがふつうで、ガリ勉のレッテルを貼られ、独りで縮こまったりしています。

悪魔って本当は何なのでしょうか。それは自分だけの利益を最大に求め、他人を傷つけこき使い、神に挑戦までし、やがて神に負けるも懲りもせずにまた計画を立てる存在だったはずです。

これってどこがいいことなのでしょうか。どこもいいことない。と思ったら何か間違っています。

悪魔の元気どこから出てくるのでしょうか。負けてもなお自分を貫き通す元気がどこから出るのでしょうか。

悪魔の持っているベクトルのひとつ、自分を貫き通すという力を全く失った人間は・・・いじめられるだけです。悪魔を完全に否定するとそこまで否定して自分自身が弱くなってしまうのです。

天狗とか、妖怪や龍とか祟り神とか、発明家ニコラテスラとか、ときに恐ろしいぐらいに妖気を感じますね。あんなのがと思っているひとへ、あれはあれで自分を貫き通す力が強くて、かつ善である。そういったベクトルは宇宙の力の一部です。

いかがでしょうか。善人が時として羊とまで言われる現状、悪堕ちはしないがあのぐらいの元気は時には必要なのではないでしょうか。

強いやつがほしい。力がほしい。力の操り方を知りたい。だから海賊や泥棒、悪魔までが漫画に出てくるのではないでしょうか。

いじめを許す文科省と教育委員会に告ぐ

ここのところまたいじめ問題が出てきていますね。

まず先生がいじめを無視したり煽ったりする真の意味を考えます。子供同士でやっているならともかく、学校で出会っていじめるということは、

つまり国家権力の一つである、わざわざ子供を囲い込んで国がやっていることである公教育機関において、いじめられっ子は何を悟るかというと、学校に警察が来なくて、権力の末端である先生がいじめを許すということで、つまり国がいじめを許しているととらえる。

つまり、いじめられっ子の真の敵は、日本国家であるとみなす。さらにこんな人生にしたのはだれかと神にまでストレスをぶつける。恐ろしいことですが私はやりました。国家まで追求するのはロジックに全くおかしなことはありません。

教育委員会や学校がいじめをむしろ許すというのがふつうになってきている。親が訴えてもなおシラを通す。

先生も色々言い訳をしますが 悪いことは許されぬはずなのに よくもこの現代において犯罪を許すという法治国家にあるまじき様相です。

あなた達はむしろいじめが必要だと思ってらっしゃるのですね。そうとしか思えません。

ええ。ブラック企業などの労使問題、政治家の汚職や権力、芸能界のコネ出世、企業の利権と地上げつり上げ独占、高利貸し、カルト宗教及び秘密結社、いろいろな問題がこの日本にあるが

いじめを許すことで、子どもたちに支配と服従の概念を覚えさせ、横のつながりよりもこの2つをとても重視させ、優れた豊かな人が僅かな縦割りピラミッド社会を勧めているのですよね。

いじめっ子は支配側に、いじめられっ子は服従の側に生涯させ、階級を固定化させるのですよね。現代でも階級はなくなっていない、現にあるのですよね。

搾取できる人からみっちり搾取できる、しかも合法に。そんなしくみをあなたがたは築き上げてきたのですよね。さらに奴隷が自ら自分自信を差し出すまでに。その基礎勉強がいじめなのですよね。

あなたがたはもっといじめを普及させたいんですよね。そうとしか思えません。自分たちが上であるために、奴隷を育てたいのですよね。

さらに苦しんでどこにもやり場のない人間の悪想念をかき集め栄養にしている悪しき存在も十分に考えられます。

そして、一旦いじめを悪だと認定し取り締まるようにしたら、先にも取り上げた世の中の殆どの悪がいじめの要素が入っているので、それらも取り締まらないといけないのを恐れているのですよね。

あなたがたは人間のすべてへの絶望とその後のロボット化をやりたいのですよね。

もしそのつもりでなければコメントください。(DEBUNKしてやります)

この日本がどのようにして平和と繁栄を築き上げたのか。振り返ってみてください。三丁目の夕日とプロジェクトXにあったようなさまざまな協力があったからです。あのころいじめは直ちに撃退されました。貧しい中みんなで協力して努力しました。

日本国家への反逆から左翼への転向へ仕向けているはずが、今インターネットでは教育がおかしいのは戦後政策と日教組のせいだという意見が多数であり、逆にネット右翼が増える。さらに陰謀論は証拠こそないがまさにいじめられっ子の経験から世界はまさにこうなっているという結論になります。

このままでは日本がおかしくなり、あなたがたも金を儲けるどころか生きることさえ難しくなる、カルマの転嫁も拒否されるでしょう。

そして心あるものだけが生き残れるのだということを忘れてはいけません。

NoSQL人間は意見を持たない

5年ぐらい前NoSQLというバズワードがコンピュータ業界ではやったんです。

それはかんたんなことで、Excelのシートみたいな縦横無尽な記憶でなく、a=b c=dというかんたんな記憶を高速に出し入れして処理を単純に軽くしようというものです。

ネット上では何も考えなくてもいいコンピュータもどんどん増えていて、覚えて出すだけ。クラウドなんかそうです。かのネットブックのCPUを使っている。

人間なんかもそうです。かの日能研でも覚えて書き出す練習の続きです。中学でも高校でも。

自分の意見を言うのはテストの最後の問題だけで、

国語は明治文学の著者と著書があたっても実際読まないし、日本語を正しく解釈しようが先生と同じ感想でないとボツ。

社会でも何も考えず用語を暗記しては、自分の意見がない。右も左も定まらない。歴史の解釈とそこから悟りを得るという余裕なんてない。

理科に至っては数式はいじれるが実際その電界や磁界の正体が何なのかがわからない。電子はわかる正孔が動くってなんだ?量子力学なんてとくに習う側はほとんど何もわかってないのと同じだ。とくになんでもない情報を覚えることになる。

そこで大学に入るとする。大学では研究テーマを決めて論文にしないといけない。いきなり自分の頭で考えることになる。もう受験で勝って大学出ていい職につくことしか頭にない。何をするかわからない。わからないから無駄に覚えることがない。だから覚えない。評価が低い。

受験生に人生のテーマは定まっていないことがあります。大学出ていい職つくだけ。宿題をやるように仕事すればいいんでしょ。主義がないか日教組による自虐+社会主義が植え付けられている。なにも生み出せない。自分の主義がない。人に自分を差し出すだけ。

NoSQLな頭脳はガタイが良くてずる賢いジャイアンタイプやサイコパスにこき使われて終わり。辞書にされて終わり。出世なんてできない。ちょっと遊んでいるようなやつに負ける。

そうすると極端なパターンとして、東大出たが車はまるで運転できないとか、自分の存在そのものを先生に差し出すことにつかれてドロップアウトする人や、人間関係より勉強を優先し、人と仲良くなれず社会に入れず仕事ができずカルト宗教にハマるとか、むしろカルトを作る人間ができます。

とくに哲学や宗教に重きを置く子供は受験戦争にむやみに突っ込んでいいものではない。逆に幼いときから精神を削るのが受験戦争ですから。自分の本心に抗うのが学歴をあげることですから。

大川さんは受験戦争に突っ込まなければ不思議な力を保てた気がする。

残念ながら最初から全てをわかっている人が勝つのがこの世です。とにかく元気に少しわがままなぐらい自分の個性をもて。

手塚治虫のした悪いことを考える

どうもここのところ真実じゃなくてステレオタイプをどんどん出版してゆく評論シリーズがありましてね。キャッチーな触れ込みでね。

これじゃあ行けないと思ったんです。みんな認めるような人でもおかしなことをやっているもので、

リンカーンなんてネイティブアメリカン大虐殺ですから。

で、そうこっちもマトモな分析をしたくなっているのですが、どうも資料が足りないので直感で行きます。

手塚治虫の漫画は凄まじい迫力があって、アニメにしても相当な深みがあって、畏れさえ抱くものです。ミュージカルを見ているような展開と壮大な世界観、読む者に気づかせる悟り。

彼自身はテーマは一つ「命」だと言っています。だが一方で相当な嫉妬心があったことも言われています。

彼に非難されるぐらいになったら一流の入り口だと言われるぐらいだったようです。

彼は勢いで他を圧倒しました。信じられないペースでしかも複数シリーズ書き続けることでライバルを過労にさせました。

いま漫画家というのは彼の時代より複雑な描線もあって相当な激務であるそうで、儲けてもアシスタント料に消えることが多いそうです。

彼はアニメーションでもその後に影響を残しました。アニメーション制作始まって以来の伝統秒間24フレームを使わずに15フレーム以下でざっくばらんに鉄腕アトムを仕上げた。

このざっくばらんでは原作の迫力より、話がまるでかんたんになったようでその後のアニメでは15フレーム、時にはコマ送りで迫力を出す研究が進んだようです。

彼は制作費の大半をテレビ局からでなく、おもちゃの著作権ライセンスでまかなう道を選んだ。テレビ局が金を払わなくていい歪な経済構造が生まれ、子供向けのアニメはおもちゃ商品の宣伝に堕ち、青年向けのアニメはDVDでやっと資金を回収するとか、うまくいっていないようです。

ゆえにアニメーターの給料が薄く激務なのも遠因は虫プロらしい。

過激な表現とされるものが手塚治虫の世代から変わってきたようです。日本の漫画アニメの特色がもはや心をざっくりえぐりさえするようなシーンとそれを切り抜けるストーリーになっている。もしくは変態。とにかく脳を興奮させる。よむ人は興奮状態に依存するようになる。そういう商法。より過激、より倫理的におかしくなる。海外では子供に見せてはいけないとされるものも多い。

手塚治虫の漫画、ええ素晴らしいですね。しかし日本の伝統をどこか壊したかもしれないし(日本の漫画アニメは西洋オカルト秘術で満ちている話はまえしたはず)なにより手塚治虫の作品が未来でも最高でないと気がすまない、これから出るであろう超人を抑えておくための仕組みを作ってしまったように見受けられる。

さらにその子孫も恨まれているようで何かがあるのでしょうか。

そして今の日本のコンテンツ産業、世界への普及を考えると、とにかく西洋オカルトの布教だらけ、今までどおりやっていいものではない。女子供はまずピクサーを見ろという世界の趨勢。日本が大人のアニメーションとして生き残るには、もう少しオカルトじゃなくまともな哲学や真理を加える必要があると思われます。「正義は一つじゃない」路線は大人向けには間違っていません。「ゆるい」が世界に流行るのはいつ頃でしょうか。

カルトのアンチは心が死んでいる可能性がある

脳は問うた。おまえはどこで感動しているのか。どこで好きと感じ、嫌いと感じているのか。どこで何かやりたいと思っているのか。

おまえはどこで興奮しているのか。

その瞬間、体の中が静まり返った。何もないかのごとく。

胸や腹にはほとんどなにもなかった。

脳は少し解析して、結論を出した。どうも心は相当に邪魔扱いされたらしい。心はついに他者となかよくし、自分も損をしない方法を見つけることができなかったと。とにかく邪魔だったと。

自分を他人から守ることにだけ心は注目していたようだ。他人に譲らず、自分を通すことしかやろうとしない。こんな心は消される。なぜそうなったかはデータが足りない。まわりで喧嘩がたえなかったからそこで学習したのか。脳が人間の社会が譲り合いと協力で成り立っているのを理解し肯定したときには肉体の背は4倍5倍になっていた。

ついに感情の殆どは脳が計算したものであったと。それは心でいることができなかったからだと。心には権利が与えられていなかったと。

心は散々にいじめを受けたらしい。クラスの同級生の主流は心と仲良くなる意思が存在していなかったと。なにをやっても存在自体が悪か空気であったと。

心は散々に注意され矯正されたらしい。親には礼儀と作法と習慣を厳格にそのとおりやるようにしつけられた。学校では単に先生に従い、まったく新しい提案を出してはいけないことを教わった。体育ではできないことはできないことなのにできるようにならなければ恥ずかしいと教えられた。愛とかやさしさとか授業では役に立たない。国語は何をどうすれば得点が取れるかわからなかった。数学の知能はついになかった。意外にも心がないと解けないのだ。

そしてその裏にはカルト宗教もあるらしい。カルトの教祖にもはや信者の自由意志=心などいらないただきょうその教祖の教えをやり金を貢げばいいだけので、徹底的にそれを少なくするのだ。それも悪いことだと思えないきれいな言葉を使い行動の種類を減らすように働きかけると脳は解析した。

私が1984の映画を見たくない、気味が悪い理由がわかった。この記事は注意標識だからみんなも振り返ってみるべきだと脳は書き込んだ。

日本のいじめ深刻化は戦後自虐史観が原因

中学の社会科は反戦教育でいっぱいです。

日本は武力を持たないでも自分から攻めなければ、またいい子であれば責められることはないと教えられます、

ところが学校の中ですらどうでしょうか。心の防壁や言い返し、自分を守る意志の宣言、暴力にはさらりとかわす受け身が重要です。

日本の反戦教育はこれらを否定するものであり、単にいい子であって「防衛という暴力」のない子供はたちまちにしていじめられ心をぼろぼろにします。

実際において反戦教育の理論は日本の実社会や学校の中ですら机上の空論であります。

反戦教育によっていじめの対策で混乱した私がどこまでおかしくなったかはこのブログをよく見るとわかると思われます。

そしてこれらのマインドセットをもちろんGHQや第二次解放戦線は故意に設計し教育に組み込んだと考えています。地球はまさにゲスい星なのです。

教育は国家権力がわざわざ子供たちを囲い込んでやるものである。その中で先生はいじめに真剣に取り組まず、無視し、あげく煽るとする。いじめられる子供たちの理解はまさしく

この国に私は必要ない。解体される存在なのだ、という風にしかなりません。そうするとどんな暴発をするか。犯罪を犯すか神を呪うか異性をフリまくるかそれとも?あのアクシデントはいじめられっ子の集合念で起きていないのか。

まあこのぐらいのことが日本の国家の設計ポリシーなんでしょうね。

反省しない古い人間は置いてけぼりにしようぜ!

 

NWOと違う新秩序

これからこのブログでは創造的な話をしそうです。

NWOには怖いイメージしかない。オーウェルの1984とか、何もかも監視され、自由がなく、打ち砕くことができないシステム。

神に祈ったんだ。NWOってどうおもいます?

なんか、神は違うことを考えているらしい

なんだかんだ思いついた答えは、こんな感じです。

それを推し進めるときに使うやり方と、社会の仕組みが、NWOと似ていると勘違いする人が出る

NWOは まさに人の心を殺す

神による新秩序は、「言論統制」「思想統制」が強化されているように見えるかもしれないが、そういう意見は主に悪人や反社会的人物で、多数の人はさらにのびのびと生きることができる。

自由は、ヤリタイ放題できることではない。とされる。そうでない自由は実現する。

社会に役に立っている人物が素直に出世する社会になる。のさばろうとする人間は出世がない。

共産主義 社会主義 全体主義に、似ているように思われるかもしれないが、そうではない、おそらくふつうの人間こそそうは思いたくない、逆に人間の魂がのびのびいきいきしてくる。ココ重要です。

私はむしろ勘違いさせているのはマルクスの方だと思うのですが、資本論など読んでいないもので。とにかく理想主義で総倒れになるとか、道徳が立派なようで履き違えているとか、唯物論では完成しない道徳を完成させようとしているとか、何も知らない人はすごく感動するだろうが、知っている人から見るとおかしくてしょうがないんじゃないのでしょうか。

言論や思想統制、特定の思想の注入をやらないというのではなく、いまの民主主義の段階でマスコミがすでにやっていますから、その方向を変えることがやるべきなのではないのか。

超長期的なスパンになるに連れ「善」といういわば「思想」でないと生きて行けないです。短期的なスパンでは悪のほうが早いですが、滅びます。特定の思想を注入しないのではなく、「善」を入れるべきです。

私はこの限られた生態系において真の自由など存在しないと思います。

毛沢東こそ国を自由に支配したと言っている学者がいるが、彼が邪魔者をパージする喜びを味わっている時点で、それに囚われ、自由ではない。できること、やるべきことは限られてきます。

だからって何でも命令通りの北朝鮮はあの貧乏波動の上に、災害や飢饉で立ち直れないとか、女のほうが強くなって男がひ弱になるとか、むちゃくちゃ。

やはり政治主義は極端な見方がはびこっていますね。現実を見ると、できることは中道政治だ。何を持って人を統制するのか。自由し放題でもだめ、平等悪でもだめ、ガチガチの思想改造も続かない、愚民による民主政治も頼りない。人間みんなロボットになるという平和もだめ。人をコントロールするものはなんであるべきか。まず原点に立ち返り、善の思想を立てるべきです。